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数千年前の銅鏡から始まって、ひたすら和鏡を磨くのは山本合金製作所の五代目鏡師

#先日の余談

銅鏡(どうきょう)
その歴史は古く中国の「商(殷とも呼ばれる)」の時代から始まったとされている。殷墟時期(紀元前1300年?今から3000年以上前の話)の遺物に青銅鏡らしいものが発見されているという。日本国内では数百年遅れて弥生時代から古墳時代にかけて、三角縁神獣鏡などの遺物が多く発見されている。(紀元前900年〜紀元後600年?あたり)
− Wikipediaなど参照

ちょうど半年ほど前に発足したとある部活動(まちなか美術工芸部)の「祈る銅鏡」というイベントに参加したので備忘録としてまとめておく。(前回のまとめはこちら


泉屋博古館 青銅器館「中国青銅器の時代」

世界でも有数の青銅器(主に中国)を保有する博物館。住友家15代当主住友友純(春翠)が収集していたものを、後世に残していこうということで整えられ、昭和61年(1986年)に京都の鹿ヶ谷(かつての住友家の別荘地)に建てられたのが「泉屋博古館(せんおくはくこかん)」。ちなみに東京六本木にも分館がある。

今回、午後から山本合金製作所にて現代の銅鏡づくりを見学することもあって、泉屋博古館では青銅器の中でも銅鏡をポイントに絞って鑑賞しようと入館するも、青銅器の歴史とその展示品だけでも非常に厚みがあって、とても時間が足りず後半は足早になってしまった。(常設展なので何度も行ったらいいかと思う、そういえば20年ぐらいに前に行った記憶があるんだけれど、ちょっと間が空き過ぎた!)

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泉屋博古館は主に中国の遺物を収集されており、さらに遺物調査も文章化されていることもあって、ガイドの説明や簡単な資料も持ち帰ることができる。その中でも「青銅鏡」について見聞きしたことに僕の印象も加えてまとめておく。

今から3000年以上も昔、中国の初期王朝の一つ「商(殷とも呼ばれる)」の時代とみられる丸型(円盤)の青銅器が発掘されており、これが最古の青銅鏡ではないかと云われている。古代の遺物には円盤に柄がついた柄鏡の存在もあるそうだが、日本と同様、多くの遺物は「丸型」になっている。

そもそも青銅とは銅と錫との合金で、いわゆるブロンズと呼ばれるもの。金属加工品として世界中にその遺物が残っており、現在でも鋳物の代表的な素材となる。型に流し込んで造る手法の利点としては現在も同じであって、砂型などで精密に造形したものを金属として加工する際にとても有効であり量産にも向いている技術。(なんと!奈良の大仏も同じく鋳物。ニューヨークの自由の女神は銅製だけど鋳物じゃないらしい♪)

中国では周・漢時代あたりから青銅鏡が非常に多く発掘されるようになる。それ以前の鏡となると桶に水を張った「水鏡」を用いる方が多かったとされており、甲骨文字の「監」は皿の張った水を上から覗く人の様子を記号化した漢字の成り立ちからもその説明がつく。(スゴイ♪)

また、その当時に凹面の銅鏡の原型と鋳型が出土していることから、凹面鏡として太陽の光を集めて火を得ていたようで、銅鏡は神聖な道具としても利用されていたと推測できる。

鏡面の背面(裏側)に描かれる彫刻の多くは四神(青龍・白虎・朱雀・玄武)などの神獣や十二支、山などを表す三角や四角などの抽象記号を用いることで魔物を退治する道具に用いるられるだけでなく、天界を「円(丸)」とみなし、人界を「四角(矩形)」として文様に意味を持たせ、銘文なども組み込み、長寿、子孫繁栄、立身出世など人の願望を吉祥図として描き出されることもあった。

日本においては、中国よりも数百年後の弥生時代から古墳時代ごろの出土から確認されているが、中国と日本では銅鏡の歩みに大きな違いがあるんじゃないだろうか。ちょうど令和元年ということもあって、耳にすることもあった三種の神器の一つである「八咫鏡」のように、鏡そのものを天照大御神の「御神体」とされているなど、全国の多くの神社でも同じようにその神社の御霊代(みたましろ)として祀られている。数は少ないと言えど日本の銅鏡は今も神聖な道具になっている。

(そういえば、北野天満宮のずいき祭りでのご奉仕で本殿に入ってお祓いを受けるが、本殿の中は無数の鏡に覆われている。あれは御霊代じゃなく、魔除けの役割のようである)


山本合金製作所 和鏡製造の見学&ワークショップ

鹿ヶ谷にある泉屋博古館から京都市バス(100)に乗って、京都駅に向かって、休憩がてら参加者らとランチをしてから、JR嵯峨野線に乗って、ついこの間できたばかりの新駅「梅小路京都西駅」で下車。壬生川通を少し上がったところに、時代が止まったかのような哀愁漂う「山本合金製作所」の看板が見えてきた。

出迎えてくれたのは山本晃久さん(5代目)。改めて記憶を思い返していると初めてお見かけしたのは2010年。今は「リッツ・カールトン京都」となっている場所に「ホテルフジタ京都」があって、そこで開催されていたとある勉強会だっただろう。その頃から、すでに晃久さんは鏡以外にもいろいろ模索されていた。その後も何処ぞのイベントですれ違うことがあったかな。淡い記憶ー。

