「正義って正論じゃない」を読み返して
最近やけに蚊が多くなったと感じて、あわててホームセンターで虫よけボトルを購入しました猫目です。みなさま。こんばんは。
世界でもっとも多くヒトの命を奪っていると囁かされいる蚊ですが、じつは吸血するのはメスだけで、オスは血を吸いません。
しかも、メスは血液を主食としているわけではなく、卵を産み、子孫を残すためにこうして決死の覚悟で私たちのまわりを飛びまわっているのです。
ブーン
っていうあの音。
ブーン
ブーン
ブーン
おっとあぶない。こう効果音に執着してしまうと、夢野久作が脳裏に出現してきて頭が混乱しそうになる。ただでさえ、ブーンの羽音に気が散っているというのに………正直いって、あの羽音さえなければ、ここまで蚊を疎ましく思わなかったのではないでしょうか。どうでしょう。
とはいえ、やはり蚊は怖いので(ほんとうに怖いのは蚊が媒介するウイルスのほう)なにかしらの対策は必要でしょう。
そこで、虫よけボトルの登場です。より高い効果が期待される蚊取り線香は、ちいさな家族たちには強すぎるので、ひとまずボトルで対処します。
ボトルを窓の近くにボトルを置くこと、数時間後。
パソコンをやっていても蚊の音が全然気にならない。部屋にあと1匹、蚊が残っていたはずなのだけれど、気配がまるでない。
すごい!
すごいよ、すごい!
これほどすぐに効果が出るなんてすごいじゃないか、こいつ、とボトルを手に成分表をしげしげ眺めて視線を上へ……あ。
※
シール、剥がしていませんでした。
なーるほど。
これではっきり効果が実証されたわけですね。
思い込みの効果が・・・。
さて、本題です。
なんだかここ最近、自分の言葉がひどく軽く感じたので、「正論って、正義じゃない」を読み返してみました。
なぜ、この記事を読み返したのか。それは、正義は正義じゃないとおっしゃられた過去の上司Sさんの言葉が巧みであられたからに他なりません。
巧み?
いや、ちがいますね。
Sさんの使う言葉は美しく、すべて体重を持って生きていた、といったほうが正解です。
薄っぺらで、ほとんど体重のない言葉たちは、たしかに整っているかもしれませんが、そこにとくべつな感情やそれに伴う重みがふくまれているとは限りません。
思い返してみれば
近頃、猫目は文法的に正しいものを求めていました。とくにビジネス関連の記事を書くときなんかは、シンプルで明白で、だれにでもわかる文章を心がけていました。もちろんこれは悪いことではありません。
悪いことではないのですが、しかし、そこに呑みこまれてしまってはいけないなとは思います。
やはり
きちんと棲み分けることが大切ですし、その意識をしっかり持っていないといけないと感じます。
正しく整った文章
型に収まった文体
きれいを求める指先。
だれにでもわかるように、言葉足らずにならないように、中学2年生の語彙を使って優しく易しくやさしく書かなくては。
それはある種の媒体ではまちがいないです。
けれども、すべてのモノにそれが適応されるわけではないと思います。
整った文章を綴ることが、あるいは、大衆に伝わるような文章を心がけることがすべてじゃない。その奥には、相手を思いやる気持ちがないといけないんです。それが無ければ、ただぼんやりと文字を打ちこんでいるだけになってしまい、そんなことでは国語辞典のなかに収まっている語彙たちのほうがはるかに美しいということになってしまう。
そのことを「正義って正義じゃない」を通して、再認識させられました。
先週、ひさしぶりにだれかの助けが欲しくなった猫目は、数年ぶりにSさんと交わしたメッセージの中身を覗きました。
そうです。文字通り、だれかの言葉に縋りたくなったんですね。
彼女の言葉ときたら、それはもう、小説の中から引用したのではないかと思われるほど美しく、やわらかく、ときにするどく、深みがありました。
びっくりしますが、彼女の使う言葉には、すべてきちんと体重が存在します。
「Sさんに使ってもらえる言葉たちは幸せですね」
当時、一緒に働いていたころ、そんなことを口にしたのを覚えています。猫目はSさんのことが大好きですし、心から尊敬しています(もう長らくお会いできていませんが)。
いったい全体、Sさんのどこにそれだけ強く惹かれたのか。それは、言うまでもなく言葉の美しさもありますが、いちばんは、彼女が都合のよい言葉ばかりを吐きださないことです。
そうだね。
その通りだよ。
いいと思うよ。
そういった共感の言葉はたしかに、こちらの気持ちを慰めてくれます。しかしある意味でそれは一時的なものです。
それが、彼女にかんしては違います。
それは
どうかな
違うんじゃないかな
けど
それは
間違ってる。
と、目を離さず、まっすぐこちらを見据えていいます。
どうして、そう思ったのですか?
本当にそう思っているのですか?
その裏側でなにを感じたのですか?
そうやって問いかけてくれることが、本当の意味で猫目の心を救ってくれます。導いてくれる、といってもいいかもしれません。
さてと。
いま一度、言葉に重みを。
大切に大切に、絞りだすように、使っていきたいと思います。
履き慣れたスニーカーで、平坦なリノリウムの床ばかりを歩いていれば、いずれ泥濘だらけの地面を裸足で歩くことを恐れてしまう。
そうならないために、こうして立ち止まって、うしろにできた足跡をたしかめることも時に必要なのではないかと思って書かせていただきました。
Sさんからの贈りもの
Sさんからの贈りものをほんの少しだけ、ここに残しておきます。もちろん当時、彼女に使用の許可を取りました。これぞ数年越しの伏線回収です。
ここから、いくつでも物語が紡げそうです。
今更ですが、ほんとうに良い環境にいさせていただいていたと感謝の気持ちではち切れそうです。
なにかで心が沈んだとき、これ以上は自分でもどうにもならないと感じたとき、猫目はふいにSさんと交わしたLINEメッセージを覗きにいきます。
おかげで、いつだって再スタートを切ることができます。
本音をいうと、Sさんのそばでずっと働いていたかったです。ただ、彼女と私はべつべつの目的をもっていたので、この現状はやむを得ない結果なのだと思っています。
それに、Sさんと会うためには、猫目が売れる小説を書かないといけないので。そういう約束を彼女は大切にします。なので、これを反故にするわけにはいきません。
さて、書こうっと。
今日もまたこうしてお時間を割いて、お読みいただき、ありがとうございます。Sさんにもいつかこの記事を届けられたらと思います。
それから、この春のあいだ冒頭の画像にRaMさまの作品を使わせていただきました。春を感じる洗練された画像で記事を彩っていただき、ありがとうございました。この場をお借りして感謝の気持ちを伝えさせてください。
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