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おうち時間のあれこれ

きっと今年の流行語大賞にノミネートされるだろう。

"今年"という2020年を迎えてからまだ半年も経っていないというのにもうそんな事を考えている。

それほどまでに"おうち時間"という言葉はここ数ヶ月間絶え間なくあらゆるところで飛び交っていて、実際私も、この所よくこの言葉を使っている。

緊急事態宣言が発令された当初、
私は、至る所にばら撒かれはじめたこの"おうち時間"という言葉をとても窮屈で退屈な言葉に感じていた。
それもそのはず。 
私にとって、
家の外には生き甲斐の種があったが、家の中にそれはなかったのだ。
意気消沈していた。
 
しかし人間のもつ順応性とは優れたもので、

自粛生活も長く続くと
自分の目の向く先が 外の世界から内なる世界に だんだんと移り変わっていくのを感じられた。
"おうち時間"がやっと、ようやく自分の生活に馴染んできたのだ。
しかしまぁそれまでのプチ鬱期の長さたるや、、。
私はこの環境に順応していくまで長い時間を要した。

長らくおうち時間を過ごしていると、
自分自身とゆっくり対面する時間が増え、
自分という人間性を普段より強く感じるようになった。
だが面白いことに、
自分という人間を近くに感じれば感じるほど、
自分という人間がどんどん分からなくなっていった。

自分を近くに感じる と、普通に書いていて
いま ふと 思ったのだが、
日々自分という形の枠組みの中に
魂というか心というか そういうものを、まるでトランクに荷物を詰めるように日毎納める、そんな作業を日常的にしている人は私の他にもいるだろうか。

私は日頃こういった感覚がある為に自分を客観視しがちで、時折1人である筈の自分を2人にも3人にも感じることがあるのだ。自分の核的な部分が、裂けるチーズのように引き裂かれて分身が生成されていく感じ。想像するとなかなかにシュールで笑える、、、。

まあそんなように 
色んな方面から色んな"わたし"を見つめ、 
結果
"私のことは私が全てわかっている"だなんてとても言えないのだと判った。
わからないことだらけだったのだ。

そして
自分とは何か。 自分とはどんなものなのか。
この答えのない問いを一生懸けて考え抜いて生こうと
決めた。

…と、ここで
また私はこんなところまで話題がぶっ飛んできているのだということに気がつく。そろそろ今ここで起こっている話題の歪みを修正すべきかもしれない。

普段誰かと会話をする時も色々な話題を取り上げるが、結局いつもこういう果てしない大きなテーマにいきついてしまうのは何故だろうか。
大きなテーマのサイクルに全部が巻き込まれて、結果よく分からないヘンテコな文章が出来上がってしまう。

兎にも角にも
これで多少お分かりとは思うが、私のおうち時間の1/4ほどは瞑想の時間と化している。実に面白い。

その他の3/4はというと
歌ったり、体を動かしたり、、、
といってもやはり家で出来ることには限界がある。

歌うことに関していえば…
我が家の壁はお隣の会話が聞こえるほどに激薄であり、歌う人間にとってはかなりの絶望的な状況にあったのでウタエットという音を吸収するシリコン製のアイテムを手に入れた!のだが、、、使ってびっくり。まぁほんの気休め程度の吸音パワー。私のデカい声をカバーしきれず。それでも当然歌いたい欲は抑えられず、何もせず歌うよりは!と、お昼間限定で歌っている。
来年引っ越すお家は絶対に思い切り歌えるトコロにするのだ!と決めるキッカケとなった出来事であった。

トレーニングに関していえば…
ストレッチや腹筋背筋腕立等している間、必ずどこかしらに身体をぶつけている。いつもどこかぶつける。
どうやら私は部屋の家具や物とのソーシャルディスタンスを保てていないようだ。
キレイな身体にするための運動で度々身体にアザを作っている私は一体、、。これはもうキレイとは反対の方向に向かっているのでは、、?
きっと今日もどこかにアザをつくるのだろう。
もはやこの事案については諦めモード。 

歌と運動以外には
ほとんどスクリーンを観ている。
この自粛期間中にブルーライトカットメガネを購入してからというもの、メガネスタイルが定着しつつある。普段は裸眼の為、はじめは非日常感があったが今となってはそれが日常となっている。
これが慣れというものか。と思った。

最近では友人や家族とビデオ通話をすることも増え、
普段なかなか会えない人と会話できるというなんとも不思議な環境が出来上がっていた。
遠いのか近いのか。感覚が麻痺してくる。  
通信技術の進化がつくり出した"遠くても近い"と、
三密を避ける行動がつくり出した"近くても遠い"という二つの状況が、この自粛生活によって生まれている。後者の状況はかなり居心地が悪い。

居心地の悪い現状から抜け出せる日まで
どのくらいの時間がかかるのか、 
私には見当もつかない。

それでもその日を想像して、その日を目指して、
いまできることをお家の中でおもいきりやる。
これが、
最近やっと確立された私のおうち時間の過ごし方。

行きたい!演りたい!会いたい!観たい!
こういった日々蓄積していく欲望たちをぜんぶぜんぶ叶えるために私たちのおうち時間はある。

そして何より
最前線で働かれている方々の負担を少しでも減らすために私たちのおうち時間はある。

こうした思考を持ち続けていると、
"おうち時間がとても大切だ"と心から思えるのだ。

暫く続くであろうこのおうち時間のなかにも 
キラリと輝く生き甲斐の種がきっとまだまだ沢山隠れている。
あの種は家の外だけでなく家の中にもあるということを知ったのだ。

探しきれていないその種を見つけ出すため、
私は今日も生きている。



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