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「児童文学ではない存在」毎日ショートエッセー:古い羅針盤137章

私たちは子供と大人の閾値を必ず設ける。その大きな理由は子供には十分な経験や知識が備わっていないために、行動規制を設けた方が良いだろうという仮定に立っている。それは有る程度正しい。刑法でも少年法が存在するのもその一部だ。アルコールや煙草などもある年齢を過ぎないと摂取は違反である。とは言え、年齢だけでその閾値を設けるのは限界があるのも事実だろう。社会に格差があるように、人間の成長にも格差がある。充分大人の知識を保有する子供も居れば、年齢的には大人であっても、子供っぽい考え方しかできない者も存在する。さて前置きは脇に置く。「現代イギリス小説の子どもたち: 無垢と邪悪を超えて」:越朋彦氏を読んでいる。

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