ニンジンの発芽直後の雑草との関係について、お釈迦様は修行中、野獣と一緒にいた件と福音書との比較他
「原典訳 原始仏典(中村元編)」にウルヴェーラー近くの森でお釈迦様が修行していた時のお話として、「そこにいるわたくしに獣は近づき、孔雀は木の枝を落とし、風は落葉を吹き動かした」とあります。
新約聖書のマルコ福音書には、「それから、霊はイエスを荒野に送り出した。イエスは40日間そこに留まり、悪魔の誘惑を受けられた。その間、野獣と一緒におられたが、天使たちが使えていた」
とあります。
つまり、お釈迦様もイエス・キリストも修行中に「野獣」と一緒にいる体験をしているわけです。
ところで、イエス・キリストの方は、マルコ福音書では、野獣と一緒にいる件と悪魔の誘惑が「セット」になっています。
しかし、原始仏典では、お釈迦様が野獣と一緒にいたのは、ウルヴェーラー近くの森でのお話で、悪魔の誘惑を受けるのは、ネーランジャラー河の畔でのお話で、それぞれ別のお話です。
ただ、お釈迦様は「ウルヴェーラーのセーナー聚落に入った。そこに愛ずべき地域、うるわしの森林、流れ行くネーランジャラー河」とも仰っているので、悪魔の誘惑を受けた場所と野獣と一緒にいることになった場所は近いかもしれませんが・・・
マルコ福音書は、イエス・キリストが悪魔の誘惑を受けたと言っているだけで、その誘惑の内容や顛末については詳しくふれていません。
詳しく書いているのは、マタイ福音書で、こちらには、野獣の事は出てきません。
まとめると、
原始仏典:
ネーランジャラー河の畔 ◎悪魔の誘惑(顛末を詳しく記載) ☓野獣
ウルヴェーラーの森 ☓悪魔の誘惑 ○野獣
新約聖書:
マタイ福音書 ◎悪魔の誘惑(顛末を詳しく記載) ☓野獣
マルコ福音書 ○悪魔の誘惑(顛末の詳しい記載なし) ○野獣
です。
おそらく、アレキサンダー大王にくっついていったミリンダと言うギリシャの王様が、インドで仏教のナーガセーナー長老と対話する「ミリンダ王」の問いと言うのがあり、インド・中近東・ヨーロッパの間では、思想の相互交流があったと見られます。
聖書と仏典の「相互交流」もあったとしたら面白いですね。
さて、2/18に種まきしたニンジンが発芽し、早いものでは本葉も出てきました。一方、同じ畝の中で徐々に雑草も生えてきています。
草取りをしながら、思ったのですが、まず、ニンジンの種まきした時、畝の表面をきれいに均して、雑草がないようにしました、しかし、その後、2週間前後で発芽し始めた雑草の根は、早くも4cmぐらいの深さになっています。
雑草がニンジン近くにある場合、無理に耕して、雑草を除去しようとすると、ニンジンもなくなってしまいます。
ですから、雑草を「毛抜」のように一本一本抜いていくしかありません。この際、雑草が既に5ミリぐらいに育っている場所に「未発芽」でこれから芽を出そうとしているニンジンがあったらどうなるでしょうか?
雑草を毛抜で抜くように抜いたとしても、周りの土を少しは動かします。その際、発芽しようとしているニンジンを傷めることはないでしょうか?
つまり、「ニンジンの発芽率」を考える場合、発芽してこないニンジンは種が悪かったとか、その地点の土壌水分が不足していたなど、何らかの「ニンジン側の事情」を考えがちですが、
実はそうではなくて、ニンジンの種としては発芽しようとしていた、しかし、先に雑草が生えてしまった、と言うこともあるのではないかと言うことです。
実際、今回、5mm~1cmぐらいの雑草の陰に、2mmぐらいのニンジンの芽が隠れているのを発見しました。
こういうのを見落としていて、ニンジンがないと考えて、雑草を取ろうと言うように作業していたら、このニンジンの芽も一緒になくなっていたかもしれません。
ニンジンは発芽に水分と光と酸素を必要とします。水分が必要なだけだったら、深く埋めればよいのですが、そうすると、光と酸素が不足します。
光と酸素が供給されるように浅く埋めると、地表が乾いてきて、水分が不足しかねません。
ですから、ニンジンの発芽率を向上させるのは、けっこう難しいのです。今回の観察及び考察をもとに、改めてニンジンの種まき方法の再検討をしたいと思います。
昨日は、曇時々雨と言う予報でしたが、実際には日中は一時を除いてほとんど小雨が降っていました。
ネギ、リーキ、アスパラガス、水菜、チンゲンサイ、小松菜の種まきをしましたが、よく発芽しそうです。
この先も何日か、一日のうち、いずれかの時に雨が降る日が続くと予想されています。
明日は、ニンジンとサニーレタス、ブロッコリー、キャベツの種まき予定です。
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