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夏、蝉と共に散る

夏ってどんなイメージですか。
どんなものを想像しますか。

わたしにとっての夏をひとことで表すと
儚い、かもしれません。

これから、ある年の8月の話をしたいと思います。


8月15日、日本人にとって忘れてはならない日。
ラジオから流れる玉音放送を聴いた時、当時を生きていた人たちはどんな気持ちだったのでしょうか。

戦争が終わったことへの安堵か、
日本が負けたことへの失望か。

そしてきっと誰しもが、戦地へ赴いた家族や恋人や知人の無事を祈ったことでしょう。しかし、無情にも生きて再会できた人ばかりではありません。お骨になって魂となって帰ってきた人、お骨すらまだ見つかっていない人もいます。

実際、母方の祖父は戦争に行き、運良く無事に帰って来られました。祖父は無事だったけれど、ガダルカナル島で戦死してしまった親戚が何人もいます。

お国のために!万歳!
そういって散っていった命が数えきれないほどありました。それは単なる人数ではなくて、ひとりひとりの人生の数です。将来のために一生懸命勉強してきた若者が、その未来を見ることなく国に利用されたのが戦争なのです。

出陣学徒壮行会を知っていますか。
1943年、日本の戦況は悪くなる一方でした。
軍人の数が足りなくなり、とうとう19歳〜20歳の学生たちまで戦地に送り込まれることとなったのです。彼らは明治神宮外苑競技場に集められ、文科省の主催で壮行会を行いました。
当時の映像が残っているので、ぜひ見てみてください。この異様な雰囲気と静けさ、学生たちの表情が物語っているものを考えて止みません。

この中には、将来オリンピック選手や野球選手、作家になったであろう人もいました。それから全員が昭和という時代を自分の人生を生きられたはず。生きて、幸せになったり失敗したり。そんなことも経験できないまま、ここにいる多くの学生が海や土の上で早すぎる最期を迎えたのです。

やるせなかっただろうと思います。
戦争に行って死ぬために勉強をしていたわけではないのに、夢だってあっただろうに。人生まだまだこれからというときに、可能性すら大人の勝手でつぶされてしまったのですから。

彼らが遺した手紙や日記を読み、本を読み、ドキュメンタリーを観ると、他人事とは思えない気持ちになります。彼らの生きた時代と今は確実に繋がっていることを実感します。

いろいろなドキュメンタリーを観た中で、心に染み込んで忘れられない言葉があります。

15:56頃から、特攻隊員であった金子昭男さんの特集。
その中で語られた、金子さん最後の手紙の言葉です。

いまの日本の大人たちはダメだ、信用していない。そういう人たちのために死ぬのではない。戦いに行くのではない。
美しい日本の国と、若い君たちのために戦いに行く。

今の日本は、金子さんや戦争で戦った方々が願ったような美しい国でしょうか。

美しい国ニッポンは、もう何十年も前のこと。

70年以上前に若者だったひとりひとりが繋いで守ってくれた大切なバトンの意味を今一度考える時だなと感じます。


自分が生きている意味も、そこにあるのかもしれません。

そんなことを考えた終戦の日でした。

今は亡き今井雅之さんの「THE WINDS OF GOD」何度も観たな〜と思い出しました。


こうして想いを馳せているうちに、胸がぎゅっと苦しくなるのですが、この感情がきっとわたしにとっての夏なんだと思います。

楽しい夏もよき、誰かに思い焦がれるのもよき。


真夏のピークはもうすぐ去ってしまうでしょう。
花火もきっと最後だし。

秋になる前に、素敵な夏の終わりをお過ごしください。

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