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~謝辞~
意図した訳ではないにせよ私に執筆の機会を与えてくれた谷口一平氏に感謝を、日本でのハーマンの思想の火を絶やさぬようお仕事に励まれて来た川中子義勝先生に深い敬意を表します
はじめに
本論は、谷口一平氏の『マイナス内包としての性自認の構成』に触発された論考である。谷口氏の論文内では、彼のキルケゴール解釈のみを問題にする。私には「マイナス内包」なる、どうやら日本の分析哲学上のものらしい概念を、理解し語る能力も意欲も興味もない。
谷口氏は、キルケゴールの原罪論を精緻に適切に読み解いている箇所もあれば、うまく捉えきれていない(ように私には読める)箇所もある。後者はキルケゴールが明記しているにも拘らずの欠落なので、読み落としと言えそうである。それはある程度は谷口氏側の関心の所在によるのかもしれないが、またある程度は、キルケゴール側の原罪論の聖書に照らしたかなりあからさまな間違いに惹起されているようにも思う。よって、本論では、キルケゴールの間違いを指摘し、聖書の記述に基づく原罪論も正しく伝える。
のみならず、キルケゴールが犯した間違えの思想史上での意味にも批判的考察を施す。結論を最初に簡潔に述べておけば、キルケゴールも当時蔓延していた異教世俗主義的発想から抜け出せきれなかったのだ。この世俗主義的発想は、日本の西洋思想受容史の中で当地で以上に幅を効かせているので、私達にとっても他人事ではない。
ゆえにさらに、この発想から抜け出す為の解毒剤として、キルケゴールが影響を受けた思想家、ヨハン・ゲオルゲ・ハーマンを紹介する。解毒のためには聖書や神学だけでは十分ではない。なぜならば、聖書や神学それ自体は、時代及び地域制約的な個々の異教思想と戦わないからである。戦うのは、異教思想の内容を熟知した上で、聖書や神学に基づいて攻撃を繰り出せる宗教思想家である。キリスト教の力が特に弱いこの日本において、世俗的な哲学に通じた上で、聖書や神学をそこまで使いこなせる程の、豊かな教養と冴えた洞察を兼ね備えた人間が、私も含めてそうそういるとは思えない。キルケゴールはこれまで、そのような宗教思想家として、日本の西洋思想受容史上においていまだ越える者のない格別の地位を占め続けて来ていたのだろう。日本だけの話でもなく『不安の概念』の話でもないが、以下の引用を見て欲しい。
誤謬があれば論駁できるだけの識者層が日本に比べ遥かに厚かろう、ユダヤ・キリスト教文化圏を含んですら、キルケゴールの代表作の影響力はかくも甚大らしい。そのキルケゴールが、哲学的名著とされる『不安の概念』の中の「創造と堕落」理解においては、かなりあからさまに間違っているのである。さすがにそれを、欧米やアジアアフリカのキリスト教徒達が何の疑問も抱かず受け入れる心配はなかろうが、しかし我が国は、キリスト教の教勢の弱さで群を抜く日本なのだ。平信徒でも簡単に斥けられる程度の間違いが、偉大な宗教思想家の権威に基づいて、ある種洗練された読解の装いの元まことしやかに浸透し、人々のキリスト教理解を眩ませてしまうような不幸は大いに起こりうる。それは、キリスト教の真の姿を人々に見失わせない事に心血を注いで生涯を捧げ、文字通り途上で倒れ息絶えたキルケゴールの遺志にとっても、本望ではあるまい。
キルケゴールが失敗したところで失敗しなかった宗教思想家ーーそれこそがハーマンに他ならない。キルケゴールは、死後読まれる事なく埋もれていたハーマンを掘り起こし、思想史上に取り戻した第一功績者でもある(*¹)のだが、18世紀の思想家としては目を瞠るべきハーマンの性思想には、編集事情のせいで資料的に辿り着けなかった(*²)らしい。『不安の概念』に顕著な、実人生にも浸透したとおぼしい、痛ましい(と、私は感じてしまうのだが)キルケゴールの性思想は、ハーマンとの不幸な出会いそびれにより栄養不良のまま早産せざるを得なかった、美しくはあるが脆弱すぎてこの世で生き延びる事ができずすぐに死んでしまった気の毒な未熟児のように私には感じられる。それを思えば、これから見ていく『不安の概念』の冒頭にハーマンの『ソクラテス回想録』からの引用が掲げられているのは歴史の悲しい皮肉である。
