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サイゴン裁判1946-1950

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戦後,フランスが日本のBC級戦犯を裁くために行った「サイゴン裁判」が行われていた時期の日越関係を中心にまとめています。
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「サイゴン裁判」を知りたい

「サイゴン裁判」を知りたい

 令和3年(2021)は,アメリカ,イギリス及びオランダと開戦した昭和16年(1941)から80年となる年。

 これら「連合国」同様,アジアに植民地を有していたフランスに対し,日本が攻撃を開始したのは,4年後の昭和20年(1945)3月9日から10日にかけた深夜。同じ頃の東京では,米軍によるナパーム弾の炎雨が人を街を焼き尽くしていた。
 ベトナム,カンボジア及びラオスからなる仏領インドシナにおい

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東京裁判 COUNT33. 仏印進駐

東京裁判 COUNT33. 仏印進駐

東京裁判 起訴状

 極東国際軍事裁判所(いわゆる東京裁判)は,1943年12月1日のカイロ宣言、1945年7月26日のポツダム宣言,1945年9月2日の降伏文書及び1945年12月26日のモスクワ会議に基づいて,またこれらを実施するために設立された。
 いわゆる東京裁判であるが,その起訴状は,1928年1月1日から1945年9月2日までの間における平和に対する罪,通例の戦争犯罪及び人道に対する罪

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戦後なき”若松連隊”

戦後なき”若松連隊”

若松連隊こと歩兵第29連隊ベトナム語のポスターを貼るのは日本兵

 写真は,既に”戦後”となっていた昭和20年(1945)9月,ベトナム南部サイゴンに”戦勝国”として進駐してきたイギリス軍グレイシー少将の最初の声明を,英語,仏語及びベトナム語で記したポスターをサイゴン市内に掲示する日本兵の姿。
 当時,グレイシー少将の命令を受け,サイゴン市内の治安維持にあたっていたのは,福島県出身者で編成されてい

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BC級戦犯が座したサイゴンの刑務所

BC級戦犯が座したサイゴンの刑務所

収監された刑務所は二か所チーホア刑務所(Khám Chí Hoà)

 戦後,フランスが日本人BC級戦犯を裁くためにサイゴンに設けたのが西貢(サイゴン)常設軍事裁判所。
 そこで「サイゴン裁判」が開廷されていた間,日本人が収監されていた監獄(便宜上「刑務所」とする。)は二か所。一つは,今もホーチミン市10区で現役の「チーホア刑務所(Khám Chí Hoà)」。

サイゴン中央刑務所(仏名Mais

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芥川賞作家とサイゴン裁判

芥川賞作家とサイゴン裁判

「プレオー8の夜明け」その書き出し

 作家の古山高麗雄氏が,サイゴン裁判のC級戦犯容疑者としてチーホア刑務所とサイゴン中央刑務所(彼が収監された雑居房が「プレオー8」)に収監されていた日々を描き,昭和45年(1970)に芥川賞を受賞した「プレオー8の夜明け」は,次の書き出しで始まる。

「進軍歌 (Tiến quân ca)」

「ドアン クン…」で始まる”ヴェトミン独立歌”をベトナム語に戻すと

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第二師団が最後を迎えたサイゴン

第二師団が最後を迎えたサイゴン

 上の写真は,仙台市の榴岡公園内に「仙台市歴史民俗資料館」として保存されている,旧陸軍第二師団の隷下,歩兵第四連隊の旧兵舎。

 仙台に司令部を置き宮城,福島及び新潟三県の出身者で構成され,「勇」とも呼ばれる旧陸軍第二師団の戦歴は,台湾で始まりベトナムで終わると言っていい。

 明治28年(1895)4月5日に新たに乃木希典中将が司令官に就任した第二師団は,同年9月12日,台湾に上陸した。
 これ

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