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味噌作りの奇妙な一夜

夏場は食べ物が傷みやすいけれど、味噌汁は特に傷みが早い気がする。
これは個人の好みだが、味噌汁を少量だけ作るのが好きではない。
具材をたっぷり入れて、大きめの鍋で作った方が絶対美味しい!との思い込みがどうしても拭えないのだ(いや、実際そうだと思う)。
余った味噌汁はもう数時間後には匂いが変わってくるので、最近は夏場に味噌汁を作るのは諦めて、インスタント味噌汁の世話になることもある。

味噌を手作りすると、暑い夏は発酵が進む絶好の時期。
今年は味噌を作ろうと思ったが、前職の退職間際で気持ち的に落ち着かなかったことから見送った。
味噌を作る作業は、心が整っている時に行いたいのだ。
大豆に火を入れて潰し、麹と塩を加えて整え、あとは時間に託していく一連の作業が、私には儀式のように思えて神聖さすら感じるからだ。

もう十数年前になるが、忘れられない味噌作りの話をしよう。

その数年前から、近しい友人数人と味噌作りをするようになっていた。
どのような流れでそうなったのかは覚えていないが、友人の友人(Aさんとする)に話が広がって、彼女のマンションで場所を提供してもらい、皆で味噌作りをすることになった。
泊まり込みの味噌合宿といったノリで、私も軽い気持ちで参加。
誰が何人参加するのかもわからない状態で役割分担され、近くのスーパーに塩と米麹を大量に買いに行ったのは覚えている。
事前に大豆を浸しておく作業は先発隊が既に行っていたが、その大豆の量たるや「どんだけ~!?」といったように容器から溢れ返らんばかり。
大豆を順次茹でる作業が進む中、私は「塩切り」といって塩と米麹をひたすら混ぜていく作業を一心不乱にしていた。
途中で大豆が茹でることで膨らみ、塩と麹が足りない疑惑が生じて再度買い出し部隊が結成されるのをよそに、集中して塩と麹を混ぜていく私。
手の中で麹がホロホロとほぐれていき、粗塩と混ざってサラサラと指の間をこぼれていくのが純粋に気持ち良くて、もはや本能的な動きをしていたと思う。
後になってAさんから、作業をする私の姿が神々しかったと言われたけれど、確かに何かが降りてきたかのように素材と一体化していたかも知れない。

大量の塩切りを終えたら、すぐさま茹で上がった大豆がやってきた。
文字通り、雪崩の如くものすごい量。
その時点ではこの部屋に何人いるのか分からない状態。
Aさんの友人やその友人が続々とやってきて、誰が誰だか正体も分からない中(まあ私もそうだけど)和気藹々と作業は進んだ。
マッシャーやしゃもじ、フライ返しまで使えるものは何でも使って大勢で豆を潰していく。
夢中で作業していたけど、翌日は全身ひどい筋肉痛になった(なにげに全身運動)。

大量の豆を潰し終え、塩切り麹を丁寧に混ぜて、丸めて容器に詰めていく。
容器はもはや40~50cmの大型タッパー。それが5~6個分になった。
大豆茹でチームはそこから夕食のカレー作りにシフトしたようで、味噌のもとが全て容器に詰め終わった頃にはカレーのいい匂いが漂ってきた。

ここからは食卓の準備。カレーの他にサラダを作ることになって、私が道具を片付けている間に誰かがレタスやトマトを洗っている。
ボウルにはレタスとトマト、塩とオリーブオイルにレモン汁を回しかけて味付けは完了。
あれよあれよという間に食卓が整えられ、みんなで夕食を囲んだ。
前述したが、簡単な自己紹介もなかったくらいで誰が誰やら、誰の友達やらもはや分からない、というかどうでも良い状態。
隠れ人見知りの反動か、初対面でやたら愛想の良いタイプの私、こういった場は気疲れするに違いなかったのに、なぜか気持ちが楽だった。

戦い終えて……というか全ての片付けが終わって、後に残ったのはAさんと私および共通の友人達のみ。
いつの間にか助っ人集団が集まって、楽しく作業をして美味しくご飯を食べ、パッと帰っていった。
誰とも連絡先を交換していないし、本当にその場だけ大いに盛り上がって楽しんだだけ。
味噌作りという「共同作業」のためだけに。
今考えても奇妙な一夜ではあったけれど、あの年の味噌作りは今も忘れられない楽しい思い出だ。




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