また、ハーマンは、パスカルとキルケゴールの間に挟まる、日本の西洋思想受容史上におけるミッシング・リンクのような思想家でもある(※³)。彼の存在は、キルケゴールによりぼやかされたキリスト教の性思想を明瞭にしてくれるだけではなく、キルケゴールの信奉者であった筈の内村鑑三から南原繁までの無教会系学者達が、ジョン・デューイのプラグマティズムを取り合わず、フィヒテやヘーゲルにも甘い顔をしなかったのは良かったとしても、よりにもよってハーマン最大の論敵イマヌエル・カントに気安く与えてしまった、今日でもその悪影響がキリスト教系大学などにありありと残る支持表明が、日本のキリスト教界及び教外の思想界にとって、どれだけ深刻な閉塞をもたらす過った選択であったかも教えてくれるだろう。
〜脚注〜
1:「セックスの哲学」としての忘れられた『不安の概念』
キルケゴールの『不安の概念』1844は、様々な意味で(その問題含みの点(※¹)まで含めて)非常に重要な哲学書だ。その重要性の一つは、「(罪性としての)性差の成立」の機序究明を中心課題に据えた、西洋近代思想史上最も早い哲学書である事である(※²)。「性の意義についての、個々の領域における性の意義についての全問題が、これまでほんのわずかしかこたえられていないというのは、否むことができない。とりわけ正しい気分で答えられたためしはきわめてまれであった」『不安の概念』p.100(以下全て白水社版著作集)、と著者自身も自著の画期性に自負するところがあったようだ。『不安の概念』に影響を受けた大著として誰でもがタイトルを挙げるだろう、ハイデガーの『存在と時間』1927では、性差についてのこの問題意識はなぜか綺麗さっぱり抜け落ちてしまう(※³)。
そういう次第で、性の問題を大々的に扱う代表的な思想体系の座は、1856年生まれのフロイトを一応の創始者とする精神分析に奪われたまま、ラカンの様に正統派を以て任じるのであれ、ユング、ランク、フロム、ライヒ、マルクーゼ、クリステヴァやドゥルシラ・コーネル、バトラーのように、修正主義者や、異端者や反抗者、革命児を以て任じるのであれ、大陸哲学及びその鬼子たるアイデンティティポリティクスやウォーキズムの流れの中で、基本的な枠組みを与えてきているように思う。
キルケゴール研究者の江口聡が、『不安の概念』を「セックスの哲学」として紹介しブログで講読記事を上げているのも、https://yonosuke.net/eguchi/archives/6725
紐解けばかなりあからさまにそういう内容であるにも関わらず、そういう受容が十分になされていないーーという現状を踏まえた上での有意義さを見込んでの事だろう。
〜パート1脚注〜
2:谷口氏の『不安の概念』読解における、キルケゴールとのズレ
さて、『不安の概念』のその後の受容史上の位置づけから、テクストそのものに目を向け直そう。著者によれば、この本は「原罪という教義学的問題に向かって、もっぱら心理学的示唆を与えるだけの考察」である。なのであれば、原罪という事態自体は、まずもって聖書及び正統派教義学に基づいて把握されなければならない筈だ。その把握した内容について、心理学的な考察を巡らせよう、と著者は言うのだから。
ところが、早くも読者にとってもそして私にとっても驚くべきことに、著者の創造と堕落についての理解は、全く以て聖書的ではないのである。いや、全くは言いすぎかもしれない。半分(堕罪)はおおよそ聖書的だが、もう半分(非堕落=無垢)の理解はまるで聖書的ではない。ある程度はその片手落ちぶりに促されてのことかもしれないが、聖書的な方の半分(堕罪)についても、谷口氏は、聖書は一旦置くとしてもキルケゴールの理解そのものを、十分に汲みきれていないのではないかと私は思う。というのは、堕罪はキルケゴールによれば、その帰結として「性差の罪性としての成立」を齎すものであり、単に「性差の成立」を齎すものではない。「罪」とは少なくともある種の尺度・基準に照らしたある種の否定的評価である。キルケゴールは、「性差(性自認)の成立」と「何か良くないものとしてのその成立」を、共起的に捉えている。谷口氏の論考では、前者の成立に後者の評価がなぜ伴うのかが明らかではない。キルケゴールの描く、堕罪によって得た認識とは「僕は男だ!」「私は女よ!」という事だけではなく「僕はどうやら『男』であるらしいぞ。ああ、なんて恥ずかしいんだろう!恥ずかしいのに僕が『男』である事からはどうやら逃れられないみたいだぞ。ああ、困ったなぁどうしよう。とりあえず、僕が男であることを示す部分は隠しておこう。そうしないと落ち着かないからね」「わたしはどうやら『女』〜〜以下同文〜〜」というような認識である。
