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過去に意味を与えた日

過去が現在を決めるのではなく
現在が過去に意味を与えていく

この言葉に出会ったのが昨年の今頃だった。
現在が過去に意味を与えるとは…?
今のコレであの時のアレに意味がついた!と感じるということなのだろうか…?
とても興味深い言葉ではあったものの、例となるような実体験が思い浮かばずにいた。

が、しかし
先日遂に過去に意味を与えることができた。
あの言葉を痛感するような出来事が起きたのである。

どうなりたいかなんて何も考えず、ただ演ってみたいと思ってヴァイオリンを習いはじめたのが中学生2年生の頃で、それから今まで弾くことだけはゆるっとふわっと続けていた。そのなんとなく継続していた"ヴァイオリンを弾く"という経験が、先日思わぬ形でお仕事に繋がったのだ。

お仕事が決まった時、そして現場入りした時、
今わたし、過去に意味を与えている!と感じた。痛感した。

ヴァイオリンとの出会いにも、あの時習いはじめたことにも、これまで細々とでも続けてきたことにも、全てに意味が付いたような気がする。

ああ、この仕事をする為に必要な経験だったのか、と。
そんなふうに感じた。

思いがけずステキなお仕事に繋がった感動と、嬉しさと、いろんな人への感謝の気持ちが急にブワッと溢れた。

感謝の気持ちは出来たてほやほやのうちに届けた方がいいと思い、唯一伝える術のあった両親へはすぐに"ありがとう"を届けた。当時中学生だった私が突然「ヴァイオリンやりたい!」と言った時、両親はすぐに習わせてくれたから。楽器を買い与え、レッスン費を支払い、車での送迎をし、"ヴァイオリンを弾く"ための環境を整えてくれたのは両親だったから。

初めての教室でお世話になった先生や、その後大学時代に副科としてのレッスンでお世話になった先生へも感謝感謝である。

そして。そもそもの話。

そもそもわたしがヴァイオリンに興味を持ったキッカケというのが、中学校の音楽の授業であの有名なヴィヴァルディの『四季』(『Le quattro stagioni』)を鑑賞した事だった。
ヴァイオリンの音がどんな音かは聴く前から大体知っていただろうし、その他の弦楽器の音がどんな音かだって聴く前から大体知っていたと思う。
なのに、まるで初めて聴いたかのような"出逢いの衝撃"みたいなものを感じたのだ。不思議である。
中学生の私は一瞬にして、ヴァイオリン、そして弦楽器の虜になってしまった。

当時の音楽の先生が私史上最高に独特な授業をするとっても面白い人で、私は大好きだった。
音楽が好きな私のような生徒は、授業が終わると先生の周りに集まって休み時間もよく音楽の話をしていたのだが、ヴィヴァルディの『四季』を聴いたあの日も私は先生のもとへ行き、弦楽器の音を聴いて凄く感動したことを話した。すると先生はその『四季』をCDに焼いて渡してくれたのだ。(CD焼くとか今や死語…?!)それも丁寧にジャケットのコピーも挟んであった。全部英語やイタリア語で当時の私には難しかったが、何度その手作りのジャケットを眺めながら弦楽器の音に酔いしれたことか。
先生のその心遣いが嬉しくて、より一層心に沁みたのだと思う。とにかく何度も聴いた。

そんな具合に先生のアクションが私の弦楽器への興味をさらに深め、結果私は、実際に弾きたい!と思うようになったというわけ。
そういうわけで
もとをたどれば
ヴァイオリンを演るキッカケをくれたのは、紛れもなく中学時代の音楽の授業でありその先生なのである。

そう。だから、キッカケをくれた先生にも勿論
ありがとうを言いたい。

ただ興味を持ってやりはじめて
ただ何となく続けてきたものが
思わぬ形で仕事に繋がるなんて

私が興味を持ったことを受け入れ肯定し、
たくさん協力してくれた家族。
ヴァイオリンという楽器のあれこれをひとつひとつ教えてくださったレッスンの先生方。
授業・授業外含め私の想いに寄り添って、私が奏者に憧れるところにまで導いて下さった音楽の先生。

そういった人たちの、私に対するこれまでの言動全てにも、一つ意味が付いた気がした。

大袈裟かもしれない。自己満足なのかもしれない。
でも私にとっては大切にしたい事だったから、
湧いてきた想いをそのまま放出させ、ケータイのスクリーン上で親指をスルスルスイスイと調子良く滑らせて文字を起こした。
そうしたら
こんな文章になってしまった。
纏まりなくて読みづらいと思う。完全なる確信犯。


意味もなくただ続けてた過去に
意味を与えることができた現在

過去が現在を決めるのではなく
現在が過去に意味を与えていく


一年越しに改めて見てようやく、
この言葉が腑に落ちた。


❤︎最後まで読んで下さりありがとうございます!

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