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感覚マニア

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目には見えない感覚の世界に潜り込む。そんな記事をまとめています。
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#感覚

「かんじるじかん」とマインドフルネス

幸せとは、条件やモノそのものではなくて 「幸せ」と感じ、味わえる「こころ」と「からだ」があることだと思う。 私は普段のセッションや感覚マニア実験室(オンラインサロン)で 「かんじるじかん」という名で 自分の身体、感覚、氣を感じる時間をガイドしています。 「かんじるじかん」ってふわっと抽象的な言葉なのでどんなものかイメージし辛いと思いますが 一般的に知られているものの中ではマインドフルネスや瞑想が近いのではないかなと思います。 一口にマインドフルネスと言ってもいろいろな

呼吸が浅いなら、その「浅さ」を全身全霊で楽しんでみようじゃないか。 <良い・悪いの罠>

瞑想やマインドフルネス、私がお伝えしているmanakiなど 「今ここ」に意識を置いて感じる時間を大切にする・自分と向き合うといった概念がここ数年でもかなり広まってきています。 でもここで陥りやすいのが 「できる」 「できない」 の罠。「良い」 「悪い」 の罠。 できるできない、良い悪いのジャッジから抜けたくて瞑想しているのに 逆にその瞑想が「できない」に陥ってる人、結構見かけます。 何を隠そう私自身も嵌りかけた。 本末転倒やん(笑) そんな風に思う裏側には、こんな

状況を変えたい? 感覚を変えたい?

今こんな状況で。 これが嫌なんだけど、だからと言って変わったら変わったでうまくいくか不安だし… そんなときは一旦止まって、自分にこんな風に問いかけてみて。 私は今、 状況を変えたいの? それとも…感覚を変えたいの? ちょうど先日も、施術前に近況を聞きながらこんな質問をしてみました。 その方は『感覚を変えたい!』と即答♪ 状況が変わっても、自分の感じ方が変わらないと結局不安になると思う。と。 本当それな!!!!!!!!! よくある例えですが、お金がない〜といつも不

自分密度が高くなる感覚。

心気(manaki)で深く感じた状態になると、 自分の中が心地よく詰まっていくかのような まるで内側の密度が高まったみたいな そう。 自分密度が高くなる! そう言ってくれたのは ただ今実施中の継続コースでもある『かんじるをふかめる5month Journey』の参加者Mさん。 彼女はコースを通してmanakiの直接指導やセッションを受けるようになってすぐ! 実生活の中でこの自分密度が高くなって、日常はもちろん、苦手な場に行っても安心した状態でいられる感覚を掴み と涙

【オンライン&遠隔】FEELFULセッションはじめます。- 安心感と一致感を育む時間 -

-幸せとは、感じる心と感じる身体があること- 『FEELFUL個人セッション』はじめます。 【 FEELFULセッション ~ぜんぶ、かんじる~ 】 このセッションは『心気(manaki)施術』で心身をほどき巡らせ、 『心気 (manaki) レッスン』と『体感ファシリテーション』をベースとして 「安心感と一致感」を思い出し、 幸せを感じる心と身体を育むための時間です。 周りに振り回されやすい人も、何者かにならなきゃと焦りがちな人も これらの感覚を育てることで今この

「感じる」のフェーズ② ふかめる

「感じる」に意識を置き続けていくとまず実感するフェーズ① 一昨日はかんじるをふかめる『5month Journey』2ヶ月目のグループレッスンの日でした。 こつこつと1ヶ月感じるを積み重ねていくことで、ある一人は また一人は という気づきをシェアしてくれました。 そこにあるもの、起こることを、事実は事実として 「ただ、見る。ただ、感じる。」の視点が育ってきた事例ですね。 ただ見ることができるとは「手放す」ということ。 「〇〇を手放そう」と言われても??の方はこの感覚

「感じる」のフェーズ① ほどく・ひらく

何かを得なくても 特別なことをしなくても 何者かにならなくても かんじること つながること あじわうこと いま、ここに意識があること。 ひとりひとりが感じながら日々を暮らし そこから言葉を紡ぐ、家事をする、唄う、踊る、触れ合う、交流する ​ 今ここから紡ぎ出される世界は どんなに立体的で まあるくて カラフルな世界だろうか。 ​ わたしが見たい世界はこんな世界 ​ 「かんじる」と一言で言っても、例えば同じワークを通してですら そこで受け取るもの、気づくことにはいろ