また、谷口氏は、キルケゴールの堕罪論を、「ここに言語の成立を読み取ろうとする誘惑に抗する事は、筆者には難しい」と述べ、「実質的にラカン(*²)」と見なしている。主体性の開設を齎す介入者を、聖書的にのみならずキルケゴール的にも言語そのものと見なして良いかは疑問なので、「何らかの言語的介入を通じた主体性の成立と、それに伴う性差の成立」とやや条件を緩めれば、確かにキルケゴールの堕罪概念はラカンにかなり近い。ラカン的なのであれば、堕罪(≒ラカンの概念に言い直す所の「去勢(*³)」)は、(何らかの言語的介入によって)成立する人間の主体性に追いやられた、「仮想化しきれない残余」領域としての性差の成立なのである。「性関係」は、あるいは「女」は、それ(堕罪、去勢)を通じて単に存在するようになるのみならず、ある意味では「存在しない」ものとして存在(成立)するようになる。
性差は、現実的には確かに存在しているが、何らかの言語的介入によって「開設された主体」(谷口)にとっては、ある意味では存在すべからざるものとして存在している。このある種煮えきらなさを、谷口氏も修辞上は見逃していない。
谷口氏の言うように、性差を有する事実の教示は「そっと」なされる。それは、彼が客観的世界の中に存在している事と同様のトーンでは、語りづらい事なのである。この、同一人物についての、明け透けに「語り得る」事と、そっとしか「語り得ぬ」事との間の、分裂・葛藤を齎すもの、言い方を変えれば人間の「全一性integrity」を毀すものこそが、「罪」なのである(※³)が、谷口氏は、(1)「(何らかの)言語的介入による主体性の開設」と(2)「それを通じた性自認の成立」は正しく捉えていても、(3)「その性自認の成立が、認めがたい事実としての成立である事」の方には、さほどの意味を認めていないように読める(*⁴)。後述するように、キルケゴールではなくて聖書に基づくのであれば、堕罪のもたらす事態は(2)を抜いた(1)+(3)に近い。
堕罪を齎す言語的介入は、言語そのものではないーーという私が留保した点ももう少し見ていきたい。「善悪を分別する知識の木の実」は、「言語」そのものではない。この善悪はヘブライ語ではトーヴとラーと言い、近現代倫理的な意味での善悪のみならず、快楽と苦痛も含むより広い意味の概念であるが、字義的に捉えれば、その木の実は、是非を分かつ評価判定能力ーーそれを理性や合理性と言っても良いかもしれないーーをもたらすとおぼしい。当然ながら、言語の機能は理性に還元しうるものではない。善悪を分別する知識の樹からほんの少しだけ脇目を逸らせば、そこには共にエデンの園の中央に生やされた生命の樹がある。この樹は、一部の神学では予型論的に読解され、キリストの掛けられた十字架を指す(*⁵)とされる。彼もまた「言葉」なのである。「天地万物の創造の以前から、はじめにあった神の言葉」の存在を信じなくとも、理性運用の手段として以外の言葉の機能は沢山あるーーという事実は誰でも認めざるを得なかろう。よって、堕罪で初めて、人間が前言語的な段階から言語的段階に移行した、と考えるのは早計である。
「善悪を分別する知識の木の実」やその摂取禁止命令以前にもある種の言葉があったことは、キルケゴールも動物の名付けにおいて一応触れている。谷口氏はそのような言葉が「性性の到来」をもたらさないと見なしているし、キルケゴールも間違いなくそう考えている。しかし、堕罪以前の言葉はそのようなものだけではないーーということを、キルケゴールは見落としていると思う。その点は、我々は第4章で詳しく見ていく事になるだろう。
〜パート2脚注〜
3『不安の概念』における、聖書神学とキルケゴールのズレーー「成長発達人間観」の浸透
谷口氏のキルケゴール理解への批評は概ね以上として、では、キルケゴールが提供する、「ある種の言語的介入による主体の開設を通じた、罪性としての性差の成立」としての「堕罪」理解は、どれだけ聖書神学的に正しいのだろう?
