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長崎市滞在-2022/12/09

今日は「グラバー園」へ。

ここは居留地時代に建てられた洋風建築が一堂に会しており、クラシックな庭や雄大な景色がのぞめる場所だ。

ホテルから歩いて行き、全国旅行支援の地域限定クーポンで入場券を買い、エスカレーターのような長い"動く坂道"に乗って山の上へ。昔から洋風建築が大好きなので、心を躍らせながら園内を回った。

園内の建築物は、全体的に洋風でありながら瓦は日本風だったりとまさに和洋折衷である。

そこらじゅうにある展示パネルで色々な歴史を学べるほか、例えばグラバー邸では玄関ポーチの天井を広く見せるため材木がほんの少しアーチ上にしならせてあったり、元々生えていた木を切らずにその場所に温室を建てたりと、建物について勉強できるのも面白い。この温室の木に関しては、ぜひ「グラバー邸 よんご松」と検索して出てきた写真を見てほしい。巨大な木が繊細な作りの屋根をぶち抜いて生えていて、だいぶ笑ってしまう。

よく晴れた日で、コロナ禍の平日でも観光客がそこそこいた。

入場券を買った時、グラバー邸をバックに写真を撮ってもらえる無料券を渡されていて、たまたま撮影場所に行き着いた。ちょうどカメラマンさんの手が空いており、せっかくなので撮っていただくことに。楽しそうな家族連れやカップルに囲まれつつ、ひとりでカメラの前へ促されてとても恥ずかしい。カメラマンさんに元気よく「ながさきぃ〜と言ってください!」と言われ、照れまくりながら小さく「長崎ぃ」とポーズを取った。

すぐに写真を印刷して渡してもらい、記念に豪華版の大きな写真も買わないかと言われたが、自分一人の写真を持っていても虚しいのでお断りする。

特に目的もないので、ひたすら園内の展示パネルを読んでいくことにした。

グラバー邸は、日本に現存する最古の木造洋風建築らしい。
1898年に建てられた高級ホテル「ナガサキ・ホテル」で使用されなくなったカトラリーが、それらに刻印されたイニシャル「NHL(The Nagasaki Hotel Limited)」と同じ奈良ホテルに譲られたという面白い話もあれば、

グラバーの息子の倉場富三郎が、戦時中いわゆるハーフである自分に悩み、最終的に原爆で生き残ったにも関わらず終戦直後に自決してしまったというやりきれない話まで、たくさんの長崎の歩みを学ぶことができた。先日出島で見たレストラン「長崎内外倶楽部」をその富三郎が作ったと知って、伏線回収のような気持ちになる。

しばらく歩き回っていると、「西洋料理発祥の碑」の石碑とともにレストランが現れた。開港に伴い、長崎で西洋料理が広まったようだ。

せっかく洋食に縁のある場所なのでここでランチをするか迷ったが、美味しいものを一人で食べると寂しくなってしまうタイプなので控えることに。

園内を一通り見たので出口に向かったところ、直前で「長崎伝統芸能館」という建物が現れた。中に入ると、広い休憩所のようなところで大きな映像が流れている。「長崎くんち」という、10月に長崎で盛大に行われる祭りの紹介動画だ。

長崎くんちは、当時の長崎のお上がキリスト教を禁止し、人々の目を逸らすために広めたという氏神の盛大なお祭で、町ごとに出し物や衣装が決まっている(とはいえ、厳しくキリスト教を弾圧すると貿易ができなくなるのでそこは比較的緩かったそうで、組織としての本音と建前の兼ね合いが現代と似ていて面白い)。

祇園祭の鉾のように様々なデザインの曳物があり、オランダ船をモチーフにした山車や、中国系の出し物である「龍踊り(じゃおどり)」など、外国の香りがするのも港町らしい。「長崎刺繍」という、綿を詰めた上から刺繍することで立体的に見せるといった技術も光る。

薄々感じていたが、ここへきて、長崎の人は一年を通して様々な宗教を乗りこなしているのだと確信した。彼らは10月に長崎くんちを派手に行い、クリスマスはキリスト教会に行き、お正月は初詣で神社めぐりをし、旧正月は街中に中国のランタンを掲げてお祝いする。この土地の真面目な宗教者はどう折り合いをつけて生きているのか気になった。

土産屋でカステラを7本買った後、すぐ近くにあった「祈りの丘 絵本美術館」に入ってみる。

まさにヨーロッパの絵本に出てきそうな庭と洋館で、中にある書店には、子供時代にCDを聴いていたマザーグースや、高校時代に友達とハマっていた絵本雑誌のMOE(モエ)など、思い出をくすぐるものが詰め込まれていた。

ひととおり楽しんだ頃、ちょうど夕方に差し掛かったので、昨日観そびれた夜景を観に丸善団地へ行こうと思い立つ。

調べるとバスの時間が迫っていたので、新地中華街で角煮まんやちまき、長崎グルメの「ハトシ(エビのすり身を食パンで挟んで揚げたもの)」などを買って帰り、ホテルで急いで食べてからバス停へ。ところが、30分に一本のバスが25分遅れている。昨日のバスの遅れも思い出し、当時のメモには「わたしゃフランスにきたんか?」とぼやきが書いてある。

バスに乗ったあたりで空が暗くなり、着いたら街は真っ暗だった。

丸善団地の夜景は想像通りちゃんと綺麗で、しばしたたずむ。側から見るとただの住宅街でぼーっとしている人なので、怪しまれないかとハラハラしながら写真を撮った。夜景を撮るのは難しく、自分が感じた綺麗さがうまく映らず困る。

夜景を観るのは10分もあれば充分で、さてどうするかと考えていた時に、ふと思い出して、昨日電話番号を教えていただいた丸善団地の自治会長さんに電話をかけてみた。子供さんが出て、怪しまれつつなんとかご本人に繋いでいただいたものの「この街を描いた作品の、販売許可…?展示…?私ではなんとも..」といった具合で、当たり前だがめちゃくちゃ反応に困っていらっしゃる。個人では答えづらい内容だろうし、これは勝手にやってお互い見て見ぬふりが一番良い形なのだろうと感じた。一応住民の方々に共有してくださるとのことなので、とりあえず作家名と本名、電話番号を伝えておく。

結論を言うとこれより返事がなく、丸善団地で風景作品の展示をすることは諦めた。

帰りは坂の下の一本木駅からバスに乗る。行きと系統番号が違い混乱したが、無事にホテルへ帰還。すぐにお風呂へ入り、初めてコインランドリーで洗濯をする。数日分の量なので、ハンガーやピンチハンガーを持ってきておいてよかった。

今夜は、洗濯物の湿気があるから眠りやすいだろう。

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