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AI×IP×死生学=スターはどこまで生き続けるのか?

IPにはいくつもジャンルはありますが、最も根源的IPは「人」です。
エンタメ的にいうと、1番分かりやすいのが「スター」です。
ご存知の通り、そんなスターをAIで再現?再生する試みは既に展開されています。
有名なところでは、2019年の紅白歌合戦に出場された「美空ひばり」さん。
ここでは、単に生前の姿を再現したのではなく、膨大な言語データをAIが習得し、“新たな“言葉を語ったことが話題になりました。
賛否はともかく、こういうことは既に容易に出来てしまうわけです。

故人の尊重の“自由化“は最近のこと

先日の読売新聞の特集で、この問題について語っていた方がいらっしゃいました。
上智大学大学院実践宗教学研究科の佐藤啓介教授。
佐藤教授は「死生学」の研究されています。
この死生学は比較的新しいジャンルで、そのテーマは「老いと死」「死別の悲観」「自殺予防」など色々とあるそうですが、そこにおいて「死者をめぐる倫理=死者を大事にするとは?」についての研究をされているそうです。
記事を読んで、確かにと思ったことの一つが、死において社会的に故人が尊重され出したのはつい最近のこと、ということです。
乱暴な言い方ではありますが、死んだ後のことは宗教や風習など属する場所の社会フォーマットが、取り扱い方や気持ちの持ち方を決めてくれていたのです。
それが最近は、葬式のやり方一つをとっても故人の意思が尊重されるようになった。
その中で新たな「故人の尊重と扱い方」として、AIによる再現?再生?というものも出て来たというわけです。
 

AIによる故人の再現/再生は誰のため?

「死者AI」は大きく分けると2つのパターンがあります。
一つは前述の美空ひばりさんのような有名人。
そしてもう一つは一般人。
もちろん有名人も一人の人間であり、その家族にとっては一般人と変わりませんから、ここでは「IPとなりうる有名人」という視点に限って話を進めたいと思います。
ちなみに、後者の一般人においては中国や韓国では「AI故人」と会話が出来るサービスが既にあるそうです。
これは完全に遺族のための「死者AI(サービス)」です。
そこから考えてみても、有名人死者AIも、その内容やそれを行うこと自体を受け入れる受け入れないは別として、残されたファンのためと言えるのでは、と思います。

再生ではなく“生成“。それは“ホンモノ“と言えるのか?

「Chat GPT」による文章や画像生成は、その元データの著作権などの問題はありますが、それを生み出したAIに「個性」はないので、出来上がったものは単なる制作物として捉えれば良いのですが、有名人のAIが新たに生み出した言葉や作品は、本当にその人が生み出したもの=ホンモノなのか?という問題があります。
これについては私も別に答えがあるわけではないので、思いつくままに書くだけなのですが、例えば、「ジョン・レノン」の過去の作品をAIに学習させたら、ジョン・レノンが作りそうな作品はすぐに出来るわけです。
でも、クリエイティブの根源的スタンスから言うと、ホンモノかどうか?の前に、そもそもそれって面白いのか?という思いがあります。
私は、クリエイティブとは神様の贈り物だと思って(そう言ったキース・リチャーズの言葉に感銘を受けて)いて、突然変異こそがクリエイティブの醍醐味であり本質だと思っています。

一方、発言やクリエイティブにおいて、思いもよらないものが誕生した時に、それを世の人々はその故人のものと認めるのか?という問題もあります。
例えば、音楽作品においては、それまでと全く違う作風の作品を出すということは、(特に昔は)有名アーティストでもよくあったこと(その象徴的&ビジネス的に成功したのがビートルズ)ですし、発言一つとっても、まさかあの人がそんなことを言うとは!ということもよくあります。
それでも、そこに揺るぎない「リアルなその人」がいるので、世の人はそれはホンモノであることに対して疑問を抱かないわけです。

裏切り?というイノベーションこそがクリエイティブの基本

前述の通り、「クリエイティブとは神様の贈り物」スタンスからすると、ある意味裏切りにも似たイノベーションを続けることが、アーティストの本質であり才能であると思うと、マーケティング的・ビジネス的スタンスからAIによる「マーケットに求められる存在作り」というのは避けて欲しいなと思います。
そして、そのようなスタンスに立った上で、神様が人類に授けた宝物である「スター」をどういう形で生き続けさせるのか?
これはまた、プロデュース魂を刺激するテーマに違いないというのも確かですね。


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