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リレーストーリー「どすこいスパイ大作戦#3」

第3話「変装」

蒙古龍は飛び起きた。

百キロを優に超える典型的なちゃんこ体型だが、文字通り飛び起きた。
蒙古龍の体型がまだモウコガゼルのようにスリムだった頃を彷彿させるような飛び上がりようだ。 

「やっちまった……」

その言葉とは裏腹に、まるで寝坊などしていないかのような落ち着きよう。
喫煙者なら、ここで一服してしまっていただろう。
スパイならずとも、寝坊をした者は得てして落ち着き払った様子を見せるものだ。

 しかし、こうしても居られない。
16時には新宿で任務を遂行しなければならないのだ。
両国から新宿まで総武線と中央線を乗り継げば20分。
タクシーに飛び乗るよりも電車の方が速そうだ。

その前に準備もしなければならない。

作業着を購入するために、ジョブマンに立ち寄らなければ。
「ジョブマン」とは、現場作業向けの衣服を専門に扱う全国チェーンの洋品店だ。
最近では、その丈夫さと幅広いデザイン性から、SNSで広がり、作業員とは縁もゆかりもない若者たちが訪れるようになっている。

蒙古龍はすぐさま浴衣を整え、部屋を飛び出した。
ここでの“部屋”とは相撲部屋のことでもあり、うたた寝をしていた大部屋のことでもある。

JR両国駅から総武線に飛び乗り、新宿まで。
所要時間20分は作戦を今一度整理するのにちょうどいい時間だ。
幸運なことに目的のホテルとジョブマン新宿店は目と鼻の先。
準備をしてから向かうには充分だろう。

諜報活動を最近では「インテリジェンス」なんて呼び方をする。
インテリジェンスとは、国家の指導者にとって国を安寧に導くための役立つ“情報”のことだ。
いわゆるスパイ活動となんら変わらないのだが、この「インテリジェンス」という呼び方がスパイ界でも主流になりつつある。
だが、蒙古龍はこのインテリジェンスという言葉が嫌いだ。
なぜなら、気取っている感じがするから。

スパイは「スパイ」。
英語なら「SPY」。

この三文字が好きなのだ。
なにより音の響きがワクワクするではないか。

まだ蒙古龍が幼かった頃、トム・クルーズという、いかしたハリウッドスターがどこかからぶら下がっていた。
どんな指令を遂行していたのかは、まったく覚えていないが、あの、ぶら下がっている姿は格好良く見えた。
それに憧れてMGBの門を叩いたといっても過言ではない。

まあ、今、この体型でぶら下がろうものなら、ワイヤーが切れてしまうことは目に見えているが。

 「自分は今回、トムのような活躍ができるだろうか……」

そんなことを考えていたら、JR新宿駅に電車が滑り込んだ。
まず向かうはジョブマン。
店の扉を開くと、色とりどりの作業着が並んでいた。

「今は作業着もこんなにオシャレになっているのか……」

だが、蒙古龍が求めているのは、むしろ地味な色。
決して目立ってはならないのだから。
ふと目をやると、そこにあったのは黄土色の作業着。
故郷、モンゴルの大地のような鮮やかさだ。「

この色、いいじゃないか」

目立つ色ではないが明るさもあり、ファッション性も悪くない。
ここでファッション性など微塵も必要ないのだが、他の客たちが幾分かオシャレさを醸していることに蒙古龍も当てられてしまったのかも知れない。

 「すみません!この色の8Lあります?」

8Lは力士ならば当然のサイズ。
ところが、店員の返答は蒙古龍の思いに反して意外なものだった。

「8Lッスか!?そんなサイズ、うちにあったかな。少々お待ちください!」

待つこと数分。
その時間も指令を控えている蒙古龍には永遠に感じた。

「すんません、お客さん。近くの店にも聞いたんですが、この色の8Lは扱ってないッスね」

愕然とする蒙古龍。

「じゃあ、逆に何色なら8Lありますかね?」

か細い声で店員に問うと、

「8Lだと、これしかねえッス」

もはや店員の馴れ馴れしい口調など気にならなかった。

提示された作業着はド定番の色。

「それじゃ、そのグレーをください」
「グレーじゃないッス、シルバーグレーッス」

 蒙古龍は、公園のトイレでシルバーグレーの作業着に袖を通すと、慣れた手つきで浴衣を畳み、一緒に購入した同系色の作業バッグに押し込んだ。

「意外と手こずったな」

そう独りごつと、目指すホテルへと足早に歩を進めたのだった。

(つづく)

 

 

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