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道徳授業をアップデートする
◆こんにちは。小学校教員のねこぜです。タイトルからお分かりのように今回は道徳について、授業について述べていこうと思います。2年くらい前まで、僕は道徳の授業が一番苦手でした。教科化され、教科書ができ、「考え、議論する」道徳への転換が求められました。ただでさえ、道徳の授業が苦手でどうすればいいのか分からないのに、追い打ちをかけられた気分でした。しかし、「分からないもの、できないことをそのままにしておく」わけにはいきません。そこで今回、noteにアウトプットしていくことで道徳を勉強していこうと考えました。先ずは、筑波大附属小の加藤宣行先生の著書をもとに、道徳授業をアップデートするための道標を書いていこうと思います。よろしくお願いいたします。
1.発問を変えると授業が変わる
加藤先生は、道徳授業を変える二つの要素として「発問」と「板書」を挙げています。発問は、質問とは厳密には違うものですが、質問も発問の一部として取り扱っていきます。
発問には3つの型があります。A)言葉を拠り所にする発問 B)根拠を拠り所にする発問 C)学習者自身を拠り所にする発問 です。順に説明します。
A)言葉を拠り所にする発問とは、例えば登場人物を問うたり、出来事は何だったかあらすじを確認したりといった所謂「閉じた発問」のことです。答えが決まっている「質問」とも言えます。
B)根拠を拠り所にする発問とは、「なぜ」を問うことで拡散する発問、問題意識を喚起する発問のことです。これも質問に大別されるのですが、その答えに対しては①教科書に書いているから②自分がそう思ったからの2つに類別できます。つまり根拠が教科書にあるのか、自分の心にあるのかという違いがあります。
C)学習者自身を拠り所にする発問とは、熟考させる発問、自分事として考え込ませる発問のことです。ここまでくると拠り所は教科書ではなく子ども自身になります。自分の価値観が問われ、日頃の生活体験を振り返ったり、教材と自分を重ね合わせたりします。だから、即答することのできない発問とも言い換えることができます。
以上、このABCを意識し、どの場面でどの発問をするかで授業の様子は変わってくるはずです。そして当然、重要性はA<B<Cとなっていきます。子どもの思いを問う「C」が最重要項目になっていくわけです。
2.板書を変えると授業が変わる
次に板書についてです。発問が変わることでそれに呼応するように板書も変わっていきます。加藤先生は板書を変える三要素を次のように述べています。
①横書き
②図式化・視覚化
③参加型
僕は、道徳の勉強をする前までは国語と同じように縦書きで板書していました。縦書きが悪いということではありません。
国語はあくまでも教材中の言語を重視して展開しますから、教材の書き方に準ずるのです。道徳の場合は、教材の中の言語というより、その言語を生んでいるものは何かという、教材に書かれていない世界を相手にするので、子どもたちの気付き次第でどんどん内容がふくれあがります。そこに板書を連動させるので、自ずと板書も過去や未来のベクトルを含めた広がりが期待されます。そうなると、横書きで左から右へ展開していく書き方の方がなじむのです。
多元的に、時には思考ツールを用いながら板書していくには横書きの方がよいということです。そして、そうであるからこそ②の図式化・視覚化がポイントになってくるわけです。対比関係を明確にしたり、ポイントを焦点化したりすることは低学年に限らずどの学年にも有効だと加藤先生は述べています。僕はできるだけ子どもの発言は”そのまま”板書するようにと初任の頃に指導を受けたことがありますが、それも状況や実態によりけりなのだなと気付かされました。
最後に、参加型です。算数では、子どもが前に出てきて黒板を使って説明するなんて場面が容易に想像できると思います。同じように道徳でも、黒板を子どもたちに積極的に開放すべきだと加藤先生は言います。挙手して発言することが苦手な子にとっては、黒板に自ら書くことが貴重な交流の場となりえます。学習内容を記録する板書からの脱却を図りましょう!
◆最後までお読みいただきありがとうございます。久しぶりに実践に近いことを記事にしてみました。今後も時々こうした記事も書いていこうと思うので一緒に勉強してくださる方がいたら嬉しいです。
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