キルケゴールの原罪論の主な問題は、非堕落の無垢の状態の人間についての理解である。キルケゴールは堕罪以前のアダムをある種の前人間状態(動物、母子癒着の子ども、自然人、どれも大同小異である)のように、そこからの堕罪を人間化の様に描いている。
はっきり言っておくが、これは18世紀以降の極めて多くの著名な思想家達が基本的に陥ってしまう、聖書の中でも特に難解でもないような部分の明示的内容を相当に歪めた妄想である。なぜそんな事が起こるのだろうか?それは18世紀の時代性による。18世紀とはいかなる時代か。「啓蒙」の時代ーー理性の運用により未成年が成人になるという、当事者から見て「成長発達」、指導者から見て「教育」の関心に、ありとあらゆる哲学者が没頭していた時代である。
以下、お歴々の見事な妄想を例示して行く。まず、おそらくは「ケーニヒスベルクのシナ人」というニーチェの揶揄が的を得たものである事を証明するためなのだろうが、東アジアの一員たる去勢された宦官どものような我々日本の哲学愛好者の皆様が健気にも最も支持を表明し続けてきた、大人気イマニュエル・カント師父の創世記読解を見てみよう。
次はヘーゲル。19世紀にまたがるが、18世紀からの独仏啓蒙の大成者と見なしてよかろう。
カント、ヘーゲルの理解は、『人間不平等起源論』1755におけるルソーの自然人から社会人への移行を創世記読解に当てはめたものーールソー自身は、自然状態と楽園時代をアナロジカルに捉えるのに懐疑的だったにも関わらずーーだが、ルソーと逆に自然状態の人間を欠陥動物として捉え、欠陥の補償としての反省能力を足がかりに人間が言語を発明した(*¹)、という人間中心主義的な『言語起源論』1772(*²)によりロマン主義運動の嚆矢となった、カントとヘーゲルの橋渡し的存在であるヘルダーの創世記読解も、彼らと同型のようである。
即自から対自へ、実体から反省へ、直接性から媒介へ、自然人から社会人へ……ーー何と言い換えても良いがそれらは全て同じ事態を表しており、主客未分化の母子癒着状態から父の介入により引き離されるというフロイトのエディプス構造、それを継承洗練させたラカンの去勢も同型である。心理学や精神分析における例示は、拙論『キリスト教の男女観(前編)』内の『成長発達主義的人間観、あるいは、「創造と堕落」の物語を見誤らせる「成熟と喪失」の物語』に、エーリッヒ・フロム、ジョーダン・ピーターソン、間接的ではあるがエリック・エリクソンの影響を受けた江藤淳らの引用を載せてあるので参考にされたい。
さて、『不安の概念』がどうかといえば、同主旨の記述は数回出てくるのだが、「負い目なさ(無垢)は、無知である。負い目なさにおいては、人は精神ガイストとして規定されず、自然性との直接的な統一において、心ゼーレとして規定さている」p.62と説明しており、ヘーゲルに大いに反対している箇所p.53や、捻りが加えられている記述p55もあるものの、概ね、18世紀的に始まる成長発達人間観におけるプリミティヴ状態として、楽園時代を思い描いていると見なして良い。
ヘーゲルが、楽園時代の無垢を主にその無労働性において注目した一方、キルケゴールは性差の欠如性において注目したが、二人共、その無垢を一種の疑似幼児的状態として思い描いている事に変わりはない。彼らの発想は私達現代日本人も十分に規定していて、無垢といえば子供であり、子供といえば、「汚らわしい」性生活と「厭わしい」労働生活に、まだ参与していない存在としての無垢な存在なのである。子供の実状がどうであれ、私達は彼らをそのように思い描き、そのように扱う事になっている。
しかし、聖書における堕落前の人間、無垢な人間は、労働者としてまた性生活者として、そもそも造られている。私達は無垢といえば、厭わしい労働生活、汚らわしい性生活「からの」無垢と考える。しかし、聖書における無垢は、労働生活及び性生活「における」無垢なのだ(*³)。これは一般的な発想に収まらない点だ。だが、聖書は啓示の書であり、その内容は人の思い描く発想を超える。キルケゴールが重視しているのは労働ではなく性なので、引き続きそちらを見ていこう。不安の概念で最も聖書的でないと見なせるのは、キルケゴールが女の創造に積極的な意味を殆ど認めていないように思えるところだ。
