特別支援教育との出会い
◆特別支援教育についての話をします。
◆まず大学4年時、まともに試験勉強していなかった私は、採用試験に当然のように落ち、社会人1年目は非常勤講師でもやるのだろうくらいにしか思っていませんでした。ただ、どこであろうと最初に声を掛けてくれた学校を勤務地にしよう。そう決めていました。それが、中学校の特別支援学級介助員でした。
◆その他にも、私立の社会科の非常勤とか小学校の理科、算数あたりのお誘いもありましたが先述のように最初に電話をくれたことが何かの導きだと思い、教師ではなく介助員という立場でありましたが特別支援の現場に身を置くことにしました。特別支援教育とは、何となく大学で学びましたがほとんど無知でした。自閉症、ADHD、LD…言葉だけは聞いたことあるものの実際にそれらがどんな特性をもっていて、どんな「支援」を行えばいいのか見当もつきませんでした。
◆特別支援学級なので、通常の中学校の中にある言わば固定級です。20人近い生徒を4人の先生で見る、そんな感じでした。介助員なのでT1をすることはなく、基本TAです。そこには、色んな生徒がいました。鮮烈すぎて今でもよく覚えています。放っておくと1時間ずっと手を洗っている強迫性の子がいたり、常同運動しながら「チネ(死ね)、はやく帰らせろよ」とぶつぶつ言っている子がいたり、一見普通の大人しそうな子でも小学校のときに全く学校に通っていなかったり、他にもたくさん粒ぞろいで愉快な生徒たちでした。
◆なるほど、知的、情緒…特性や課題が違う1人ひとりの子に合った「支援」をする。そして何のための「支援」なのか。そういった根っこの部分を肌で感じ、目で見てひたすら学びました。この経験があったからこそ、小学校で通常学級の担任をしたときに、どんな子がいても動じないでいられるのかもしれません。
◆どうしても私たちは目の前に広がる世界の尺度で物事を測りがちです。「当たり前」という概念がいかに指導しにくくしているか、子どもたちにとって居づらくしているか。「立ち歩くのはおかしい。」本当にそうでしょうか?「45分間じっと座っているのが普通だ。」本当にそうでしょうか?私たち人間は障害のアリとナシの白と黒の2色しか存在しないわけではありません。誰しもがグレーです。部分的に白だったり黒だったりして最終的に混ぜ合わせるとグレーです。算数が得意な子がいれば、運動が苦手な子がいる。グレーですね。おしゃべりが好きな子がいれば、友達の誕生日を覚えられない子もいる。グレーです。1人ひとりをよく理解すること。いや、理解しようとすること。これが先決だろうと思います。
◆通常級では、40人近い子が同じ空間で学習します。先述のようにみんなグレーです。こう言っちゃうと同じ色に聞こえますが、繰り返しになりますが、1人ひとり特性や課題が違います。それを探ろうとしたり理解しようとしたりするその姿勢は子ども達に伝わりますし、そうするだけで指導に柔軟性が帯びてきます。うまくいかなくて当然、色んな子がいるんだから、とどっしり構えてやることが特別支援を通して身に付いたものの一つかなと考えています。とりあえず今日はここまでにします。最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
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