”任せてもらえる”ことのシアワセ
きのう、仕事終わりに図書館へいこうと考えながら眠りについたところ、夢の中ですでに書籍選びに苦悩しているという自身の俯瞰図が描かれ、さらにそこへ名探偵シャーロック・ホームズと大怪盗アルセーヌ・ルパンが両手からやってくるという些か不自然すぎるシチュエーションに、びっくり仰天、飛び起きた猫目でございます。みなさま、こんばんは。
そのあと、時計を目にした猫目はさらなる驚愕の事実(寝坊という事実)に閉口しましたがしかし、頭のなかでホームズとルパンがその余韻を残してくれたのでシアワセのほうが勝り、結果として寝坊をものともせず、朝からテンション高めで玄関の戸を押しあげることができました。
・・・という本題とはまったく無関係なところから出発しまい、たいへん失礼しました。
今日のテーマはこちらです。
「任せます」は魔法のことば
みなさんは”任せてもらう”ことについてどのように考えていますか?
猫目は上にも記したとおり”任せます”は魔法のことばと思っています。これは、任せる = 信頼されていると考えているからです。
この魔法のことばが生みだすチカラは強力で、ときに真の成長を恵んでくれます。
現在はどうだかわかりませんが、当時(十年前以上)、セブンイレブンでは発注を高校生にも一任していました。
猫目も栄養ドリンクコーナーとカップ麺コーナーを担当させていただいていたのですが、まあ。失敗はします。なんといっても16歳ですのでね(完全なる言いわけ)
よく耳にしませんでしたか、発注ミスって?
そうです、猫目もずいぶんやらかしました。たとえば人気商品を欠品させてしまうだとか、あと記憶に苦いのは……栄養ドリンクです。
みなさんもよくご存知の「リポビタンD」を25ロット、そう、つまり250本も頼んでしまったのですね。
10本入りのケースがしっかり25個、バックルームに積みあげられておりました。
そのときの絶望ったらない、と言いたいところですが、なぜか猫目はその光景を目にしてふつふつとやる気が漲ってきました。一寸おかしな話ですよね。この250本の小瓶をなんとかしなくては、と焦燥したのと同時に「ぜったいにどうにかして売り切ってやる」という目標に活力をたぎらせていたのです。
斬新な売り場展開
さて、考えついた作戦は簡潔かつ短絡的です。
まずは売り場です。言うまでもないですが、売り場に出されていない限り、商品が売れることはありません(今はインターネットがあるけれど)。
ドラックストアでもないのに「これほどの展開はないだろう!」といった具合に、限られた棚のなかの3列をぶんどり(担当だったからこそ出来たことです)、紫色のパッケージにつつまれた小瓶をこれでもか というくらい並べました。
さらに
”おすすめ”と書かれたポップを貼りまくると同時に、通っていた高校の美術部員にチップ(お菓子)を支払い、かわいらしいイラストを作成してもらいってそれも貼っておりました。
とにかく貼って貼って貼りまくり、ほかの商品がくすんで見えるくらいに目立たせて、しかし下手なことは書かず(著作権だとか薬機法だとか当時いろいろ教えていただきました)、美術部オリジナルのイラスト(あれは……鳥だったのかな……ウサギだったのかな。羽も生えていたし耳も生えていた気がする)で棚を飾りあげ、紫色の小瓶をまつりあげ、自分のモチベーションをあげに上げ、そうしてどうにか売り捌くことができました。
美術部の皆様
その節はたいへんお世話になりました。
必死の声かけ
売り場が完成したら、あとは声かけ、おすすめをします。さすがに試飲してないのに「おいしいですよ」だとか「飲みやすいですよ」だとかは言えないのでまず、自分で飲んでみましたが、いや、これがマジでうまい。
なるほど、世に働く人間たちが栄養ドリンクにハマってしまうのもうなずける。と自分でも十分に納得した上で他人におすすめしていました。
とりわけ、救いだったのが近くの工場の方(社長さん?)が従業員さん達のために3ケース(3ケースも!)買っていってくださったこと。もう涙ですよね。ほんとうにやさしい方でした。
《ケースあります!》
とのポップと美術部員のオリジナルキャラクター鳥うさぎ(勝手にネーミング)が効果を成したのか、それとも必死のおすすめに同情してくれたのか、その後も栄養ドリンクは着々と売れ、売り上げは右肩あがりでした。
栄養ドリンクは使用期限が、ほかのデイリー商品にくらべて長く、すぐに腐敗する心配もなかったのが不幸中の幸いでした。
それに、リポビタンDはそもそも売れ行き商品でしたしね(やらかしたのはファインだったけれども)
長々と高校生時代のほろ苦い思い出を語ってしまいましたが、いかがでしょう?
