【褒め】は最大級のエネルギー
メリークリスマス・・・だれに言うでもなしに時は過ぎていって26日『広辞苑』の無料検索サイトでクリスマスを検索してみる。意味:クリスマスおめでとう。みなさん。一日遅れですがメリークリスマス。ステキなクリスマスを過ごすことが出来ましたでしょうか。
さて。本日は「褒められる」ことで得られるエネルギーのお話と、褒められるために自ら工夫をこらす行動についてのお話をしていこうと思います。
褒められて不快になる人間がこの世の中にどのくらい、いるか。おそらくとても少ない数だと思います。大多数の人が褒められることに喜びを感じ、うれしいという感情を抱いているはず(と信じております)。
褒められることで高まるモチベーション
モチベーションとは意欲を意味します。みなさんの中でもモチベーションの高い方とそうでない方がおられると思います。十人十色。人それぞれにモチベーションの高低は違うはずです。また対象とするものによっても、モチベーションの度合いは異なってくると思います。
とくに作品をつくり出すという創作の場においては、モチベーションというのは不安定になりがちです。
創作にたいしてつねに高いモチベーションを保ち続けるというのは並大抵のことではありません。それも長い期間でモチベーションの水準をなんのブレもなく一定に維持するのはさらに困難を極めます。しかし。
創作のプロと呼ばれる人たちは、モチベーションを、ある程度一定に保っている方が多いです。そうでないと仕事にならないからです。「昨日は調子がよかったから作業が捗ったけど、今日はやる気が起こらないからなにも手につかない」ということを何日、何か月、何年も続けていたらどうでしょう。
仕事と呼ぶのも疑わしい状態となってきます。そこで重要なのが「高いモチベーションを保ち続ける」ということです。(意図的にモチベーションをさげることにより、作品に特別な色をつけるといった手法を除く)
わたし達は人間です。人間は動物です。そして動物というものはたいてい感情を持ちあわせています。感情というのは端的にいって「喜怒哀楽」を指します。もの事に感じて起こる気持ちのあらわれが感情です。
教育過程などでは「感情をコントロールをしないとダメ」などということを言われがちですが、事はそれほど簡単ではありません。つまり言葉で片づけられるほど、感情というものは単純には出来ていないということです。
ですので、ある程度は工夫をしていかなくてはいけません。意図的にモチベーションをあげていく。または一定に保ち続けていく工夫です。基本的に人間は(今のところ)「理性」よりも「感性」や「感情」のほうが大きく前へ出る傾向にあります。
そういうわけですので、意図的にモチベーションを高めていくために効果的なもののひとつが、褒め。他者から褒められるということです。
人間というのは評価を意識する生きものです。近年、承認欲求という言葉が巷を飛び交っておりますが「他者から認められたい」「自分の存在に価値があると認めたい」という欲求は人間としては当然の願望です。
このことからも「他者から褒められる」というのはある種の欲求を満たすものになり、脳としても報酬を得られるわけです。
報酬(褒められる)がないとやる気や意欲が思うように出ない、という実験がおこなわれているほどです。
率先して褒められにいく
褒められることで得られるエネルギーというのはないがしろにに出来ない。そこで褒められる(=モチベーションを高める)ために自ら、意図的に、褒められにいくことも手です。
もちろんですが、意図的に褒められにいって、意図的に褒められる、ということよりも偶然に褒められることのほうが感情は動きます。
ここでは、あくまで急遽モチベーションがあがらなく、創作活動に影響が出るという状況において「意図的に褒められにいこう」といったご提案です。
余談ですが、明治・昭和のいわゆる文豪と呼ばれた人たちは、締め切がさし迫っているにもかかわらず、しきりに「茶屋遊び」に出かけることがあったそうです。
※ 茶屋遊びとは遊郭などで酒色の遊びをする等の意味をもちます。
