第5話 忘れられた被災地 | Saito Daichi
視聴覚室が揺れ出した時、「どうせすぐに止まるだろう」と思っていました。
地震は日常茶飯事であり、危機管理意識が緩んでいました。
視聴覚室は確か、三階か四階だったと思います。
揺れだけではなく、ゴゴゴゴという地鳴りが発生。
その腹の底に響く感覚は、人生初でした。
私と隣の同級生がいる二人掛けの机だけ、他の学生達と比べるとやけに小さかったのを覚えています。
私は「どうせ大したことはない」と考え、机の下を譲ってしまいました。
周囲を見ると、私だけ隠れていません。
どこにも入り込む余地もなく、椅子も倒れ、転がっていました。
しかたなく机の縁を両手で掴んで仁王立ちし、教室全体に説教をしているような格好になりました。
校舎に亀裂が走り、窓ガラスが割れた時、「本当に死ぬかもしれない」と、人生で初めて思いました。
頭の片隅で「まだ書きたい話があるけど、死んだら誰がデータの引き継ぎするんだ」と考えていました。
天井から何かが落ちてきて、「天井が崩れてきたら本当に死ぬな」と思い、初めて死への恐怖を感じます。
その内、ゆっくりと振動が収束、全員が校舎から出ることになりました。
当時、携帯電話は繋がりませんでした。
私は単純に家に忘れただけですが、1.6GHzから2.4GHzの一般回線がパンクし、お祭りで人が密集したような混線状態になっていました。
電車は止まっているらしいという情報がありましたが、この目で見なければ信用できないので取り敢えず駅に向かいました。
他に行く当てもありません。
なぜか学校側では保護してもらえないことになりました。
それによってついに生徒達の不満が爆発、大紛糾となり、「うるさい、黙れ!」と教師陣も大混乱していました。
「責任取りたくないんだろうな」と思い、私は最初から期待しませんでした。
駅に到着するとやはり電車は運行しておらず、無人でした。
近くにいた年配の方から情報収集し、市役所が近くにあることを知りました。
暗い中、街の案内図に目を凝らし、市役所のある方角を頭に入れました。
市役所に辿り着くと、人でごった返していました。
施設の隅っこで夜を過ごせれば良いと思っていたので、楽観視していました。
空いてる場所は、授乳室の前しかありません。
ブランケットを職員が配っていましたが、取り敢えず公衆電話で親に連絡を取ろうと思い、長蛇の列に並びました。
私の前にいる年配の人が、震災の感想を電話先にずっと報告していました。
他の人は安否確認だけで手早く済ませていましたが、その方は周囲への気遣いが疎かになっていました。
「他の方もいるので」
安否確認だけでお願いします、と続ける前に、おばさんは電話を置きました。不満そうな表情でした。
親に連絡を取ると、迎えに来てくれることになりました。
市役所の場所が分からないとのことだったので、落ち合うポイントを駅に設定。
再び駅へと向かい、しばらく待っている間、街全体が無音だったことを覚えています。
周囲は真っ暗でした。
こういう非常事態に出てくる火事場泥棒を警戒したせいで、段々と恐怖心が芽生えてきました。
携帯電話もライトもなく、学生服一枚なので闇に紛れてしまいます。
たまたま駅に来た人と鉢合わせになり、お互いにビックリしました。
駅周辺の地面をよく見ると盛り上がっており、まさに『絶体絶命都市:田舎バージョン』のようになっていました。
気が遠くなるほどの時間を経た後、迎えにきた親の車に乗ります。
そこで日本が今、どうなっているかを知りました。
帰り道も信号は停止し、地盤沈下を避けて、ちょっとした地割れは加速して飛び越え、家に到着。
そこからロウソク生活の始まり。
朝になり、家の掃除をしました。
壁に亀裂が入り、色々な物が割れ、倒れていました。
情報収集はラジオです。
幸い田舎だったので、近くの井戸を借りることができました。
最寄りの中学校に自衛隊の給水車も来ていたようですが、現在のように災害時の情報網は確立されていませんでした。
ガソリンスタンドのバイトは辞めることにしました。
車の大行列ができていました。
数週間後、電気が復旧。
そしてACのCMに辟易しながら、テレビで情報収集をすることが可能になります。
そこで茨城県が計画停電の対象に入っていることを知りました。
福島の惨状や自衛隊の救出活動を見て、「まだ自分達はマシ」と、不満があっても我慢していました。
しかし、マスコミを中心とするメディアは、報道のネタになりそうな福島ばかりスポットし、他の被災地は存在しないかのように扱っていました。
とにかく計画停電に備え、再び災害に対する準備を始めようとした矢先、茨城県知事の抗議によってギリギリで対象外となります。
この震災で、私は人生の教訓を得ました。
それは「本当の非常事態では誰も助けてはくれない」という教訓です。
そして「全てを疑い、自分の目で確かめ、自分の力で生きていく時代」だと悟ります。
今となっては高校生で気付けたことに感謝しています。
そしてテレビを通し、そんな目立たない被災地にも派遣されて救助活動をしてくれた「自衛隊」という存在を、初めて意識しました。