しかし、聖書の記述を読むと、アリスター・マクグラスが指摘するように、基本的に自画自賛的な神が、自分の創造した堕落前の世界で唯一「良くない」とダメ出しをするのが「人が一人でいること」なのである。繰り返すが、堕落前の世界で神が「良くない」と認めるのはこの一点のみである。女の存在は唯の数的な反復などではない!女は、画竜に欠いた点睛の様な存在として、その必要性を十分に認識された上で満を持して聖書の中に登場する(創造される)。この成り立ちを、例えば、女を男だけの牧歌的世界を台無しにするために意地悪な主神から送り込まれた、存在自体がハニートラップのように悪しざまに、画竜点睛と逆の蛇足以下の邪魔者として描く古代ギリシャのパンドラ神話と比べてみれば、いかに好対照をなしているかわかるだろう。若干パンドラ神話に似ていなくもない、そこだけ切り取れば女性差別的な見解も引き出せそうな記述として、女はアダムを誘惑するのみならず、自身が最初に堕落するのも女なのであるから、順序だけで考えれば罪が世界に入って来たのはアダムではなく女によることになり、そこもキルケゴールの考えと異なる。
更に、女の言わば質料因が男の肋骨である事は、ペトルス・ロンバルトゥスの様な中世の神学者により、男女平等の根拠とされたhttps://www.cbcj.catholic.jp/2009/12/30/7194/(教皇ベネディクト十六世の207回目の一般謁見演説『12世紀の神学者ペトルス・ロンバルドゥス』)。また、女は男に相応しい「助け手」と見なされているが、この称号で呼ばれるのは、女の他には三位一体の第三位格たる聖霊だけであり、古くは正教の宗教思想家セルゲイ・ブルガーコフが、男をキリストの似姿、女を聖霊の似姿とする独特の男女観を展開する根拠になりhttps://www.academia.edu/99924273/Trends_in_Eastern_Orthodox_Theological_Anthropology_Towards_a_Theology_of_Sexuality?email_work_card=title“Trends in Eastern Orthodox Theological Anthropology: Towards a Theology of Sexuality,Philip Abrahamson”、戦後はエリーザベト・モルトマン・ヴェンデルによるフェミニズム神学の論拠の一つになっている。https://www.amazon.co.jp/%E8%81%96%E9%9C%8A%E3%81%AF%E5%A5%B3%E6%80%A7%E3%81%A7%E3%81%AF%E3%81%AA%E3%81%84%E3%81%AE%E3%81%8B%E2%80%95%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%9F%E3%83%8B%E3%82%B9%E3%83%88%E7%A5%9E%E5%AD%A6%E8%A9%A6%E8%AB%96-21%E4%B8%96%E7%B4%80%E3%82%AD%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88%E6%95%99%E9%81%B8%E6%9B%B8-%E3%83%A2%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%9E%E3%83%B3%E2%80%90%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%83%B3%E3%83%87%E3%83%AB/dp/4400324613
繰り返せば、キルケゴールの敗因は、堕罪以前の状態を社会契約以前の(ホッブズ、ロックより特にルソー的な)自然状態が如く思い描く、啓蒙主義時代的な謬見を払拭できなかったことにある。以下の一八四八年の日記の内容にもその行き詰まりは見られる。
子どもについての「(精神ではなく)心として規定されているにすぎない」は、『不安の概念』の中の、負い目なき堕落前のアダムについての記述に一致する。キルケゴールはやはり、未堕落状態を子ども時代とアナロジカルに理解しているわけだ。性差の成立を、堕罪による罪性としての性差の成立と同一視視してしまえば、罪の赦しを得た後の、原罪の影響を拭われて無垢を回復した、再創造リクリエーション後の性関係など、思い描きようがなくなってしまうだろう。
