見出し画像

脳性麻痺で車椅子の私が普通の全日制高校に進学した理由

昨日の記事末尾からの続きです。

今から15年くらい前の話です。

生まれついて脳性麻痺による四肢麻痺で、小学生くらいから車椅子生活の私。
中学3年生だった私は、「車椅子の障がい者なんだし、普通に養護学校へ進むのだろう」と思っていました。

ところが、親(母)や養護学級、普通学級の担任からは中学からも近い、当時2・3年前に校舎が建て替えられて、エレベーターのある普通の高校を薦めてきました。
学生時代の私の学力はいわゆる中の下。自分で書くのもなんですが、得意科目(当時から絶対評価でしたけと)は5段階評価で5を取れる、5教科の勉強は健常者程度にはできる程度。今にして思えば頑張ればその高校に進学できる学力でした。
また、その高校には定時制課程もあったため、「全日制がダメだったら定時制に通えばいい」ということになり、私の思いは置き去りにされて話は進んでいきました。

そうはいっても、私は養護学校に進学するつもりでしたから、とりあえず親や担任の薦めでその高校のことを調べたり、オープンキャンパスに行ってはみるものの、「ここに通いたい」という気持ちはほぼなかったと思います。
ちなみに親が通わせるつもりがなかったため、近くの養護学校に足を運ぶことは1度もありませんでした。

そういう感じでしたから、私は全くをもって受験勉強とやらをするつもりがありませんでした。
そうこうしている間に高校受験の時期が近づいてきました。
今でこそ、前期と後期に高校入試が分かれるということは一般的ですが、私の世代は推薦と一般という形で2回に入試が分けられた初めての年でした。

はじめに行われる推薦入試は、学校の成績と面接の結果で合否が決まります。面接なんて当然練習しないわけがありません。
やる気のない中、面接練習を強いられた私。
そこで私の決意、運命を変える事件が起きます。

面接は約2人ごとに練習を行うスタイルだったのですが、自分の名前が書かれたブロックを見て驚きました。
私と同じブロックに振り分けられたのは、私が当時片想いしていた人。小学校5年生の頃に一目惚れをして、ずっとずっと好きだった人。
少しは会話をする仲だったので、面接の順番待ちをする間に、「そこ(同じ学校)を志望しているの?」と訊くと、彼は、「うん」と答えました。

そのとき、私は思いました。
「この人と同じ学校に通いたい!」と。
今思い返しても大変に不純な動機ですが、20歳を過ぎても、「好きな人に認められたいから」と就労を決意したあたり、未来の私も性格が変わっておりませんでしたので、どうかお許しください。

そこから、あがり症と大変な高倍率だったこともあり推薦入試は不合格になってしまいましたが、担任のサポートも受け、駆け込みで勉強した結果、なんとか後半の一般入試で合格し、彼と同じ課程の全日制普通科の高校に通えることとなりました。(彼は推薦で合格していたらしいです)

が、、現実はそんなに甘くなく、入学後のクラスは彼と別れ、他も振り分けで一緒になくことは全くなく、話すこともなくなりました。
そのうち、彼の雰囲気が変わったと感じたことを機に、私の恋は自然消滅しました。

彼と面接練習のブロックが一緒になったのは、本当に運命というか神様のイタズラだと、今でも思っています。
同じ高校を志望していたクラスメイトは私や彼以外でも、中学の卒業式がきても悲しくはならないだろうと思う程度の人数はいましたから。

もし、あのとき、面接のグループが違って、彼の志望校を知らないままだったら、私は高校入試を突破できていないと思います。同じ学校の定時制課程か、最悪どこの高校にも合格しなかったと思います。
そして、既に何度か書いていますが、自分の意見を押し通し、養護学校に進学していたら、今の会社で働く私はいません。高卒の学歴ではないのですから。

結局、恋が実らなかったことだけを切り出せば、昨日と同じですが、「人を理由に進学場所を決めてはいけない」と私は思います。

頑張った分、疲れた気もする高校生活でしたが、今の仕事で役立つスキルも身につきましたので、普通の高校に通ったことは無駄ではないと思う私なのでした。

#エッセイ  #進学 #高校受験 #恋愛 #片想い #思い出話 #きっかけ #障害者 #障がい者 #障碍者 #運命のイタズラ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?