13/09/2020:『Gravity』
ベッドタウンの駅近にある6畳半の学生アパートの駐輪場から原付を引っ張り出した。蛍光灯の周りを虫が何匹か飛んでいる。メッセンジャーバッグをキツめにかけて、イヤフォンをはめる。ハーフメットは少し煩わしいが、それでも顎のベルトをしっかりとかけた。
地図アプリで彼女の家の住所を入れると、ここから車で1時間と出た。原付だとプラス30分ほどだろうか。普段は電車で行くのだが、なんとなく今日は気分が違った。
「すっと来ればええやんか。死んでも知らんからね。こんな都会の真ん中まで原付でなんて。」
と、直前のLINEでは言われた。
「いいんだよ、風が僕を呼んでるからさ。」
と、返信したきり、返ってこなかった。
夜9時の町はとても静かだ。キックスタートでエンジンをかけると、自動的にライトが点いて道が照らされた。メーター横のホルダーにケータイをはめ込む。
「新しいアルバムは…」
僕は再生ボタンを押して、スロットルを回した。ゆっくりと原付は動き出し、左折して道路へと合流する。
・・・
駅前を過ぎると道は急に寂しくなった。幹線道路の脇をひたすら走る。田んぼが広がり、途中には営業時間が終わったホームセンターや家具屋が並んでいた。信号に捕まる度に真っ暗な闇に包まれた気になるから、何となく周りを見渡す。寂れた資材置き場や何の為にあるのか分からないような駐車スペースがあったりして、この道が本当に彼女の家まで続いているのかとても不安になった。
田んぼの向こうの住宅街も、僕と同じように暗闇に包まれているもんだから、そういう家々と、山深くにある農村や湿気った漁村とを比べた時、どちらの方が孤独を感じるかな、とも思った。
信号が変わると僕はまた原付を発進させる。全ての抵抗を受ける僕の体と50ccの小さなエンジンはとても頼りなく、ふらつきながら進んで行く。
「この先、14km道なりです。」
河沿いの道に出ると後はしばらく真っ直ぐだった。少しだけ草の香りがして、向こうの方では迫り来る波みたいに団地がいくつもいくつも並んでいた。そして果てしない数の小さな四角い光がそこに詰め込まれていて、それぞれの部屋の中で誰かが誰かと生活を営んでいることを考えると、僕はどんなに広い景色を見るよりも途方にくれてしまうような感情を抱いた。
数え切れないほどの人とその営み。
だけど、部屋の明かり一つ一つの区切りがあまりにもハッキリとしているから、それらの終わりのない日々と繰り返しが河を越えて生々しく押し寄せてくるようだった。
僕は歩道と交差する小さな信号機の脇に原付を停めてエンジンを切ると、ポケットからタバコを出した。
「もしあの中のどれかにいる誰かが今走っている僕を見たら、似たような気持ちを感じるのかしら。」
ゆっくり煙を吐き出す。
河から吹く風に追いやられて、すぐに消えていってしまった。
・・・
「風はいい感じ?あとどのくらいで着くんか、できるときに連絡ちょうだい。」
ケータイを見ると彼女から連絡が入った。
地図を見てみると、もう2/3は来ている。
「あと30分くらい?かな。」
と、送った。彼女のマンションがある都心のビル群は、すでに視界に入っている。
「わかった。気をつけてくるように。」
僕は適当に「了解」と言っているスタンプを送った。
イヤフォンをはめ直して、再び原付にまたがる。
例えば、僕もあの数え切れない明かりの中の一部として違う人生を歩んでいたとしたら、きっとそれはそれで楽しいものになっていたんだろう。いや、それでもやっぱり何かかしらの説明の付かない気持ちを抱えながら日々を過ごすことになっていたかもしれない。
今こうして原付で走っているーそれも遠くからみたら果てもなくゆっくりとしたスピードのー姿を、あの明かりの中のそうであったかもしれない僕が見つけたとしたら、きっとその僕もそうであったかもしれない人生について思いを馳せているはずだ。
そう思うだけでも、なんとなく、本当に少しだけ、前向きになれた。
ふと原付をまた停める。LINEのダイヤルを押した。
「何よ、どうしたん。」
彼女の声が聞こえる。少しぶっきらぼうに。
「ん、ちょっと、急に声が聞きたくなったから。」
と、素直に言ってみると、
「何言うてんの。いいから、早く来んさいな。気付けてね。」
と、言い返された。
河の向こうでは無数の明かりが煌々と光っていて、僕は彼女の声を聞きながらぼんやりとそれらを見つめていた。
そして同じように、その中の一つからはそうであったかもしれない方の僕が外を眺めていて、暗い暗い河を挟んで二人の僕が対峙している。
「うん、もちろんさ。」
「何よ、もちろんって。」
僕は電話を切ると、再びエンジンをかけた。
真っ直ぐ前を見てそのまま走り出した。
・・・
今日も等しく夜が来ました。
John Mayerで『Gravity』。
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