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[連載小説]アイス・スチール;チョコミント 四章 2話 愛おしい足手まとい

2話 愛おしい足手まとい

 すんでのところでたすけられ、安堵の表情をみせていたミオだが、心の内はまったく反対だった。
 争っているときの苦悶の唸り声や苦しげな息遣い。
 スチール製の白杖が特殊警棒をはじいたときの空気を裂く金属音。
 それらが公園を出てからも、ずっと耳の奥で再生され続けていた。
 アイスに押さえつけられたスーツの男がなお抵抗していたら、アイスはあのまま……
 グウィンやアイスが護ろうとしてくれてのことだ。なのに、恐れや不快を感じてしまう。
 そんな厭な気分を切り替えたくて、アイスの部屋に戻るなりシャワーを借りた。自分の身勝手さ洗い流すように、シャワーを頭から浴び続けた。
 家を出てから怜佳のいる麻生嶋の家、そして怜佳の実家へ。そこからさらに違法な仕事で生きているアイスの元に身を寄せている。よるべなさが加速して、怜佳に会いたかった。両親が亡くなってから、ただひとり頼れる人だった。
 のばした手がすぐ壁にあたってしまう狭いシャワー室が、いまの閉塞感そのままだった。泊まることなく転がり落ちているような不安感がある。
 アイスの存在をふせ、ミオひとりで警察や福祉センターにいくことも考えてた。しかし公園の件から、ひとりで動くのには懲りた。
 それに、最初は警察を頼れと言っていたアイスも、第三者のもとに行けとは言わなくなっている。安全が保証できないからだとミオは思った。
 シャワーを終え、濡れたトイレ周辺をさっと拭いた。避難させていたトイレットペーパーをホルダーに戻す。
 買っておいた二組目の着替えに袖をとおした。早くも使い切ってしまうことになるが、これも気分転換。そして汚れ物は洗濯してしまって、気持ちを一新したい。
 いつ終わるかわからない難事を乗り切るために。


 ミオがシャワー室を使っているあいだ、グウィンは休む間もなく白杖の手入れをしていた。継ぎ目まできれいに拭い、歪みがないか確かめる。一本に組み直したところで、ドアが開く音がした。
 音の方向と距離からしてシャワー室兼トイレではない。部屋の入り口のほうだ。
「グウィンはいまのうちに帰って」
 フロントに出かけていたアイスが戻ってくるなり言った。そのまま真っ直ぐ部屋の奥にいく。
 アイスが開けた扉は、開錠音で金庫とわかる。続けてベッドの下から出したバッグを探る気配に続いて、差し込んだ金属が噛み合わさるような硬質な音をたてた。
 金庫からオートマチック自動式拳銃、バッグからはマガジン弾倉。バラバラに保管していたものを使用可能にした。
 電話をわざわざフロントで受けなおし、内容をこちらに知られようにしても、金庫を開けたあとの動作がすべてを語っていた。事態が悪い方向に急展開している。
「危ない状況なんだね。このまま手伝うよ」
「面倒見がいいグウィンがキライになりそう」
「お褒めにあずかりどうも」
「腕がいいうえに相性もいい整体師は、金払いのいいクライアントを見つけるより難しい。グウィンには無事でいてほしいから、わかって」
「あたしがやられると?」
 アイスがベッドに座った。近くなった距離で訴えてくる。
「そうは言ってない。感傷で動かされた、あたしの後始末に巻き込みたくないだけ」
「ミオのことは巻き込まれたなんて、これっぽっちも思ってない。だいたい、あたしのピンチにお節介やいて怪我した人がいうセリフじゃないでしょ。助太刀の恩は受けときなさい。たんまり利子つけて返してもらうの楽しみにしてるから」