これが「任せられた」状況下で発揮される活力と責任感です。
だれに言われるでもなく、自分でどうにかしなければいけない。なぜなら、その売り場は自分の担当であって全責任は自身にあるのだから。という意識が生みだした一例でした。
もしかすると、むかしは今ほど甘くなかったのかもしれません。今のようにスタッフがおこした責任はすべて店長の責任だ、という共通認識が欠如していたのかもしれません。
とはいえ、当時のオーナー及び店長には心から感謝しています。ただの一度も首を突っこまずに発注を任せてくれた上、250本のファインが届いてもなお「それは店の(俺の)責任だから猫目さんは気にしないで」とは言わず、むしろ「猫目さんならどうにかできるでしょう」と笑い飛ばしてくれたそのことが!
経験として今に繋がっています。
任せるよ、との言葉が猫目は好きです。
むしろ、だからこそ個人プレーが好きです。みんなで結託してなにかをやるだとか、そういったことも無論良いと思います。思いますが、それは裏を返せば責任の分割であって、そこにすべての力を注ぐほどの熱量を生みだせるかどうかは、またべつの問題です。
否。集団であればあるほど、そこに一個人が熱量を注ぎすぎると却って調和性が崩れマイナスに作用することもあります。
責任分担はある種、ストレスの少ない状況であり、長期的にみれば、さぞ過ごしやすい環境といえます。
しかし・・・
どうせなら、猫目はひとりで責任を背負いたい派です。と、こう言うとカッコよくきこえますが、つまるところ、ひとりで賞賛され認められたい派です。
”任せてもらえる”ということは即ち、
それなりに信頼をおかれている状況です。
だからこそ
だれか他人のせいにはできないですし、
もちろん言い逃れもできません。
しかしそれによって人は成長していくのだと思います。
現在、個人でライティングのお仕事をお受けしているクライアント様のほとんどが「お任せします」と言ってくださいます。
言うまでもなく、それらすべての結果が良好なわけではなく、ときに手厳しいお言葉をいただくこともあります。
でも
それでいいし、それがいいんです。
ガチガチに決められた構成になぞって(提案ではなく)、書いていくというのは作業であるけれども、はたしてそれは仕事と呼べるのか、いささか疑問です。
ひとつの作業にしろ、その中で自分なりに考え、行動に移していくことではじめて成功や失敗を学ぶのだと猫目は思います。
だれかに言われたとおりの物語を書くなど、そんなものは有能なるAIに任せておけばよろしい、です。
たとえば
ご依頼いただいた世界でたったひとりの方の人生をストーリーに仕上げて(ひとつの本に)いくのであれ、それはしっかりヒアリングをして心の声を聴き、こちらとあちらの糸が結びつくちょうどいい塩梅によって創作されるべきあって、あちらの主張(もしくはこちらの主張)だけでつくりあげるものは、それこそ、やはりAIの出番です。
クライアント様から「猫目さんに任せますよ」とおっしゃっていただけることに喜びを感じておりますし、たとえ、限定された中での"おまかせ”であったとしても、入りこむ余地があるのでこれほどうれしいことはありません。
そんなこんなで
「あなたに任せるよ」は猫目のなかで”魔法のことば”確定です。
すみません。今日はなんだか文章がダラけておりますね、ホホ。なにしろあたらしい物語の構想が重い浮かんで脇に汗をかいているほど興奮しておりますので、ホホ。それでは失礼。ここいらでお暇させていただきとう存じます。
ではでは皆さま!
来週もぜひ覗きにきてくださいね。
首を長くしてお待ちしております。
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