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言葉にできない感覚と共にあることと、言葉にすること。


自分の中で沸き起こってる感覚が言葉にならない時がよくある。


なんと表現したらいいのかすぐに思いつかなくて言葉にできない時や

その場に慣れていなくてうまく出せない時もあるし

現在知っている「言葉」では表せないような時。

例えば「怒り」や「喜び」という言葉のエネルギーにもまだ到達しないような些細な、些細な、波立つような粒子。


言葉にできないからそれは「ない」のかと言われるととんでもなくて
それは言葉にできなかろうが、どんなに些細な感覚であろうが、わたしの中に確実に「ある」もの。


人はモヤモヤした時ほど自分の中にあるものに名前をつけたがるし、わたしもよくそうなる。
早くこの気持ち悪さから抜け出したい。そのためにはこれがなんなのか原因を突き止めなくては!!

浮かび上がった泥を焦ってかき混ぜれば、余計に周りは見えなくなり
そこは混沌の世界になる。
そんな時に無理やり言葉にしても、大抵それはズレているのに。


そんな時にはすぐに言葉にせずに
言葉にはできないその沸き立つ波や、流れや振動をそのまま感覚として味わってみる。

何かにラベリングせず、その感覚と共にいる。というのに近いかもしれない。

そうすると湧き上がった粒が少しずつ少しずつ「言葉」に合うほどに成長したり、また、海底に沈むように静かになったりする。

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そうなった時に改めてあれはどんな感覚だったのだろうと振り返ってみる。それは数秒でそうできることもあるし、年単位でかかることもあるし、更新されることもある。


この世界には言葉にできない感覚やエネルギーがたくさんあるし
言葉にする必要がない、むしろしない方がいいことだってある。

けれどわたしは、言葉になる前の「それ」を言葉にできた時に
えも言われぬ快感を覚えるのだ。

わたしの中にいる、行き場のないエネルギーのお家が見つかったような安心とすっきり感。


話は少しそれるけれど、最近小説をよく読んでいて。

小さい頃、物語の世界に没頭するのが大好きだったあの感覚。
頭ではなく、身体ぜんぶで入り込んでいくあの快感。

最近ハマっているのは辻村深月さんの作品。

わたしと同年代でもある彼女の文章は
学生の頃、ものすごく自分の内側で渦巻いていたのに言葉にすることができなかった想い。言葉にしてしまうとものすごくチープに感じてしまって、だからこそ敢えて言葉にはしなかったあの感覚。

子供から大人になって、そこから振り返った時、あの時言葉にできなかった目の前の人との微妙な関係性。
母に対して抱いていた気持ちを母になった自分が改めて見る、その痛々しいほど繊細な想い。

それらを一つ一つ、丁寧にすくい上げては、簡単には言葉にできない感覚を見事なほどフィットする言葉で表現してみせるだけでなく
時に容赦なく隠していた傷や汚れを浮き上がらせる。

そうだった、楽しかったし、甘かったけれど、痛かったし、苦かった。

リアルに苦々しい想いを感じることも多いのだけど
なぜかそこには心地よさと清々しさがある。


もちろん小説に出てくる登場人物とわたしの体験は全く同じではないし
著者の物語としての展開や完成度が素晴らしいというのもあるのだろうけれど
それでも「わたしのあの時の気持ちはこうだった」という言葉が見つかるのは、あの時置いてけぼりにしたわたしの気持ちを一つずつすくい上げて供養してあげているような、そんな気持ち。

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感覚と言葉が一致した時

さまよっていた魂と身体がピタッとハマった時のような
レベルアップ感もある。


まさに「言霊」。



言葉にできない感覚を言葉にしてしまったら

そこには誤解が生まれることもあるかもしれないし

そこに起こってる感覚のぜんぶを表し切れるものでもない。


それでも。

それを前提としていても

わたしは「この感覚」にピタリとはまる言葉を探し続けている。



くろかわさいこ
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