 ——危ない状況なんだね。
 シャワー室兼トイレのドアを開けたミオは、その一言で暖まった身体が一気に冷えた。
 呼吸を潜め、ドアの影からうかがってみる。アイスの手元にオートマチックを見つけ、慌てて引っ込んだ。
 心臓が激しく肋骨を打つ。いよいよ危機が迫っている実感に襲われた。
 これからおこりそうな危険に心づもりはしていた。しかし、いざ迫ってくると恐怖心が再燃した。
 骨肉が打たれる鈍い音、内臓から押し出される苦しげな声……それらの只中にまた入ることになるのかと思うと皮膚が粟立ってくる。
 不意に、自分のオフィスを立ち上げたときの彩乃の声がよみがえった。
 ——苦しくて倒れたなら仕方がない。けれど、倒れたままでいたら何も変わらない。できそうなこと何でもやって、不格好にあがいた成果がこのオフィスだよ。
 ミオは怖気を払いのけようとした。
 ひとりでないだけ、彩乃より楽な状況だ。助けてくれる人の足を引っ張らないぐらいのことはできるはず。怯えて縮こまってばかりでは、助かるものも助からない。
 視線を上げようとしたミオの視界のはしに洗濯物がうつった。
 そうだった。汚れ物を洗濯して気分を変えようとしていたのだった。身体を動かせば気持ちも前向きになるはず。これしかない——
 無理やり気持ちを引き上げようとする。


 グウィンに帰るつもりはなかった。
 アイス単独で迎え撃つのは無理だ。手を貸してくれる同業者を探すにしても、外部から助っ人を雇うにしても、時間がなさすぎた。
「誰もいないよりはマシな働きはできる。だいたいアイスだって万全じゃないでしょ。刺されたうえに、あたしの施術も受けそこねたんだから」
 アイスの故障は左下腿部。脇腹が重症でなかったとしても、足が思うように動かなければ大きなハンデになる。
 そして左足の不調は、別の箇所に負担をかけて身体に歪みをもたらしていた。普段からの疲労をとる機会も逸している。
「ちょっとコインランドリー行ってくる!」
「え、ミオ⁉︎」
 出し抜けに割り込んできたミオの声に動転した。
 また、やってしまった。話に気をとられて、シャワーから出ていたことに、まったく気づいてなかった。
 どうもミオ相手だと、この手のポカを連発してしまう。ものわかりのいい彼女に、気遣いを忘れてしまっているのならまずい。
 アイスが慌ててとりなそうとした。
「時間も遅いから、あとに——」
「服を洗ったら、気分も上がると思うの! ラウンジ近くにあったランドリーに行くだけだよ。今度は軽はずみなこと絶対しないし!」
「……ミオ?」
 アイスも気づいた。早口でまくしたてる声の調子が高い。ドライヤーはこちらの部屋でないと使えないから、髪もまだ乾かしていないはず。
 このテンションの高さは歓迎できなかった。緊張や不安を紛らわせようとする空元気ということもある。クールダウンさせようとグウィンは呼びかけた。
「ミオ、いったん座って。少し落ち着こう」
 聞いてはいなかった。ミオの足音がドアへと向かう。
「終わったらすぐ戻ってくる!」
「ミオ、待って!」
 アイスが追いかけようとした。が、
っ!」
 たたらを踏んだ足音は、左足の不調そのままだった。グウィンは、すぐさま代わって追いかけた。何度もきた部屋で、内部空間は把握している。
 つまずくことなくミオに追いついた。腕をつかみ——
「!」
 グウィンの耳が、ドアの外側の異音を聞きとった。
 靴底がビニル床を食む、かすかな音。
 通り過ぎる途中ではない。複数の足音が、部屋の前でとまった。
 そして、厭になるほど聞いた作動音は——
「伏せてっミオ‼︎」
 当たりをつけてミオの足元を払った。
 床まで一気に伏せさせる。ミオの背中に覆いかぶさった。
 衝撃音とともに穿たれたドアの破片がグウィンの背中にふる。

   

