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9.11が来るたびに思うこと

アメリカ同時多発テロ事件からもう20年。

あの日、テレビに映し出された映像は今でも鮮明に覚えている。強靭なアメリカの象徴に迷いなく突撃していく機体。まるで映画のワンシーンを観ているようで、今アメリカで何が起きているのか、脳の処理能力がしばし追いつかなかった。タワーが相次いで崩壊していく様子は、息を吸うのも忘れるぐらい衝撃的で、その日から何度も何度も繰り返し放送された。

崩れゆく貿易センタービルを目の当たりに、半狂乱になり泣き叫ぶ人、崩壊したタワーの瓦礫の側で呆然と立ち尽くす人、現場の様子を避難しながら伝えるレポーター。どれをとっても、今アメリカで起こっている現実とは受け入れ難い映像だった。


実は、テロが起こる数日前、最後のアメリカ出張から父が帰国した。早期退職も視野に入れていたので、日本への帰国便は正真正銘サラリーマン人生のラストを飾るフライトだった。

ちょうどワシントン辺りから国内線を乗り継ぎ、国際線で日本へと帰ってきたわけだが、途中、離陸直前の機内が慌ただしくなり、アラブ系の人が突如降ろされ出発が遅れた事があったらしい。
その後の日本への帰国便はまさかのWブッキング、急遽用意してくれたビジネスクラスに乗って優雅に帰ってきたわけであるが。

いつになく慌ただしいフライトだったと、離陸前の騒然とした機内での様子や、棚ぼたで乗れたビジネスクラスの土産話を聞かされた。でもまあ無事に帰国できて良かったよと皆で安堵した数日後、前代未聞のテロ事件が起こった。

テロ事件の真相は、何年も経過した今でも閉ざされており、史上最悪の事件に至った捜査資料は非公開になっている。

海外出張の多いサラリーマン人生だったが、いつもあんな事ないのに、あの時は色々あったと毎年振り返る父。なんか嫌な予感がしたんよ、というのは後付けだろうけれど。

当時、テロが起きるという噂は既に出ていたかもしれないし、空港もピリピリしていたのかもしれない。帰国日が数日違えば、ワシントン上空で父も巻き込まれたかもしれない。

たまたま運良く無事に帰国できただけで、ちょっとしたボタンの掛け違いの差で、ラッキーとアンラッキーに分かれた。

不可抗力とも言える運命の分岐点は、いつ何時誰に訪れるかはわからない。

生かされている現実をしっかり踏みしめ、生かされなかった命の分まで噛み締めて生きたいと思う。

正直、普段からこんな小難しいことを思って過ごしているわけではないし、危険が怖くて塞ぎ込んでいる訳でもない。
ただ、毎年9.11が近づく度に、ふとこんな風にリセットされるのも悪くないかなと思う。

多くの犠牲の先にも未来はやってくる。

一年後の今日も、明るい一日でありますように。


最後までお読みいただき、ありがとうございました。🛩

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