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人が、1年でできること、10年でできること

たまに思い出す、アンソニー・ロビンズの言葉がある。

ひとは1年でできることを高く見積もりすぎて
10年でできることを低く見積もりすぎてしまう

これとよく似た表現で、

多くの人が一年でできることを過大評価している
そして、十年でできることを過小評価している

と記されたものもある。


10年前に生まれた娘はすくすく育って御年10歳。

10年前に娘を産んだ母親もバタバタ過ごしてプラス10歳。

産まれたばかりの赤ちゃんなんて、もう希望しかないわけで、その輝かしい未来や可能性は無限大である。

一方、24時間を同じように生きているはずの大人はどうだろう。元旦に一年の目標なるものを掲げ、12月31日に自分の不甲斐なさを感じたりしてはいないだろうか?もちろん、掲げた目標の内容によりけりだけど。

0歳だった人間が10歳になるまでにできるようになった事を挙げたら、きりがない。同じように生きている大人だって、実は10年間に数え切れない沢山のことを経験してきたはずだ。


もうすぐ新年度。心新たに春を迎える人も多いだろう。

来年の今頃は、あの頃は、、、なんて思い返す人がいるかもしれない。
また桜が咲く頃、たとえ劇的な変化や手応えのある成果が得られなかったとしても、1年後のあなたは何かを成し得る途中にすぎない。

産まれたばかりの頃の果てしない可能性を思い出して、わくわくしながら、そのプロセスである1年、1年を楽しんで欲しいと思う。


この封筒は先日終業式に持って帰ってきた手紙。

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10年後に開封するそうだ。

覗き見したい衝動を抑えて、神聖な神棚に置くことにした。
絶対に開けないぞ。

彼女の10年後も、次の10年に続く、頼もしい未来であって欲しいと思う。


「余談」

小学校6年生の時、クラスのみんなで校庭にタイムカプセルを埋めた。みんなが30歳になったら開けようと決めていた。いや、まて20歳だったのか?

何を書いたか、何を入れたかさえ全く記憶にないので、是非ともその場に立ち会いたかったのに。なのに。なのに。

小学生の約束事なんてものは非常に曖昧でして。4月生まれもいれば3月生まれもおり、20歳だか30歳になるのはみなバラバラ。結果的に地元に残っている何人かでそんな事があったね、と話題になり、その時連絡つく人には声をかけたとか、かけなかったとか。引越ししてたり、地元を離れてしまったメンバーには声も届かず。

随分経ってから同級生づたいに酒の席でそんな風に聞いて、結果的に12歳の私のタイムカプセルは迷宮入りとなった。

タイムカプセルを埋める際は、発起人と副代表男女1名づつ、合計3人ぐらい、同級生達と連絡をとるのが苦じゃない、できれば地元で家業を継ぐような後継者候補から選出すると良い。

でないと、大人になってから酒の席で面白おかしく知る羽目になる。

是非。









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