 アイスがフロントで受けなおしていた電話は十二村からだった。
『一太がそっちに行く』
 社長室の電話を盗聴していたチェ一太が、ディオゴに連絡をとってきた怜佳の情報を得た。ディオゴより先んじて、ミオを押さえにいくだろうと。
『おれのミスでアインスレーのゲストハウスもばれた。強引な手で部屋番号を聞き出されたら終わりだ。早く逃げてくれ』
 喘ぐような息の合間にそれだけ話すと、すぐに切れてしまった。
 根城にしているゲストハウスは他にもある。十二村はどうやって特定したのか。
 何より、こちらの滞在先をつかんでいながら報告をあげていなかったことや、一太の動向をわざわざ知らせてきた理由がわからない。
 ただ詳細はつかめなくても、優先すべきことがはっきりした。
 相手はすぐそこまで迫ってきている。
「おかえり」
 部屋に戻るとグウィンが白杖の手入れを続けながら迎えてくれる。さて、おとなしく引き下がってもらうには……
「グウィンはいまのうちに帰って」
 しまった。別の台詞を考えていたのに、ストレートな思いが先に口を突いて出た。
 案の定、返された応えは「残る」だった。
 説得できそうな言葉を探しながら、アイスはTシャツの上にアウターがわりのシャツをはおった。道具も用意する。
 これだけでもグウィンなら危険度がわかるはずだが、前言を変えようとはしなかった。さらにミオがランドリーにいくと言い出した。どこかハイテンションで様子がおかしい。
 グウィンは、アイスにふりかかる危険を分け持とうとしてくる。
 ミオは、のしかかる不安や緊張を自分だけでどうにか解決しようとしている。
 ふたりそろってアイスの思う安全圏にいこうとしてくれない。表情筋でつくる笑みではなく、本気で笑いたくなった。
 命がけのお節介をやいてくる友人と、子どもなのに子どもだから許される甘えを捨てて、大人な対応をしようと懸命な子どもに。
 だから、このふたりには自分本位になれない。
 部屋の外に出ようとするミオを止めようとした。座っていたベッドからミオが立っているドア付近まで、たかだか四歩。簡単に止められるはずが、立ちあがろうと重心をかけた足——左下腿部に走った痛みに出遅れた。
 素早くグウィンがカバーしてくれる。
 こんなとき、本当は見えているんじゃないかと思うのは、見えている者の上から目線だと最近思うようになった。グウィンが例外的なのかもしれないが、聴覚とそのほかの感覚の合わせ技は、ときに視覚に勝る働きをみせるからだ。
 そのグウィンが突如、ミオに追いついたところで危険回避の動作をみせた。
 アイスの身体も考えることなくグウィンにつられて動く。
「伏せてっミオ‼︎」
 アイスも伏せた直後。
 打ち上げ花火より大きな騒音をふりまく破裂音が、狭い屋内に連続する。
 銃声が途切れた。
 その一拍で跳ね起きる。ドアへとダッシュ。
 伏せているグウィンを飛び越え、ドアノブが破壊された木製ドアへと体当たりした。
 ぶつけた肩に重い手応え。
 踏み出した廊下には、ドアに跳ね飛ばされたらしい長身の女が、頭部をおさえて崩れ落ちていた。 
 間髪入れず、サイドからナイフが突き出てきた。
 上体を傾げて避ける。
 続けて、伸びているナイフを持つ腕を下から上に跳ね上げる。相手の腰に、自身の重心をぶつけた。
 体格で負けていても、身体の中心軸を狙えば崩せる。敵を吹き飛ばし、肩から頭を壁で強打させてやった。
 視線がぶつかった顔を見ても驚かなかった。
 アイスより頭半分高い位置から、痛苦に顔を歪め、怨噴をまじえた目で見下ろしてくる。
 一太だった。

