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食い違いに、思い違い。そして勘違い。

きのう、ある方と
意見が食い違いになり
険悪なムードになってしまいました。

相手の方は私よりも大分年上です。
そして私の大切な友人で、
付き合いも長い、そんな方です。

彼と私の一番の違い、

それは

彼が『トランジスタ技術』を愛読するのに対して

私は『太宰治』を読みます。夏目漱石も読みます。

つまり

私たちが普段住む世界、見えている世界は
まったく違っているということです。

久しぶりにドライブに出かけようと
なった私たちは、
互いに興味のある場所を勝手に推測、
華麗なる勘違いに思い違いを続けました。

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相手のことを考えいるつもりで
実は自分のことに焦点を合わせていたのですね。

その結果。

2人とも何一つ楽しくない時間を過ごし、
むしろつまらな過ぎて途中帰ろうとします。

それでいいのか?

いいわけがありません。

どうして大切な友人と
こんな思いをしたまま
別れる必要があるのでしょう?

「きょうは退屈を満喫したね!」

と嫌味のひとつ言いかけたところへ
かの有名なドイツの詩人
ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ
のとある言葉が降ってきました。
(車内の見慣れた天井からね)

”人のするべきことは、たった一つだ。
それは、他人の幸福を祈ることだ。
それだけで全ての不幸はなくなる。
他人の不幸も。自分の不幸も。” (若きウェルテルの悩み)

天井には眩しいくらいのLEDライト。
後部座席にはデジタルに光る測定器。

私は『吾輩は猫である』の面白さと、良さを知ってる。
       好きな言葉だって、いくつもある。
  では彼は?

    彼は題こそ知れど、内容は知らないという。

結局のところ、私は彼の自作した測定器の中身が、
どのように入り込んで作られているのか知らない。

これが全てなのだ。   

 

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互いに見ている世界も
観たい世界も異なる。

では、どうする?

・・・ここまで来れば答えは簡単。

話合えばいい。

話し合って解決しないことなんて、ないと思う。

話し合いで解決しない要因は
さまざまだが、私の場合、
大まかに分けると以下のように収まった。

▼相手に対する思いやりがない
=つまり自己中心的な思考が徹底して
 優先されている

▼そもそも相手を理解しようとしていない
=自分のことだけを主張したい
 気持ちに駆られる
=自己中心的な思考

▼性質的に合わないのだと諦めている
=諦めた時点でそもそも相手に対して
 本気じゃない
=話し合いが雑になる
=相手の意見は右から左へさらさらと

極論をいうと・・・

それ、すべて自分のことしか考えてない!!!
(そりゃ解決しないよ。だって違った思考を持つふたりが
自分のことしか考えていないのだのよ。それは食い違うさ)

と思い至った私は、身を翻し
彼と対面して語り合う。

すると

今度は

面白いくらい会話が弾む。
不思議な程互いの話を真剣に聞く。
そして
自分でも驚いてしまうくらいに
相手の見ている世界に興味が湧く。

これは面白い発見をしたと私は思う。

勘違い。
思い違い。
食い違い。

これらは誰しも一概に、
潜在的にもっているもので
それを普段表に示さない
だけなのかもしれない。

そうこうしているうちに、

積もり積もって
限界を超えて、爆発する。

ならば同じ思考の持ち主と居れば
いいじゃん。なにも違う考えの人
とわざわざ合わせなくても・・・

いいえ、合わせるのではありません。
理解しようとする気持ちの問題です。

そして、

自分と異なる相手だからこそ

面白くて、新しい。

発見は常に自分の世界の外に。

アイディアは雑踏の渦中に。

といったところでしょうか。



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