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生成AIと創造の楽しみ

テクノロジーの進化は加速度的に進むので、少し前に「ChatGPTってすごいね」などと言っているうちに、今では通常のチェックでは見分けがつかない程の「ディープフェイク」の出現で、情報社会が右往左往という状況になっています。
それに対して様々な意見や警鐘、対応策などがメディアを賑わしていますが、最終的にはどれも「使う人次第」というところに落ち着いている印象があります。
そして、個人的にもそれが全てなのではないかと思います。
「ターミネーター」の世界のように、AIが自立するということはテクノロジー的にあると思いますが、そこまで進化させるかどうか?の判断も人間次第だと思うからです。
生成AIがもたらす可能性や社会的課題は多岐に渡りますし、その全部を私として意見出来るわけではないので、今回は「創造・クリエイトの視点」、しかもかなり私的な視点から述べたいと思います。

放送作家さんが私にとっての「生成AI」

突然ですが、私の一番好きな時間は、喫茶店(主にスタバ)で裏紙の束を前にして、企画を「う〜ん」と考えている、悩んでいる時間です。
「企画を考える」という作業においては、テーマに対して様々な視点からアイデアを出していく作業が大切ですし、それが発想のブレイクスルーに繋がったりします。
ですので、以前から、それが必要な場合、知り合いの放送作家さんに「番組タイトル案100個考えて」などとお願いをしていました。
ある意味、彼らが私にとっての生成AIだったわけです。笑
 

私流「生成AI=放送作家」との付き合い方

私の場合は、企画そのもののポイントや演出プラン、企画書の重要な文言は全て自分で考えていました。
放送作家さんは、あくまで外付け脳?として活用していた(優秀な作家陣をそのように使うのは非常に贅沢ですね)だけなのです。
もちろん、彼らに任せた方がより良いものが出来たりする場合もあるし、通常の企業のスタンスから言ったら、チームで力を合わせて最適なものを作り上げるマネジメントが大事ということになります。
私もそれはそうだと思います。
でもですね、「楽しい」のです、自分で考えることが。笑
そこは、自分の人生の充実!のために譲れないところですよね〜。
その代わり、常に評価と批評は自分で受け止めるのでプレッシャーはありますし、内面はヒリヒリしていますが、それも含めて楽しいのです。
ただ、実行においては最高のアウトプットのために、皆の意見を取り入れながらブラッシュアップはしていきます。

便利ではなく、「楽しい」を基準に

優秀な放送作家さんに企画書作りの全部、極端な話「みんなが喜ぶ面白い企画考えて」とお願いしたらきっと考えてくれます、いい企画。
すごい便利!
でもですね、それだと楽しくないのですよね、少なくとも私は。
「便利」=それが最終バリューではなく、「楽しい」をサポートする。そのクオリティを上げる。
そのために使うので良いと思うのです。
前述した、多様な視点を持つための外部脳として動いて貰うみたいな形で。
「便利」「効率」を基準にするのではなく、自分の「楽しい」を基準にテクノロジーを捉えていくと、少なくとも自分の人生において必要なものは何なのか?
自分を軸にテクノロジーを捉えていけるのではないかと思うのです。
これ、半分、昭和おじさんの言い訳も入っているかも?ですが。笑

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