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シン・ソーラーシェアリング

さがみこファーム代表の山川勇一郎です。

巷では「シン・ウルトラマン」が話題ですね。
私も先日映画館で見てきましたが、あえて昔っぽい特撮の中にも現代風のアレンジが随所にあって、楽しめました。
庵野秀明監督・脚本の作品は「シン・エヴァンゲリオン」「シン・ゴジラ」と、「シン」シリーズが立て続けにヒットしています。この「シン」という言葉には作品毎にそれぞれ複数の意味があるそうですが、そうした重層的なメタファーが庵野作品の真骨頂ですね。

さて、そんな中で、「私たちも”シン・ソーラーシェアリング”を目指さないといけない」と、ふと思ったわけです。
スペシウム光線を出したいわけではありません笑。理由を説明しましょう。

ソーラーシェアリングの3つの課題

ソーラーシェアリングは「農地の上に隙間を空けて太陽光パネルを設置して、農業と発電で太陽光をシェアする取り組み」です。農業とエネルギーの問題を同時に解決できる有力な手段として注目されており、既に3,000事例に上るなど、全国に急速に広がっています。しかし、発電事業の採算が取れているだけでなく、農業の状況や、地域との関係など、総合的に良好に事業が回っているかをみた時、実はうまくいってないケースが多いと耳にします。

私はソーラーシェアリングには3つの大きな課題があると考えています。これらに正面から向き合わなけば、ソーラーシェアリングは今後社会に広がっていかないと思っています。では詳しく見ていきましょう。

課題①:FITに頼った収益構造

1つ目は「FITに頼った収益構造」の問題です。
ソーラーシェアリングは太陽光の売電収入で農業収入を補うことで、結果的に農業の持続性が高まるということが大義として掲げられています。FIT制度の下、一般の電気代から徴収された賦課金が最終的に農業者に還流するという点で、これは形を変えた補助金と言えるでしょう。ただFIT初期ならともかく、太陽光の買取価格が低下した今、そうした構図は既にモデル性を失っています。「売電事業で農業を支える構図は既に無理ゲー」なのです。今後は最低限、農業も発電も単体で採算が取れるような状態にすることが求められます。ソーラーシェアリングは屋根や野立ての太陽光よりも架台のコストが余計にかかりますので、(昨今の資材価格の高騰もあり)、FITなしで自走できるまでの国の適切な支援策も必要でしょう。
それでも、パネルや架台設計のイノベーション、発電と農業その他の産業の掛け算、電気の直接取引、VPPなどの仕掛け次第で、大きなシナジーを生みだせる可能性は無限にあります。


課題②:地域共生

2つ目は「地域共生」の問題です。
ソーラーシェアリングには「発電事業者」「農業者」「地権者」の3つの役割があります。過去の実践事例を見渡すと、太陽光事業者、農業者、地権者がそれぞれ別々の主体が担うケースが多いようです。発電事業を地域外の事業者が行う場合、地域の利害関係者は地権者と農業者以外はほとんど接点がなく、メガソーラーに比べ土砂流出や景観悪化などのリスクは少ないにせよ、大半の地域住民にとって、発電事業者は心理的に遠い存在です。また、太陽光発電は良くも悪くも設置後はほとんど現地に足を運ぶ必要がなく、雇用もほとんど生み出しません。すごく乱暴な言い方をすると、地域外の事業者が発電だけやっても、地域にメリットはほぼ何もありません。従って、事業者がよほど意識して能動的に地域との接点を作らないと、地域にとって発電事業者はヨソモノのままであり、それが潜在的なトラブルの種になります。
では、「地域の農業者や地権者が発電事業者になる」のはどうでしょうか?ある面ではそれは解決策になるかもしれません。が、現実的には農業者が発電事業に取り組むケースは未だ少数に留まっています。それにはいくつかの理由がありますが、これは話すと長いので別の機会に譲りましょう。
このような話をすると「地域にお金を落とせばいいんでしょ」と短絡しがちです。ただ、このNoteでも度々書いていますが、発電事業者がヨソモノの場合、経済的な論理だけで地域との関係を築こうとしても、結局はうまくいかないと感じます。過去、リゾート開発など官製バブルと共に外部からの資金が大量に地域に入り、地域を巻き込んだ大論争が幾度となく展開されてきました。お金が動くところに人が集まることは紛れもない事実ですが、一方でお金だけでは人の心は動きません。地域に寄り添った取り組みが持続的な発展のカギであり、「地域共生」のための知恵が求められます。これからはそうした事業者が地域で生き残っていくのだと思います。私たちは発電事業者であり農業者でもありますが、これは一つの解決の糸口になると感じます。


