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厩戸皇子は何者か? 1

厩戸皇子(574年~)とは、何者なのだろうか? 

 厩戸皇子の父は蘇我堅塩媛を母に持つ用明天皇、母は蘇我小姉君を母に持つ穴穂部間人皇女だ。堅塩媛と小姉君は姉妹なので厩戸皇子の両親は異母兄弟であり従兄弟同士でもあった。蘇我馬子は姉妹の兄弟なので、厩戸皇子の大叔父だ。

 倭国始まって以来、初の女帝(大王)推古天皇 (卑弥呼は女王ではなくシャーマンのような立場だった) は厩戸皇子の父の同母妹だ。推古天皇もまた、堅塩媛の子で蘇我氏の娘だ。どこから血筋を辿っても厩戸皇子は「天皇家の皇子」より「蘇我氏の子息」色の方が濃い。「どうして、天皇に嫁ぐのが蘇我氏の娘ばかりなのか? 」

 どうやら「天皇に娘を嫁がせる権利」という物があり、蘇我氏が権利を持っていたようだ。



 「聖徳太子」と記されていることから第二次世界大戦後に書かれた物だと分かる。

厩戸皇子の受胎及び誕生はイエス・キリストのそれと似通っている。イエス・キリストは、母のマリアが「聖霊によって身籠った」とされており、厩戸皇子は母の穴穂部間人皇女が「口の中に観音菩薩が飛び込んだ夢を見て身籠った」と伝えられている。

イエス・キリストも厩戸皇子も馬小屋で生まれたと言われている。厩戸皇子に関して逸話は多々有るが、以外に知られていないのは「未来記」の存在だ。「未来記」は厩戸皇子の「秘文」つまり、予言書である。

 「未来記」が書かれた時期ははっきりしていない。厩戸皇子は574年頃に生まれて48.9歳で亡くなったとされているので590年~620年頃に書かれたと推測が出来る。著書「未来記」まで残っているのに「実在したか否か」が今も議論の対象になっている。有力な説は父親の用明天皇が「いたかどうかもわからない人物」なので「その息子である厩戸皇子もいたかどうかも分からない」という理屈のようだ。私個人の意見を述べさせて頂くと「間違いなく存在していた」と思っている。

記紀によって巧みに、その存在を歪んで記されているだけだ。 


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