人並みの幸せは望んじゃいけないのかもしれない

今朝、今まで別勤務地で勤務していた人が私たちと同じ勤務地になって、元同じ部(1段細かい単位でその人は異動している)の人と楽しそうに話しているのが目に入りました。
「なんだかとってもうらやましい」。職場で仲良く話せる人が非常に限られている私は、そう思いました。
話していれば、「うるさい」と何故か私だけ注意される(親にも理解されないけれど、意識しないと声が大きくなってしまうのも障がいの一部らしいのと、他の人たちはもっと雑談している)し、そもそも話す相手もいない私は肩身が狭いばかりです。
そして、映画や他のnote記事から感じるのは、障がい者、特に車椅子や重度の障がいだと、「恋愛は難しい」ということ。本人のコミュニケーション能力にもよりますが、障がいのある人には昔から寄ってくる人(ほとんど支援者)と寄ってこない人の差が激しく、友人が少ない傾向はあると思います。

私は、障がい者は人並みの幸せを望みにくい代わりにお金等の保障があると思っています。
いや、この考え方が間違いであってほしいですけどね。

私は、人並みにコミュニケーションは取れないし、人並みの恋愛もできないし、周りほど楽しい青春は送れなかったと思っているし、本当は大きくない企業のほうが性格に合っていると思いつつ車椅子の入れる大企業勤めだし。なんて、思うことはいっぱいあります。
嫌な表現ですが、“人並みに過ごせないことを埋めてくれるのがお金や社会保障”なのではないでしょうか?
法律の制度を使って、こちらにコミュニケーションを合わせてくれて生活も支援してくれるヘルパーさんも呼べるし、施設は待ち人数は多いけど老人ホームよりかは安く入れるところは多くて結婚できなくても老後は安心、人とは違うかもしれないけれど特別支援学校という選択肢もあり、障害の状況によっては無理に働かなくとも年金や手当が貰えます。更には友人と遊ぶことがない時間を半額や無料で入れる娯楽施設施設に使うことができます。
……最後のほう、なんだか書いていて悲しくなってきましたが(涙)

現実に私は、結婚についてだけなら既にほぼ諦めました。恋愛についても、「今度行く初診の見立てと治療の具合によってはもう難しい」とは思っています。
年金と手当を貰いつつ、今は仕事をしているので幸いにも金銭的に困ることはないです。ただ、それもあくまで今現在の話です。冒頭や過去の記事で書いているように、職場では悩む日々で働けなくなるリスクも健常者の方よりかは高いと思っています。何らかの理由で会社を辞める日はすぐそこかもしれません。

それでも、必死に自分なりの幸せの形を探すために踠いているのが、今の私なんだと思います。いつか、それが人並みの幸せじゃなかったとしても、自分なりに『幸せ』と思えるものを見つけたいです。

最近、エッセイと分類しながら日記のようなものしか書けていなかったので、内容はともかく、エッセイっぽいものが書けた自分を、幸せの第1歩として、まずは褒めたいと思います。

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