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哀しい酒   斎藤緋七


「あの子が人妻?うそだろう!! 」
長吉芳樹(四十)は驚いた。
「年、二十五だって! 」
情報を仕入れてきた、すーちゃんは言う。
「二十五で人妻。結婚三年目。子供はまだらしいよ」
あの子、とは最近アルバイトで入ってきた職員の戸川夏生の事だ。夏生は小柄で眼が大きく胸も大きいのが目立つ。素肌が綺麗ですっぴんでも美しい。顔が小さくて、手足が細い。
幸運な事に、配属されたのは芳樹のナナメ前の席である。あろうことか芳樹は、その竹尾夏生に一目ぼれしてしまったのである。
これが既婚者、芳樹のカナシイ片思いの始まりだった。芳樹は結婚が早く十六歳と十四歳の男の子がいた。元、某電話会社勤務で今はパートに出ている同い年の妻との四人家族である。女好きで夢は、愛人宅を持つ事。単なる、あほだった。
新しく入ったバイトの夏生は真面目で与えられた仕事を一生懸命やるタイプ。話すと明るく朗らかで素直、しかも、可愛い。
芳樹(四十)は是非「この可愛い人妻と不倫関係に発展したい! 」夢を見るようになった。生来のナンパ師の芳樹は、
「昼飯でも食いに行こう」
まずは、夏生にジャブを打って見た。
「いいですよー 」
いい答えが返ってきて大好きな夏生ちゃんと焼肉屋で焼き肉ランチを食べに行った。それだけで、単純な芳樹は舞い上がってしまった。そして、次に調子に乗った芳樹は映画と晩飯に誘って見た。そしたら、夏生は、


「いいですよー。映画は何でもいいけど、ご飯、必ずお酒が飲めるところに連れて行って下さいね。焼き鳥でチューハイとか、好きだな」
などと恐ろしい事を行って来る。芳樹は完全に十五~十六歳も年下のアルバイトになめ切られているのだ。不幸なことに芳樹は極端にアルコールに弱かった。それを知っている、夏生にからかわれているのだ。
「注射するとき、アルコール綿で拭くだろ。あれだけで、首まで蕁麻疹が出る程、アルコールに、弱いんだ! 」
以前、話したはずなのに夏生は忘れてしまっているのだろうか。「長吉さん、それ、馬鹿にされてるんすよ!! 」
後輩のすーちゃんは言うのだが、
「夏生ちゃんが飲みに行きたいなら付き合うのが俺の使命だ」
そう言って芳樹はその日のうちから、ドラッグストアに行って消毒用アルコールと綿を買い、「アルコールに慣れる訓練」を始めたのだった。なんとも、お馬鹿な四十歳である。
「長吉さん、飲めるようになりましたか? 私、ソルティードッグとスクリュードライバーが大好きなんですよ。つきあって飲んで下さいね」
愛しの夏生ちゃんはどんどんハードルを上げてくる。夏生は生来の酒好きで、
「実家は私以外全員アル中なんです」
以前言っていた。芳樹はぼんやりとした頭で夏生の言葉を思い出す。芳樹は消毒用アルコールの匂いで酔ってしまっているのだった。
「長吉さん、それ、馬鹿にされてるんすよ! もう、やめましょうよ! 俺、夏生ちゃんに文句言ってきます! 」
すーちゃんが言う事が間違っていない事は分かっている。でも、愛しの夏生ちゃんと映画を見れるかも知れない。そう思うと、もう少しもう少しと頑張ってしまう。芳樹は馬鹿な男だった。
毎日毎日、消毒用アルコールの匂いを嗅ぐだけで、倒れてしまう。自分が情けなく不甲斐なく思い、鬱になる芳樹であった。
「まだ、頑張ってるんすか?! 」
後輩のすーちゃんも呆れている。
「なにが、長吉さんをここまで頑張らせているのか? 俺、分かりません。だって人の嫁さんなんですよ?! 」
新婚のすーちゃんは頭を抱えている。
「わからないー 」
ちなみに、すーちゃんはクール須我と呼ばれている。
「W不倫」
ますます、すーちゃんは頭を抱えている。
「こんな男がいるから国力が弱まるんだ」すーちゃんは思った。
「でも、もうすぐ、年度末だから、夏生ちゃんの契約期間,切れますよ?! 」
「切れたら、もっと付き合い易くなるなあ」
すーちゃんは
「俺はこうはなるまい」
自分に誓って去って行った。
とうとう、魔性の人妻、夏生の契約が切れる時が来た。飯でも」
誘って見たが、
「今日は旦那とご飯に行くから早退します」
 笑顔で言われがっくりした。芳樹の努力は無駄に終わった。
帰り支度をする夏生からは悲しい酒の匂いがした。               
 

 
 

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