出し抜く奴はこういう時こそ異常に動く
1979年生まれ最強説を唱える僕としては、若い人を羨むことはこれまでの人生で一度もなかったが、今だけは羨ましいと思う。
全てを引っくり返せる確変タイムだからだ。
AI時代において必要な力は「コミュニケーション能力」と「発想力」の2つだという。
簡単に言ってしまえば、人間的な部分だ。
人間的非合理な部分、と言ってもいいかもしれない。
例えばGoogleナビは、確かに最短の道順を案内してくれるが、通りにくい裏道を指示されることが多い。
今日は天気もいいし、時間的余裕もあるから、のんびり広い道で音楽でも聞きながら帰ろう、という人間的非合理性はAIにない。
いや、なくはない。そのようにセットすればいい。
つまりは、向かないということだ。その場合AIは必要ないと。
例え仕事ができる奴でも「どうも気に食わん」、という奴と一緒に仕事したくないというのも、人間的非合理性だ。
プロジェクトの成功を考えればあいつに頼むべきだが、自分の気持ちがそれを拒む。
ならば、ちょっと頼りなくても、別のやつに依頼して、楽しく仕事をしたい。
この判断は、短期的に見れば不正解でも、長期的に見れば正解かもしれない。
そいつと仕事をすることで、仕事はうまくいったが、ストレスで胃がおかしくなって寿命を縮めるかもしれない。
世間的な評価はされたが、人生がつまらなくなった。
別のやつと組んだ場合、ミスは多いし、大成功とはならなかったが、その分、自分も成長できたし、そいつとの強い信頼関係も生まれ、その先の未来が楽しみになった。
世間的な評価はいまいちだったが、なにより自分の人生が楽しい。
退職理由のほとんどが人間関係であるように、仕事の出来不出来より、我々は人との対話や関係性に、精神的ストレスを感じやすい。
だからこそ結局は、好かれる奴がいつの時代も選ばれるのである。
好かれる奴が優れているもの。
それが、コミュニケーション能力だ。
結局これさえあれば、どんな時代になろうと揺るぎない。いくら技術や知識を積み上げても、AIに簡単に奪われてしまうが、好かれる奴は無敵である。
常に誰かに選ばれ続けるから。
昔からできる男というのは、仕事終わりは上司と飲みに行き、週末は社外の人とゴルフ、たまの休みは同僚とバーベキューといった感じ。
仕事の話からプライベートまで包み隠さず語り合い、それがまた仕事で生きてくる。
そんな飄々となんでもこなせる男は、女にもよくモテる。
金じゃないんだ。容姿じゃないんだ。なんでも器用に明るくこなすそのスタイルに、女は魅了される。
そんなできる男も、今は隅に追いやられている。
飲み会もバーベキューもできない世の中だからだ。
ざまあみろ。いい気味だ。
お前らなんか夜はギロッポンでスーシー決めとかないと生きてる心地がしないだろう。このバブル崩れが。
どうだ。どんな気分だ?how does it feel?
そこをいくと俺はどうだ。毎日一人でNetflix観てるだけでこんなに楽しい。
すみません、幸せはおいくらですか。
と、いい加減笑ってもられない。
発想力が生まれる瞬間も、たいてい人との対話からだ。
自分の想定内だけで生きていて、なにか閃くということは稀。
映像制作やデザインといった具体的なクリエイティブなら、本や作品などから刺激を受けることはあっても、もっと広い、向かうべき方向性や、指針、自分のやるべきことや生き方など、壮大な意味での発想という部分においては、一人でじっとしていて見つける可能性は低い。
ゼロではないが、低い。
なぜなら人間は、近い人間からもっとも影響を受けるからだ。
海の向こうの誰かが成功しようと気にもしないが、同級生や同僚が成功していると、刺激を受ける。焦る。
努力の方向性や、その動力源に火がつかないと、なんとなく目の前にあることと向き合いながら、今回はちょっとうまくいった、これがちょっと増えただのと一喜一憂して、すぐまた新年を迎える。
その実、うまくなったのではなく、慣れただけ。
努力の方向性を間違えたときの機会損失は大きい。
なんの意味もない努力というのは、確かに存在する。
それを言っちゃ元も子もないから誰も言わないだけで、実際はかなり存在する。
だから世間では「無駄な努力なんてない」「遠回りも必要だ」といった金言めいた言葉が受けるし、実際売れる。
文字通り金になる言葉。本にでもすればいくらか小銭が稼げる。
今はとても辛い時期だが、こう考えることができる。
コミュニケーション能力が強制的にフラットになったと。
先述したできる男たちも、みんな表には出られない。この期間、そこまで人との距離は詰められないはずである。
これは千載一遇のチャンスだ。
家にこもって勉強してる場合ではない。マスかいてる場合でもない。そんなことは後でいくらでもやればいい。
世の中のコミュニケーション能力と発想力が押し並べて停滞しているのだ。この状況が可視化されることはないだろうが、容易に想像できる。
特に日本人は、飲みの席でようやく本音を話す生き物で、僕の生き血となっている体験やアイデアの源泉も、みんな飲みの席で得たものだ。
上場企業社長、芸能事務所社長、マネージャー、タレント、広告代理店、クリエイター、新聞記者、銀行員、自治体職員、議員、イベントスタッフからコンパニオンまで。
コミュニケーションが発想を生み、その発想がコミュニケーションを加速させる。
一人でゼロから生み出した発想は、強度が弱い。
もし僕が今若者と言われる年齢だったら、普段なかなか会えない人にコンタクトを取る。暇しているに違いないから。
大人数が許されない世の中だからこそサシで会いやすいし、その人から直でいくらでも吸収できる。
これは恋愛にも同じことが言える。だから今の若い人が羨ましい。
全てがチャンス。一気にごぼう抜きできる確変タイム。
中高時代、いつも目立っていたあいつは、君が寝ている間に、たゆまぬ努力をしていたのだ。
いつも仕事を完璧にこなすあいつは、君が女のケツとパチンコにうつつを抜かしていた大学時代、懸命に勉強していたのだ。
みんなが遊んでいるときに学んでいた奴こそ、みんなが学んでいるときに遊ぶことができる。
でも、僕が今20代だったとしても、結局その他大勢の人たちと同じ行動を取っていたとは思う。
恥ずかしいな迷惑かもな、変に思われたらカッコ悪いよなともじもじしてマスかいて寝てただろう。確変タイムに気づくことなく。
はやく収束しろー 遊びいきてー でもまあリモートで楽でいいけどー
なんて言ってる奴にこの先の大成はない。
これを千載一遇のチャンスと見て、機を見るに敏、動く奴は水面下ですでに動いている。
↓この話を動画で
この記事が参加している募集
サポートしてくれたら今日は「麦とホップ」から「エビスビール」に変えます。本当にありがとうございます。