言葉の上ではまことに麗しい。だがこれでは、実際にどのように恋人と交際すればよいのかわからくなってしまっても仕方がないではないか…。私がキルケゴールを痛ましく思うのは、よく言及される彼にとって重要な二人の人物、父ミカエル・ペーターセンから打ち明けられた出生の彼の秘密を通じた、キリスト教の原罪論の実人生上の問題としての引き受けと、元フィアンセのレギーネ・オルセンへの直向きで一途な愛の両立ーーという彼が真剣であればあるほど難しい(*⁴)課題に挑み、生前解決の糸口を掴めないまま生涯を閉じてしまったように見えるからである。「実存主義」の草分けというような、哲学上の功績が十分後代に汲み尽くされた後に、それでもキルケゴールに惹かれる人達は、プロ・アマ問わず、多かれ少なかれ、そうした姿勢に胸を打たれて(*⁵)文字通り道中で倒れた彼の思想的な亡骸の傍から立ち去る事ができずにいるのではないだろうか。そのような点で、彼はやはり、生きざまの余りに不器用な、愛すべきニーチェと相並ぶ思想家であり続けている。
ヴァルター・ベンヤミンは、彼がその真価を探り当て文学史上での地位向上に寄与したゲーテの傑作『親和力』論1922の中で、道ならぬ恋に囚われ運命に嘲笑われるようにそれぞれが孤独に死んでいく、地方貴族のエードゥアルトと妻の姪オッティーリエが人目を忍び初めてキスをした逢引の夜に、彼らの頭上を星のように流れた希望に思いを馳せている。「希望なき人びとのためにのみ、希望はわたしたちに与えられている」。法華宗、共産主義、魔的なものへの感受性ーーと、よく似た構成要素で成り立つ宮沢賢治にとってと同様に、ベンヤミンにとっても、星空は、この地上で日の目を見ぬまま生涯を終えたもの達が昇っていき、儚く散らされたその命の煌めきの記憶が焼き付けられて輝き続ける、無数の無縁仏達の集合墓地のようなものだったのだろう。
しかし、おそらくは明暗の対照効果をより劇的に演出する目的なのだろう、「愛のなかに己を捨てる事のない美は、死の手に落ちなければならない」と述べるベンヤミンは触れていないが、デモーニッシュな運命の力に絡め取られて滅びゆくオッティーリエの「美」を中心に成り立つ『親和力』本編のロマーンのカップルと様々な点で対照的な、救済する「愛」の担い手たる事を託された作中作のノヴェレ『隣同士の不思議な子どもたち』の幼なじみの恋人同士もまた、人々から祝福で迎えられるのは一時に過ぎない。彼らもやはりこの地上では結ばれずに死別している事を、作者ゲーテの筆は仄めかしている(*⁶)のである。
オッティーリエとエードゥアルトは、結局は「幸福」を求めて得られなかった(*⁷)にすぎない。彼らの人間的な凡俗ぶりは、彼らへの哀悼の念を表明するベンヤミン自身も鋭く剔出している通りである。その様な者たちにおいてでさえ、彼らがほんの一時でもこの世界で触れかけた幸福の甘美さとそれを喪失する悲しみは、共有する者の胸にも痛ましい余韻を残す。それならば、気高い愛に刺し貫かれながらその成就に至れなかった者たちの姿は、どれだけ強く私達の心を囚えるだろう。わたしは、『キリスト教の修練』1848の中でキルケゴールが語る、大人がお土産に買って来てくれた子供向け英雄イラストの中の一枚に、凛々しく華やかなナポレオンやウィリアム・テルに混じって十字架に掛けられたイエス・キリストの絵を見つけてしまい、その明らかに他と異質な寄る辺なき悲惨な姿に強い印象を受けてしまった、彼についてまだなにも知らない男の子(*⁸)のような気持ちで、キルケゴールを見て来ていたと思う。 キルケゴールだけではない。多くの思想的亡骸が、ある者は弔われもせず野ざらしのまま見捨てられ、ある者は、より酷いことに相応しからぬ身元引受人により辱められている。そんな中の一人であるハーマンにそろそろ移って行こう。彼は野ざらしの方である。
〜〜パート3脚注〜〜
4:ハーマンにおける創造、言葉、霊(精神)、性
キルケゴールら哲学者達が言うのと違い、非堕落の人間は、心ゼーレと体を総合する精神ガイストの浸透をまだ受けないで、心ゼーレとして自然との直接的な統一として存在しているのではない。聖書に即せば、人間は堕落以前から、ルーアハ(息吹、精神、霊)を神より吹き入れられる事で、人間として創造されている。人間はその成り立ちより、「土と霊とにより成る人間」である。
この霊性(精神)は、人間に他の動物には欠けた、感性や本能から離反した内省能力、抽象的思考能力、倫理的実践能力、自己規定能力の余地を切り開くものではない。そうではなくて、その「吹き込まれる」「息吹き」としての形象からもうかがい知れるように、取り交わされる交わりの中に人間を呼び起こすものなのである。
言葉ダーバールによって啓示された、霊ルーアハ的な交わりを通じて至る神の知識ヤードーアという時の、知識ヤードーアの語は男女の結合の行為をも指し示す。
そのような知を、ハーマンは『婚姻に関するある巫女の試論』1775において示す。
