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「窮屈な心身」の先にあるもの

『窮屈はいけない』

窮屈な場所に窮屈にすわっていると
血のめぐりも悪くなって脚もしびれる。
身体が固くなって自由な動作がとれないのである。
無作法は困るけれど、窮屈はなおいけない。
やっぱり伸び伸びとした自由自在な姿が欲しいものである。

どんな場合でも、窮屈はいけない。
身体を窮屈にするのもいけないが
心が窮屈になるのはなおいけない。
心の動きが鈍くなって、よい知恵が出て来ないのである。

ものには見方がいろいろあって
一つの見方がいつも必ずしもいちばん正しいとはかぎらない。
時と場合に応じて自由に変えねばならぬ。
心が窮屈ではこの自由自在を失う。
だからいつまでも一つに執して
われとわが身をしばってしまう。
身動きならない。
そんなところに発展が生まれようはずはない。

万物は日に新たである。
刻々と変わっていく。
きょうは、もはやきのうの姿ではない。
だからわれわれも
きょうの新しいものの見方を生み出していかねばならない。

おたがいに窮屈を避け、伸び伸びとした心で
ものを見、考えていきたいものである。

松下幸之助 著 「道をひらく」より

自分が「正しい」と信じている情報、正義、生き方

本当に、正解はそれだけなのだろうか?

自分の正義を振りかざして他者を批判し見下し押さえつけ、相手を変えることに躍起になってはいないだろうか?

「世界を変えたい」「みんなにも分かってほしい」

その根っこにある思いがいかに善意に溢れたものだとしても、戦いを挑むことからは決して愛の連鎖は生まれないのだと思う。

わたしの頭は、心は、人間関係は─ 気づかぬうちに窮屈になっていないだろうか?

好きなものだけを食べ、好きな人だけとつながり、好きな情報や意見だけを取り入れてはいないだろうか?

もちろんそれは現代の私たちに与えられた大いなる恩恵ではあるけれど、実は「自由に見えてものすごく偏っている」世界の見かたであるのかもしれない。

伸び伸びとした頭と心で見る世界って、それを超えた先にあるのかもしれないな─松下さんの名言にふれ、そんな事を思うのでした。

Kana


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