茶屋に行く目的はさまざまでしょう。友人との約束があったり、色恋の関係だったり、はたまた着想などのアイディアを得に出向いたり・・・。
ここでひとつ。猫目は憶測します。
もしかしたら文豪たちは褒められに行っていたのではないか、と。安直な憶測だとは思いますが、あらかた間違ってもいない気がします。直接お話をお聞きすることが出来ないので残念ですが。
類は友を呼ぶ
古くから存在している言葉「類は友を呼ぶ」略して「るいとも」。気があう者や似た者同士が自然と寄り集まってくるという意味の言葉です。
たとえば悪口しか言わない人のそばには、やはり、悪口を言う人が集まってきます。反対に、他人のことをよく褒める人のもとには、やはり同じように他人の欠点よりも優れた部分を見つけ出す人たちが集まってきます。まさに「類は友を呼ぶ」の状態となっているわけです。
そういうわけですのでみなさん。どうでしょう。いま一度褒められやすい環境づくりをしてみませんか。褒められるために自分が出来ること。それは「他者を褒める」ことです。今すぐにでもはじめることが可能です。
いつも他者の嫌なところばかりに目がいってしまうという方も。100パーセント悪い人間などいないという言葉を信じて、ひとまず相手の欠点よりも優れている部分を探してみるのはいかがでしょう。
よく「笑顔は人に伝染する」といいます。これと同じです。褒めて、褒められる環境をつくることで日常生活においてマイナスよりもプラス面を増やしていく。これらは良い循環を生み出してくれるはずです。
うぬぼれてばかりいられない
ここまで褒められることのメリットの部分についてお話させていただきました。お気づきのとおり、メリットがあるということはデメリットも存在しています。
褒められることのデメリットはその表面上では非常に気がつきにくいです。厄介です。褒められればモチベーションが高まっていく。もちろんそれは良いことです。しかしそこには注意すべき点も潜んでいます。
それは
褒められるがままに、際限なしに、うぬぼれてしまう、ということです。
一度や二度のうぬぼれはいいとして、長期間うぬぼれ続けていると人間という生きものはそれらの状況に慣れきってしまします。
慣れてしまった物事や感覚について、わたし達は、感受性が鈍くなってしまいがちです。慣れてしまったからこそ気がつくことが出来ません。習慣とはつねに連続した行動、行為の中に根づくものです。
そこから抜け出すのは思ったよりもむずかしく、また、自分ひとりで気がつくことは困難です。うぬぼれ続けた結果によっては自分を甘やかし、しいては作品をダメにしてしまう可能性すらあるのです。
そうなってしまえば本末転倒です。
間違っても「みんなが褒めてくれるからこれでいいや」などと、作品に対して妥協をしないことです。重要なのは褒められることにより、創作のモチベーションを高め、意識を高め、必要以上に落ちこまないということにあります。
決して「このくらいでいいや」の気持ちをつくり出すためのものではありません。そのことを胸に刻み、しっかりとメリハリをつけることが大切です。
褒められたら素直によろこび、受けいれ、次のステップへと移っていく。成長を描いていく。その上で何度も吟味し、思考を重ね、作品をつくりあげていく。そのためには本音を言ってくれる人の存在も重要となってきます。何事もバランスが大切です。
遠慮なく本音をぶつけてくれる人の存在は大切です。が、そうかといって毎日のようにご指摘を受けていては心が折れてしまいます。
そこで「褒めてくれる存在」と「遠慮なく本音を語らってくれる人の存在」の双方が必要となってきます。そして前者に多いのが友人。後者に多いのが小説ならば読み手のみなさま。映画ならば鑑賞者のみなさまです。
それらの点をふまえますと、ひとりの人、ひとつの意見にこだわらず、より多くの声(意見)に耳をかたむけていく柔軟性が求められます。
ようするに「褒められる」ことは創作において最大級のエネルギーとなりますが、そればかりに浸ってしまうのは危険ということです。