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初海外、初一人旅でインドへ笑

皆さんこんばんは!SAIです(*´ω`*)

月曜担当と言いながら気づけば、しょっぱなから12 時を越えている。なんてことでしょう(笑)これは公開設定を月曜にしてしまおうか。と姑息な考えも浮かびましたが(笑)考え改めました。自由に行きましょう〜、何故なら、私は自由人ではあるけれど、超がつくほど根が真面目なので自分を責めやすい。それならいっそ『お、SAI月曜にちゃんと記事かけてるじゃん!偉い!』路線を狙おうと思います( ˙-˙ )笑

と壮大な言い訳から始まった第1回です。笑

何を書こうかなー。と思ってたんですが、インドの事が浮かんだのでインドについて書きます(^^)私は初海外初一人旅で、インドに行きました。しかも、、、

観光ビザで4ヵ月

普通なら3ヵ月なのに、何故そのビザが通ったかは未だ謎ですが、10年も前になるのでゆるかったのかもしれません。(でも大阪のビザ発行所のインド人のおっちゃんめっちゃ怖かったけど。笑)

『初海外初一人旅で、インド?!』とよく驚かれるのですが、何故インドだったかと言われたら、インドが呼んでいたとしか言えない気がします(笑)しかも、英語も話せない。インド行きを決めて1ヵ月でインドにいたので、予備知識も一切ない。スリランカに海外協力隊に行っていた母の友達と、両親に荷物を少なくさせられ、2.3日のデイバック?のような小さなバックと、セーフティーバッグ、小さなショルダーで向かった4ヵ月の旅。今では勢い以外の何物でもなかったなと思います。でも、私の放浪癖はインドから始まりました🇮🇳

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4ヵ月のルートは、コルカタから始まり、マザーテレサの障害を持った子ども達の家、そこから南インド以外はぐるっと廻りました。1週間ごとに、街を渡り歩く生活は、私にいろんな世界を見せてくれました。

ある時は、2時間カシミール刺繍の小さい店でお兄さんの話を聴き、最後には買ったものよりおまけが5倍くらいになったり、出張物乞いと出会い駆け引き勝負をしたり、日本人の先輩と合流して、リシケシに滞在。ガンジス川を眺められるバルコニーがある階が貸し切りで、毎日ガンガーを眺めながら語り合ったり。唯一の外行き用の服を猿に盗まれたり(笑)砂漠にラクダサファリをしに行って、まさかのテントではなく、砂漠に布団をひいてガイドのおっちゃんと二人きりで寝たり!(おっちゃんは秒で寝て、私はほぼ寝れず。)そして、起きたらラクダが逃げてて、おっちゃんが慌てて追いかけたり。

他にも様々な事を経験したインドの旅。

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ケータイも持たず、連絡を取れるのは町場のインターネットカフェ。しかも、日本語が入ってるとこは少なくて、全部ローマ字で送った大量のメール(笑)スカイプで両親と繋がった時の感動。(時差計算出来てなくて、すぐ切られる事件w)『〇〇駅の時計台の下で2時間だけ待つ。2時間待って来なかったら、各自で現地に向かう』と一日置きのメールで、ちゃんと会えた時の喜びと感動。

不便な何も持たない中の必然の奇跡は、インド人の優しさをいっぱい感じた。危険な国と言われるけど、行ってそこに滞在したからわかる暖かさがインドにはある。私は、昭和の時代は生きてないけど、東京オリンピック前戦時後復帰の時代に持っていただろう日本の暖かさと似ていた。

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コロナが世界的に流行していろんな事が変化していっている今、なぜ私はインドを思い出したのだろう。それはきっとあの時感じた人々の暖かさが今この時期を生きていく手助けになるからじゃないだろうか。この混乱期だからこそ、見える世界。世界が見せてくれる世界がある\( 'ω')/

そこにいるから見える世界が。

これを見ている誰かが、どんな状態であろうと目を閉じないで欲しいと思う。そして、私自身が『今、ここから』を生きていきたいと。

長くなりました!今みんなが大変な時期だと思います。今週も1週間が始まりましたね。いつでも今、ここから始まると前を向いて生きたいなと思います\( 'ω')/

それでは皆さん。良い1週間を✨

SAI




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