     *

 店舗フロアに行ったというミオが戻ってくるかもしれない。アイスにこれからの計画を伝えた怜佳は、早々に部屋を辞した。
 自分の部屋に帰ると、まずシャワーの下に立った。
 狭いスペースをトイレとせめぎ合いながら、<オーシロ運送>の火災でまとった煤と汗を洗い流すと、ひとつの区切りがついた気がした。
 着替えをすませ、髪もろくに乾かさないまま準備にかかる。部屋のドアの施錠をもう一度確認。そうしてトラベルバッグから、潜ませていたハンドガンをとりだした。
 弾を入れていない空のマガジンを挿れる。チェンバー薬室も空であることを確かめてから、窓枠のカギを的にしてハンドガンを構えた。
 ラジオ体操するにも狭い部屋のなかで、ドライファイヤ空撃ちを繰り返す。セイフティ解除、トリガーガードに指を入れるタイミング、ひとつひとつの動作の感覚を思い出そうとした。
 アイスを引き入れた当初、ディオゴの始末を頼っていた。再び気持ちが変わったのは、そのアイスによるところが大きい。
 アイスの年齢は、荒仕事をするにはピークを過ぎていた。味方になりそうな人員がほかに見当たらなかったため、消去法でえらんだ彼女を強引に引き込んだものの、身体に故障もあると聞いて、内心で判断を誤ったと思った。
 けれど引き受けたアイスは、忠実にミオを護ってくれた。
 常識で考えてアイスの年齢なら、身体に故障のひとつやふたつ持っていても不思議ではなかった。そんな状態でも、自分のウィークポイントを把握してコントロールしているから現役を続けている。
 腕力がない怜佳でも、ディオゴを始末することが無謀に思えなくなってきた。
 銃だけでは心許ない。用意した〝保険〟が使える場所の目処がついたことも大きかった。
 くわえて、非合法な仕事でしのいでいる人間とはいえ、アイスを寝返らせたことへの良心の呵責が後押しする。これ以上、彼女に無理強いもしたくない。
 ——でもね、報酬を出してすませられるなら、自分の手は汚さないほうがいいよ?
 アイスの部屋で話した決心に返ってきたのは、意外なアドバイスだった。
 ——それでも怜佳さんが自分の手で決着をつけたいというなら止めない。ミオの後見人のことも含めて考えた答えなら尊重する。あたしにも思うところがあるから、報酬関係なく、このままやるつもりでいるけどね。
 自分の手で……
 手に負った軽い火傷で皮膚がひりつき、少しグリップが握りづらい。痛みを感じるまま、ドライファイヤを続けた。


 怜佳は一五分ほどでドライファイヤをやめた。
 部屋に来たときは疲労困憊していたはずなのに、さほどでもなくなっている。
 精神が疲れ切って、身体の疲労に鈍感になっていた。これ以上やっても意味がない。ハンドガンを金庫に戻し、上がってくるまえに買っておいた酪梨牛奶ラオリーニィゥナイ(アボガドミルク)を手にとった。
 ぬるくなっているが、どうせ味なんかわからない。固形物が喉を通りそうになかったので、ジュースで水分とカロリーをとっておく。
 ディオゴに提示した時間まで、あと小一時間あった。ゆっくり座れるイスもないので、ベッドに横になる。高揚していて眠ってしまう心配はない。身体の力を抜いて、ゆったりと呼吸してみた。
 薄壁で隣室の生活音に悩まされるかと思ったが、両隣とも静かだった。
 空室なのか、明日にそなえて早寝でもしたのか。
 二時間後にはどうなっているだろうか。
 またこの部屋に戻ってくることができるのか……
 とりとめないことが頭にうかんでは消えるなか、それは唐突に耳に飛び込んできた。
「タン!」と「ターン!」がミックスしたような乾いた音。
 ベッドから跳ね起きた。
 この音には聞き覚えがある。弾薬内のパウダー装薬に引火しておこる破裂音。急いで身支度を整えた。
 反響音がまじっていたような感じからして、少し離れた場所——アイスの部屋かもしれない。別の誰かのトラブルかと思ったが、銃を使った騒ぎがおこるとは考えにくかった。
 街のトレンドに疎い怜佳も誤解していたが、<美園マンション>を治外法権の無法地帯のようにいう話は噂に過ぎなかった。
 薬物の売買や売春といった犯罪が横行していたのは、過去の一時期でしかなく、警備員が常駐するようになり、警察のパトロールもまわってくるようになると激減している。美園だからといって銃器犯罪がおこるわけではない。
 怜佳は金庫から、すべて﹅﹅﹅の武器を用意する。パーカーをはおった。
 ドア越しに、廊下の奥で争っているらしい低い物音が聞こえてきた。ミオの無事が気になる。ドアの鍵を開けようとした手を突として止めた。
 暴力の只中に出ていって、彼女を助けることができるのか?
 このままアイスに任せた方がよくないか? 
 感情のままに動けば、最初で最後だろうチャンスを潰してしまうことになって……
 人の命に関わる場面で、こんなことを計算している自分が厭になる。
 それにしても、<ABP倉庫>の連中が襲ってきたにしてはおかしかった。伝えた時間より早いし、場所もゲストハウスフロアではない。
 それにアイスの部屋が襲われたのなら、どうして部屋がばれたのか。彼女なら管理を徹底しているはずだ。
 アイスの部屋が突き止められた原因が、よもや自分にあるとは予想だにしなかった。


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