課題③:農業の担い手

3つ目は「農業の担い手」問題です。
発電は長期(20年)に亘るもので、必然的に農業の持続性が問われます。日本の農業者の平均年齢は67歳、49歳以下はわずか11%です。ーー誰が農業を担うのか?ーーこの問題を突き詰めると「農地は誰のものか?」という農地法を軸にする日本の農地行政そのものの問題に帰着します。そもそも、日本の農地は個人中心に細切れで所有されており、農業者でないと売買ができないため、土地の流動性が極めて低く、新しいことを起こす上での大きな障害になっています。この問題は極めてディープです。ただひとつ明らかなのは、(農業者でもある)地権者の高齢化が進行し、農業者の新陳代謝が進まなければ、日本の農業自体が持続不可能である、という事実です。
となれば、仮にソーラーシェアリングによって新規就農者が増え、農業者の新陳代謝が進むとすれば、それは日本の農業にとって大きな貢献と言えるでしょう。ただ、実際に異分野から新規参入して持続的に農業を行うのは口で言うほど簡単ではありません。農業者の経営努力は勿論ですが、地方自治体の農政がいかにソーラーシェアリングによる新規就農者の参入を促し、育てることができるかがポイントだと感じます。「持続する農業を地域にいかにつくるか?」これは農業委員会や農政を中心とした地域の農業のあり方そのものが問われていると言えるでしょう。

「FITに頼った収益構造」「地域共生」「農業の担い手」。この3つがこれからソーラーシェアリングが持続的に発展していくために向き合わなければいけない大きな課題と言えます。

私は、ソーラーシェアリングは日本発の有用な技術であり、全国に、そして世界に広がると可能性を持っていると思っています。農業の抱える課題の有力な解決策であると同時に、再エネを拡大する最有力の選択肢で、今のところこれらの社会課題に対してこれ以上に即効性のあるソリューションを私は知りません。しかし、国も国家戦略に位置づけながら今一つ煮え切らないのは、そもそも関係省庁を含む関係者のソーラーシェアリングの便益と課題についての理解不足が大きいと感じます。

有効な解決策はあるのか?

では、これらの課題に対して有効な解決策はあるのでしょうか?
皆、安直に正解を求めたがりますが、正解があれば苦労しないわけで、こればかりは実践しながら見つけていくしかありません。要はそんなに簡単じゃないよね、ということです。ただ、実践を重ねる中で既に手ごたえのある解決策は複数出てきています。現場での様々なチャレンジを通して、有効な知見をいかに蓄積するかが重要だと感じます。

事業者が自ら考え、「深」掘りすること、事業の哲学「芯」を持つこと、「真」雁を見極める目を持つこと、地域の文化や歴史を尊重し、「心」で人と接して「信」頼関係を築くこと、「新」しいことへの挑戦を通じて常に「進」化していくこと。そうしたアクションを積み上げていくことで、よりよいソーラーシェアリングの形が見えてくるのではないと思います。それが「シン・ソーラーシェアリング」と言った理由です。

ウェブ上ではほんのさわりしかご紹介できませんが、もっと詳しい話を聞きたい方は、ぜひ会員になっていただき、自ら現地に実際に足を運び、リアルを感じていただければと思います。

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