「できない」
この言葉にはちょっとした思い入れがあって
まずはこちらの動画
https://youtu.be/scHOjjTTx20?si=i4aR5bFYaCuzuuOz
言わずと知れた「ゆらゆら帝国」
そのフェスの映像。
オープニングからの曲の入り、そして次の
「あえて抵抗しない」
カッコ良すぎる!
いやえっと、ゆらゆら帝国についても書き残したいけど
それはまた別の機会にして
「できない」
最近この言葉にすごく反応してしまう。
極論、「死なない」とか「眠らない」とかの
自然の摂理から反してそうなこと以外は
「できる」というか、「今はできていないだけ」
なんじゃないか。と思う。異論は受け付ける。
だけど最近反応するのは
簡単に「できない」って言い過ぎじゃない?
ってこと。
誤解のないように先に書くけど、
「できない」と言うのはとても大事。
だから最初にゆらゆら帝国を持ってきてるのよ。
要は、
どうしようもない時がある。
できないって知られたくない、悔しい
でも限界だ。
言ってしまおう
「できない」
でもいつか、きっといつか
私ができなくても、
何か違う方法を見つけ出して、
「できる」
と言える日が来る。
そのための今を。
って言う方がかっこいいとも思ってる。
だから
「できない」は言っていい。
また話がそれた。
簡単に言い過ぎじゃない?
って思うのはまぁ色々あるのだけど
主に思うのは行政の縦割り感とかさ。
福祉分野の縦割り感とかさ。
業務ってなぜこうも専門性が確立されて別れていくと
一体的な運用ってやつが難しくなるんだろうね。
前からずっと思ってて、書きまくっているけど
「貧困」は現象だからな。
貧困支援でアウトリーチするから引きこもり支援のプロですね。
なんて、
貧困は現象だし、
アウトリーチは手法だし、
ひきこもり は状態だし、
居場所は手段だからな、
支援はプロだからこそ、
全て噛み締めて携わっていくのよ。
だから断らないよ私は。
他の困窮者支援を標榜する方には、
それはあちらの分野の、、、
どこそこの課が窓口で、、、
なんて話はあるのかもしれませんね。
というわけで、
「できない」ってところには
需要があるのよ。
仕事の説明に行くたびに、
「受信同行してくれるんですか?」
って聞かれます。
要はそちらではできないんですね。
じゃあやりましょうとも。
そんな感じで、
「できない」探し。