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「つまらない」ことの大切さ
今日は丸の内にある出光美術館に行ってきました。というのも、ここで開催されていた『江戸時代の美術 —「軽み」の誕生』というテーマにとても興味が湧いたからです。
「軽み」。
いい言葉ですね。「軽さ」ではなく「軽み」。
日本の芸術・創作においては、この「軽み」がとても重要です。
江戸時代の画壇において絶大な影響力を持った狩野探幽は、絵画の心得として「絵はつまりたるがわろき」、つまり「絵の要素すべてを画面の中に描き尽くすのは良くない」「ゆとりや隙を感じさせるようにするべきだ」という言葉を残しているとか。
この言葉は後水尾天皇に対して語ったもので、これに対して後水尾天皇も賛同。そしてその考え方は「和歌やその他の芸術すべてに当てはまるものだ」と述べたとか。
「つまっているもの」はダメ。
「つまらないもの」が良いというわけです。
現代において「つまらない」という言葉にはネガティブな意味しかありませんが、江戸時代においては、余白・余情を感じられる、ポジティブな意味もあったのだとか。
出光美術館には、そんな「つまらない」芸術がたくさん展示されていました。
美術館を訪れたのはかなり久しぶりのことだったので、非常に有意義で、印象に残る体験でした。
展示されていた作品は、まさに余白・余情のあるものばかりで、その「つまっていない部分」が大切であることを実感します。余白をうまく使っている、というだけにとどまらず、解釈も受け手にゆだねられている。
すべてを理詰めで説明し尽くしたものよりも、むしろ何も説明をしようとせず、解釈をゆだねているものの方が心に残る。それは、芸術・創作においては大いにあり得ることだと思います。
そして、後水尾天皇の言葉どおり、この考え方は絵画だけでなくすべての芸術に通用するものではないでしょうか。
現代のwebメディア業界においては、SEO対策のためもあって理詰め・理詰めで説明し尽くしたコンテンツが多く、「軽み」がありません。
もちろん、すべてを説明し尽くしたコンテンツにも意義はあると思うのですが、検索結果がすべてそれだけになってしまうのは、あまりに無粋であると僕は思います。
それこそ、現代の意味で言うところの「つまらない」世界です。
余白や余情のある世界。
「軽み」の大切さを知る編集者でありたい。そんなことを強く思いました。
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