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本当の牛の姿。

母親の実家のすぐ近くに牛乳屋さんがあります。

S牛乳店と言って、小規模ですが母屋の奥は牧場で、ホルスタインが今日も元気にお乳を出してくれています。酪農地帯ではないので、民家が並ぶ中に牛達が暮らしている風景は、現代では少し珍しいものかもしれません。子どもの頃は家族で遊びに行くと、散策がてら父に連れられて、牧場脇の林道から、よく牛さん達を眺めていました。

まだ幼かったある日、実家で遊んでいると、S牛乳店に町内のお知らせか何かを持って行くというので、ついていきました。

母屋の玄関で大人達が世間話をしている最中、私は牛舎のほうを見てみました。入り口は開いていて網戸一枚でしたが、逆光のために内部は暗く、何も見えません。モーモーという声に混じって、時折、ジャーッとバケツで水を撒く音がします。

近づいてみました。
網戸に顔をつけて、中を覗いてみました。それまでも何度か牛舎の近くで牛を眺めてはいましたが、ここまで近づくのは初めてです。
すぐに目が慣れて、牛達がおっとりと動いているのが見えました。

相変わらず、時々ジャーッとバケツの音がします。掃除をしているのだと思いました。でも、人の姿がありません。
変だなと思っていると、いちばん近くにいてこちらにお尻を向けていた牛が、おもむろに尻尾をあげると、、、


ジャーーーッ。


さっきからの音は、バケツの水ではありませんでした。


牛の放尿を、見たことがありますか?(笑)

彼らは体が大きい分、こちらのほうもかなりダイナミックでして、幼い私は生まれて初めての、茫然自失。

それまで「可愛い牛さんだよ~」とか言って、「牛さん、牛さん~」とか言っていたのが、茫然自失です。


牛とは、可愛いとか美味しいとかいう前に、こんなふうにあけすけに、おおっぴらに放尿する、生々しい生物、まさに生き物なのだ、という、考えてみれば当たり前のことを、全身で目の当たりにしたのでした。


こんなにすごい量のおしっこをするんだ。
こんなに開けっぴろげにおしっこをするんだ。
こんなにみんなの前でおしっこをし合うんだ。

なのにどうして人間は、おしっこをするのが恥ずかしいんだろう。

いくら考えても分かりませんでしたが、言ってみれば、これが私の初めての性的な思考だったのかもしれません。

この体験があって、本当によかったと思っています。
子どものうちに、生々しいものをありのままに生々しく理解しました。生き物がまさに生きているのだという事を、まだ頭の柔らかい子どもの時期に、理屈ではなく全身で理解したこの時の経験は、紛れもなく私の原点の一つです。
私はこの時以来、牛だけでなく動物や昆虫に対して畏れのような思いを持ち始めました。自分たちの生そのまんま、ありのままに真っ直ぐに。人間の生き方では到底及びもしない(少なくとも私には計り知れない)尺度の生。それへの畏れとおののきは今も変わらないどころか、年々増していくようです。

S牛乳は低温殺菌、味は濃厚。実家の冷蔵庫にはいつも200ml瓶が何本か入っていました。それを勝手に1本出してきて、茶の間の戸棚にいつも入っている青汁の粉末も勝手に出してきて牛乳に混ぜ、抹茶ミルクもどきを楽しむのが、大きくなってからの密かな楽しみでした。
ひと口飲みながら、あのジャーッを思い出すと、どうにも愉快な気持ちになるのです。どこか遠くの牧場やTVの、イメージの中の牛さんではなく、私のすぐ近くで今まさに生を営んでいる牛と、生きているもの同士繋がっている感じがして、とても愉快な気持ちになるのです。
生き物を扱う仕事は、当然いいことばかりではありません。お店も近所にとっても、表向きのきれい事だけではありません。ですが、きれい事だけではないというそれこそが、生きている、という事ではないでしょうか。


S牛乳店の存在する環境に触れることができて、私は運がよかったと思っています。牛乳を飲む度に、こんな愉快な気持ちになれるのですから。

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