バーリンが「曲がりくねった、しかし一途な思想」『北方の博士J.G.ハーマン』p.33と評する様に、一貫した世界観を有していても一読して理解困難なハーマンの文章を読み解くに、引き続き訳者であり研究者でもある川中子を頼ろう。
「堕罪」は、確かにキルケゴールの言うように、性差の罪性としての成立を齎すものだが、それは言葉、霊、知識と結びつきそもそも神意の中で成立していた筈の性を削ぎ落とす様な抽象的な知性を通じて、それを歪めてしまうーーという意味で罪性として成立させるものなのだ。堕罪の前に性はなかったのではなく、寧ろある意味で、堕罪によって性は無くなった(あるにもかかわらずないものとして扱われるようになり、その様な無理な扱いを通じて、歪められるようになる)のであり、堕罪以前には、むしろ十全に開花された、或いは開花しうる性があった、と考えるべきだろう(*²)。谷口氏の概念でいえば、「原罪前性自認成立説」が正しいのである。確かに堕罪と去勢はかなり良く似ている。しかし、堕罪以前と去勢以前は全く異なる。その違いは、堕罪論者達(正統派キリスト教神学者)からはよく見えるが、去勢論者達(大陸哲学系の性思想家達の大半)からは良く見えない。それが一切の混乱の元である。
理解を深める為に、谷口氏の『不安の概念』論を再び頼ろう。堕罪とは、何らかの言語的介入による主体の開設、〈私〉の「谷口一平」という人物としての世界への現れであり、それに伴う、(やや私なりに言い直すと)主体にとっては余剰になってしまう所の恥ずべき性差の成立であった。そして堕落以前は、私は世界参与しておらず、誰でもなく、性差もないーーこれが谷口氏が正しく読み解くキルケゴールの理解だ。
しかし、聖書的には、堕落以前に人間は既に神の息吹(霊、精神)を吹き込まれている。これはいうなれば、「私(神)はあなた(アダム)を愛している」というメッセージを贈与され受領している事を意味する。全てを削ぎ落とした人間の核は自我ではない。究極的な「私」である神から愛を受けとる「あなた」であることが、人間の始まりなのである。『不安の概念』では見過ごされているかに見えるこの人間理解は、実名著作の宗教的講話群ではキルケゴールも基本的に押さえていると思われる。例えば『愛のわざ』の中では、隣人とは、自己愛の延長たる「他我」ではなく、誰かが神から「あなた」と呼ばれるのと同じように「あなた」と呼ばれる、誰かにとっての「他のあなた(他汝、とでもいうべきだろうか?)」なのだ、と彼は言うのである。
冒頭に掲げたパウル・ツェランは、『不安の概念』と逆に、世界成立(主体開設)以前の人間のありさまに、性および二人称との強い結び付きを見いだした詩人である。
性の領域は、「世界」を主体参与する歴史的―公現領域とした場合は、前世界的―脱世界的領域として、秘密の領域として成り立っている。それが私秘であれ神秘であれ。私秘と神秘は異なるが、共に秘密の領域であるがゆえ、公言できず、区別がつきづらい。『おそれとおののき』で考察されるように、美感的なものと宗教的なものは、倫理的観点からは共にいわばただの身勝手としてしか扱えない。キリスト教は「律法主義」を超えるが、それは律法以上のものを齎すためであり、律法以下のものを正当化するためではない。しかしその2つの区別は容易ではないのである。
未堕落の無垢はツェランの抒情性に近く、堕罪は言語論的には川中子の指摘する事態に近い。谷口氏のいう、「無の主体への開設」を齎す様相化装置としての言語装置とは別の言語のあり方が、あるのだと思われる。私は分析哲学や言語哲学には通じていないので示唆に留めるが、鍵はやはり「我汝関係」あるいは「対話性」という事なのだろう。ところで、『情況』の筆者紹介欄によると、谷口氏には「存在と抒情ー短歌における〈私〉の問題〉」という論文があるようだが、川中子の『詩学講義』の副題は“「詩の中の私」から「二人称の詩学へ」”であり、ご存知でないならご参考になるかもしれない。谷口氏の思考の深化と詩情世界の豊穣化に繋がれば幸いである。
〜パート4脚注〜
5:蛇を踏み殺すハーマンのメタ・クリティーク
再び『婚姻試論』に戻ろう
ハーマンが糾弾する「男色」は、今日の概念でいうと「ホモセクシャル」よりは「ホモソーシャル」に近いだろう。ハーマンは、フリードリヒ大王の御用哲学者、イマヌエル・カントの啓蒙合理精神を、性差を削ぎ落とし、人を責め苛む、堕罪をもたらす蛇の唆し(*¹)であるかのように厳しく批判した。
実はカントが未成年に対して述べたホラティウスの有名な「敢えて賢くなれ!」は、元々は、現代でこそありふれているが当時としては画期的な試みであった子ども向け教材の共同企画時に、方向性で対立したハーマンがカントに対して述べた格言である。