立体化する世界。

感覚が開くと 世界が、立体的に感じられるんです。 先日、『かんじるをふかめる 5months Journey』 に参加してくださっている メンバーさんとマンツーマンレッスンをしながら話していて 最近私が感じていた感覚にピタッとハマった言葉。 「感じること」に意識を置いて生活していると 日常のふとした瞬間、瞬間 身体の「中」を何かがぶわぁ〜っと、ふわっと、じゅわっと、ビリビリと 流れていったり、沸き立ったり、撫でられたり、振動したりする瞬間が増えてくる。 わたしの場合

かんじるをふかめる 5months Journey

- 繊細さから喜びをつむぎ出す - かんじるをふかめる 5months Journey 始まります♪ 繊細さを喜びに。感性を豊かさへ。 あなたが持っているその「繊細さ」は、直すべき欠点でも、克服しなきゃいけないダメさでもなく 活かすべき才能であり、この地球を生きる上での「豊かさ」そのもの。 色んなエネルギーを敏感に、繊細に感じ取っているその方向性を外へではなく、内へ内へ。方向転換して深く深く自分の奥へと潜っていく5ヶ月間の旅路をご一緒しませんか? - かんじるをふ

「かんじる」は豊かさそのもの。

"幸せ”って なんだろう? わたし達がほしいのは、「お金」や「モノ」や「成功体験」そのものではなくて 曖昧に定義されるような「幸せ」のイメージでもない。 本当にほしいのは、そのものよりもそれを得た時の気持ち さらにその奥にある  『感覚』 そしてそれを感じる器(身体)と感じる力 。 いま、ここに意識があること。 家事をしているときも、仕事をしているときも、ただ歩いているときでさえ 目の前のもの、こと、存在を全身全霊で感じて味わって 瞬間瞬間に出会っていく。 そ

人がほしいのは究極、感覚である。

- どうして? - 幸せってなに? - その気分ってどんな感じ? 人がほしいのは「お金」や「モノ」や「成功体験」そのものではなくて 曖昧に定義される「幸せ」でもない。 ほしいのは、その先にある 感覚 そしてそれを感じる器(身体)と感じる力 感じる力も、愛を受け取る器も もともと誰もが持っている。 「どうするのが正解?」「こうするべき」「そんなのおかしい」 意識が外側に向けば向くほど、感度は鈍くなっていく。 すると目の前にある小さな幸せには気づくこともないし

「見る」は目の専売特許なのか?

人が得る情報の8〜9割は視覚に由来しているという。 だとすると 視覚を持たない視覚障害者は健常者に比べ、1〜2割の情報しか得られないのか? 見える人から視覚を差し引くと見えない人になるのか? 伊藤亜紗さん著 『目の見えない人は世界をどう見ているのか?』 を読みました。 ここでぶわ〜〜〜〜〜っと蘇ってきたのは 暗闇が大好きな自分と、そのきっかけになったダイアログ・イン・ザ・ダーク(DID)での体験。DIDは本書の中にも出てきます。 暗闇に入った瞬間に「見える人」と「見え

暗闇の中でわたしは障害者になり、そして細胞が組み替えられた。

暗闇が大好きだ。 わたしがそう呟くと、変人とまではいかないまでも、ちょっと変わった人扱いされる。意味が分からないとゆるりと流されることもよくある。 通常イメージされる「暗闇」とは、恐ろしいものだったり、不安なものという人が多いからかもしれない。 だけど、あえて重ねて言いたい。 わたしは暗闇が大好きなのだ。 あ、熱量だけが先走ってしまいました。 何が話したいのかは順を追って説明するのでもうしばしお付き合い願います。 誤解のないように言っておくと、ここでの"暗闇"とは別

言葉にできない感覚と共にあることと、言葉にすること。

自分の中で沸き起こってる感覚が言葉にならない時がよくある。 なんと表現したらいいのかすぐに思いつかなくて言葉にできない時や その場に慣れていなくてうまく出せない時もあるし 現在知っている「言葉」では表せないような時。 例えば「怒り」や「喜び」という言葉のエネルギーにもまだ到達しないような些細な、些細な、波立つような粒子。 言葉にできないからそれは「ない」のかと言われるととんでもなくて それは言葉にできなかろうが、どんなに些細な感覚であろうが、わたしの中に確実に「ある