さて、山本合金製作所は、江戸末期(慶応2年/1866年)に創業し、金工職人としての仏具などの制作の他、日本でも数少ない手仕事による銅鏡(以下、和鏡)の制作を行っている。日本では神社の御霊代の他、江戸時代にもなると町衆にも余裕が生まれると手鏡としての需要が生まれた。しかしほどなくガラス製の鏡が安定して供給されると、金属製の和鏡を製造する多くの職人は廃業していったという。

結果として神聖な御霊代としての和鏡が残ることなり、山本合金製作所では全国の神社から修復の依頼を受けている(新規は稀)。奇しくも扱う品が日用品でなくなり、神具であるからこその古典技術であり、手仕事が必然になっているようであった。

また、海外から取材や見学に来られる方の多くは、山本合金製作所が行っている仕事に特別なことを感じ取られているという。神具に関わる仕事はアートでもなくクラフトでもないのかも知れない。(日本人はそのあたりもう少し言語化しておくことで、捉えどころがないような文脈を腹にすえることができる気もする。美術と工芸という分類も近代だったか...)


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和鏡造りでは融点を超えて溶けた金属を流して加工する「鋳造」という技術を用いる。その雌型原型を真土と呼ばれる粘土と砂が配合された材料で造る。真土は乾燥すると固まるため、適時水分を加えると柔らかくなってヘラを用いて造形していくのだが、反転している造形は熟練が要するようだ。(鏡師と言えど♪)

山本合金製作所の鋳造工場は別の場所にあって、同業の鋳造業者との共同工場だという。今回訪問した工場は原型造作と仕上げ(磨き)工程を行うようであった。

以下、晃久さんのデモンストレーション

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まずは金ヤスリで平面を整える

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アーチ型の刃物になっている「鏟(セン)」という道具で削りだし

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セン痕を砥石で整えてから、研炭である「朴炭(ほおずみ) 、駿河炭(するがずみ)」で磨き仕上げとなる。(研炭は蒔絵など漆職人も利用している)

余談:その研炭の製造も危機的状況だと聞く!(日本伝統工芸近畿展図録
ネットを見る限りは何とか伝承されている気もする♪(伝統工芸木炭生産技術保存会



魔鏡について

江戸時代の鏡造りの中でも特出して興味深いものがある。当時、日本ではキリスト教徒が幕府によって弾圧されており、彼らが人目を隠れて礼拝するために生み出されたのが「魔鏡」と呼ばれるものだ。一見、何処にでもある和鏡だが、光を当てるとその反射光に信仰の対象となる十字架やマリアなどの「隠されていた像」が浮かび上がるのだ。

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魔鏡の仕組みを図解化してみた♪
金属は薄くなると膨れ上がり歪みが生じる性質がある。その特性を利用し、光を当てると膨れ上がった箇所だけが乱反射を起こし、歪みの無い部分と比べて暗くなるのだ。

魔鏡は御霊代よりもさらに需要がないこともあって、その技術は伝承されることはなく途切れていたようだが、山本晃久さんの祖父がその技術の再現を成功されたことで、手仕事で魔鏡を造る山本合金製作所の存在は唯一無二となっていく。

その功績の一つに、2014年に安倍首相(第2次内閣の頃)がローマ法王に「隠れキリシタンの魔鏡」を献上している。その魔鏡を作ったのは四代目である父と五代目の山本晃久さんの合作である。(うる覚えだけど元の型は祖父が途中まで作っていたと言っていたかな?そうなると三代の連作やん!)


和鏡造りのド短期体験

積極的に工房見学の受け入れとワークショップをされているようで、熟れた流れで進行していった。今回は10名ほどが参加しているが、一人ひとりへのサポートも丁寧にできるちょうど良い人数だそうだ。

手のひらに収まるぐらいのミニチュアの和鏡や、鋳造時に漏れた余りが固まった欠片が「磨く」素材として提供される。

ド短期磨き体験(およそ1時間ほど)としての特別な工程にカスタマイズされており、金ヤスリ、サンドペーパー(3段階)、朴炭(ほおずみ) 、駿河炭(するがずみ)、最後はコンパウンド(おそらくピカールに違いない♪w)、そして磨きクロスによる仕上げ。

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晃久さんのデモンストレーション。研炭で使う水が入っている容器が「木桶」ってのもけっこう利いている気がする。(何処製か見るの忘れた!)

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腕が多少筋肉痛になった気もするが、無心で磨いた俺の結果。

今日も充実した一日でした。


追記:
以前、銅の経年変化である「緑青」について、まとめたことがあるので紹介しておく。
追記:
先日購入した書籍に「魔境」の項目があった♪
『工芸と文明』(吉田光邦 1975年)
山本合金製作所への取材である。晃久さん(5代目)の祖父にあたる方であろうか、真治さん、八郎さんというお名前が出てきます♪

#銅鏡 #和鏡 #魔鏡 #歴史 #工芸 #金工 #鋳造 #文脈



僕のnoteは自分自身の備忘録としての側面が強いですが、もしも誰かの役にたって、そのアクションの一つとしてサポートがあるなら、ただただ感謝です。