ところがカントは、教育者である自己へ向けられた訴えを学習者・未成年者側に向け直して自省を回避し、あまつさえ、弟子達の罪を被って罰を引き受けるイエス・キリストと全く逆に、彼らを身代わりの生け贄に捧げて保身を図るかのように「自己責任(sclbstver−schuldet)」と責め苛む
その高を括った態度から覗く完全に気の抜けきった自己特権化を、ハーマンが見逃す筈がない。「彼の積極的な主張はいつも、なんらかの虚偽を根こそぎにするべくしかけられたすさまじい猛攻撃から派生したものである。知的な寛容なるものを信ぜず、また、実行もしなかった点で、ハーマンにまさる人物はいなかった。」(バーリン)
カントは、ここ二十数年ばかり日本人の口によく上るようになった「自己責任」概念の紛う事なき創発者であり、ハーマンは、そのいかがわしい用法への世界最初の批判者なのである。この概念を正当にも批判する左派が、カントまで射程に収める例は日本では私は見たことがない。バーリンの言うように「彼の洞察しえたことを無視したために、人間は重い代償を支払わねばならなかった」一例と言えよう。
ハーマンのメタ・クリティーク精神に火をつけたカントの著作のタイトル『啓蒙とは何か』1784は、実は元々は、プロイセンの啓蒙主義雑誌『ベルリン月報』上の論文『婚姻の絆をもはや宗教によって認可しないことは推奨されるべきか』1783の中で筆者のフリードリヒ・ツェルナーが発した問いであった(*²)。 ツェルナー自身は何気なく発したにすぎなかったらしい、啓蒙の本質を巡るこの問いは、モーゼス・メンデルスゾーンとカントという当代屈指の大御所達の反応を引き出し、哲学思想史上の表舞台に輝かしく刻みつけられる事になった。かたや、今や忘れられた結婚の本質に迫る大本の問いに、その世界観の内奥から答える事のできた思想家は、その後の歴史の中で問いと同じ様に見失われていく事になる、ハーマンだけだったのかもしれない。
〜パート5脚注〜
6:ロマン主義以降の性関係「欲望・恋着・結婚」
その後現れる、カントの余りに味気ない結婚観(『人倫の形而上学』1797)に反抗するF・シュレーゲルらロマン主義者達のリベルタン的恋愛観も、フィヒテ(『自然法の基礎』1796)が切り開きヘーゲル(『法の哲学』1820)によって大成されるドイツ観念論の結婚観も、両者ともが、創造、堕落、救済を見失なっていたーーそこにあるのは自然の本能(後期ロマン派的に「自然への欲望」と言う方がより正確だが、ここでは便宜上区別しない)、個人間の恋着、制度的な承認としての結婚であり、こんにちの我々の性関係観もいまだにこの時代に強固に規定されている。左右保革の差は、あくまでこの枠内での立脚点、強調点の違いにすぎない。そしてこの中に「愛」の入り込む余地は実はどこにもない。彼らが愛の装いで己を偽りたがるとしても、それはオッティーリエの亡骸に聖女じみた装いを施すゲーテのまやかしを越えるものではない。
彼らをそれぞれ、実存の美感的段階、倫理的段階として『あれか、これか』1843で整理したキルケゴールは、ゲーテが『親和力』1809の中で描いた、倫理的な結婚の足場を瓦解させて行く美感的な恋情の御しがたい威力、救済をもたらす宗教的な愛だけが打ち勝てるその威力に、ベンヤミンよりも早く気付いた(*¹)点でも先鋭的な思想家だった。だが、美感的なものへの対決姿勢を取ったキルケゴールの立脚する実存の宗教的段階における性愛の可能性は、ハーマンとの出会い損ねのせいで閉ざされたまま彼は世を去ってしまう。ゲーテが『親和力』の中にさりげなく埋め込み、ベンヤミンの慧眼にして初めてその重要さを指摘できた作中作のノヴェレ、『隣同士の不思議な子どもたち』に託された宗教的な性愛は、あくまでオッティーリエの美しさを陰影と儚さのエフェクトでもって引き立てる照明装置として利用されているだけであり、作者ゲーテからのみならず批評家ベンヤミンからも、実存的な共感を寄せられる事はない。
宗教的な性愛の回復の兆しは、ジル・ドゥルーズが指摘するように超人をアリアドネとディオニュソスの夫婦として素描したニーチェ(*²)、そしてニーチェの文学者版たるホーフマンスタール(*³)の成功したとは言い難い試み、また英国におけるD・H・ロレンスの散発的事例の後で、ディートリッヒ・ボンヘッファーの『創造と堕落』1937(*⁴)を待たなければならない。だが、神学者である彼の著作がこの国で広く読まれる事は今後もないのだろう。
〜パート6脚注〜