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アガベスピリッツの歴史(ル・プチメック コラム)

この記事は2019年5月1日にル・プチメック コラムに寄稿した記事の全文転載です。

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メキシコの蒸留酒「テキーラ」は、その原料に「アガベ」という植物を用いることからアガベスピリッツとも呼ばれている。強いアルコール、すぐに酩酊、危険など、、依然として敬遠されてしまう印象が強い「テキーラ」。ラテンアメリカにある陽気な国・メキシコの代名詞にもなっているかと思うんだけれど、メキシコのイメージもテキーラと重なるところが多いかも知れない。

そんな世間のイメージはいろいろと積み重なってきたものでもあるし、余程のことがない限り変わらない。このコラムでも僕はメキシコやテキーラに関する投稿もしているけれど、微力ながら何かに繋がればと思っている。

テキーラは飲み比べの代名詞か。
メキシコと日本との接点

さて、メキシコのある中央アメリカには、紀元前から高度な先住民文明「メソアメリカ文明(オルメカ、マヤ、アステカなど)」があった。しかし、その時代の終焉と重なるように16世紀初頭、ヨーロッパは大航海時代に入り、多くの国がフロンティアを求めて海洋に出ていくようになって、アステカ帝国はスペイン人による略奪によって滅亡する。その後、スペイン帝国の植民地となり「ヌエバ・エスパーニャ(新しいスペイン)」と呼ばれるようになった。大きな時代の節目だろう、さまざまな文化が断裂する機会でもあったと思われる。

メキシコには先住民文明の時代からトウモロコシ、アニス、チアシードなどの植物で作った醸造酒がある。その一つであるアガベ(竜舌蘭)と呼ばれる植物は、葉は家屋の屋根や燃料となったり、液汁は傷の手当や治癒に使うだけでなく、アステカ神話からの伝承もあって、発酵させて作ったお酒「プルケ」を神官が儀式で用いるなど、とても深く生活文化に関わるものであった。

新天地ヌエバ・エスパーニャで生活を始めたスペイン人は、現地での酒造りを模索する中、グアダラハラ市近郊にあるテキーラと呼ばれる地域にて、アガベを原料とした蒸留酒「Vino mezcal de Tequila(テキーラのメスカルワイン)」を開発されたと云われている。

日本は江戸時代、1700年代後半から1800年代にかけて、アメリカ独立、フランス革命、スペイン独立など、ヨーロッパを中心に世界の均衡が崩れていく。その影響もあってメキシコも1810年にはヌエバ・エスパーニャからの独立を求め戦争が始まる。不安定な時代が功を奏してヨーロッパからワインの輸入が困難になった影響もあって、メキシコ国内では富裕層を中心にテキーラの需要が高まっていった。

そして、日本は幕末から明治時代に入る19世紀後半、世界情勢も安定するにつれて、ヨーロッパからのワインの輸入が回復すると、富裕層におけるテキーラ消費が下がってくるタイミングで、テキーラは庶民へ広がっていく。1910年にはメキシコで民主革命が起こり「メキシコ合衆国」が誕生する。奇しくも庶民のお酒として広まっていた「テキーラ」がメキシコ国民の誇りとして讃えられるようになるのだ。

アガベを使った蒸留酒「アガベスピリッツ」はメキシコ各地でも地酒のように作られるようになるんだけれど、1974年に「原産地呼称制度」を導入することで「テキーラ」という分類が改めて確立される。1994年にはアガベスピリッツの一つとして「メスカル」も原産地呼称制度を確立し、テキーラと同じように認知も広がっていくことになる。

以前もこのコラムで述べているが、ざっくり説明するとメスカルという分類の中にテキーラがあって、スパーリングワインという分類の中にシャンパンがあるのと同じ関係と理解するとわかりやすいだろうか。

原産地呼称制度とはトレーサビリティの一つで良いかと思っているが、ワインでいうところのAOC、DOC、DOなどの略称を持つ仕組みで、原料の産地や製造工程などを厳密に管理することで品質を安定させ、製品の信用に繋げている。いつの時代もモノがあふれかえると、差別化して価値付けし、生き残っていくことは同じなのだ。アンテナはちゃんと張っておいた方が良いな。

ちなみに、冒頭写真はメキシコ南部・オアハカ州にて作られる PIERDE ALMAS(ピエルデ・アルマス)と呼ばれるメスカルです♪

この記事は2019年5月1日にル・プチメック コラムに寄稿した記事の全文転載です。

そして、この記事の編集後記はこちら。

#コラム #アガベ #メキシコ #テキーラ #メスカル #歴史

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