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「生産性向上という資本主義の罪 1」毎日ショートエッセー:古い羅針盤125章

私たちは科学崇拝主義だ。その根っこには、資本主義という拝金思考があり、お金持ちは偉い、凄い、という憧れがある。もちろん、私もその一人だ。清貧と言いながら、お金持ちに常に嫉妬している事は歪めない事実だ。それでも、最近の何でもテクノロジーが解決する論には、違和感がある。「ぼくはウーバーで捻挫し、山でシカと闘い、水俣で泣いた」:斎藤幸平氏で感じた様に、私たちは今、時代の分岐点に差し掛かり、コロナ禍が過ぎ去ろうとしているこの時こそ、元の木阿弥にならないようにしなくてはいけない。が、時代は又もや、よりグローバル化を推し進めようとしている。尤も、幸か不幸か、ウクライナ侵攻で世の中は分断しているので、その速度はゆっくりにならざるを得ないのかもしれない。冒頭で述べた科学でさえ、人間の知り得る知識などには限界があり、試行錯誤の連続の中で慎重に進めるべき案件が多い。特に生物の根源に関わる遺伝子操作やそれによる生態系の改良などは、より慎重に進めるべき事項だろう。さて、前置きが長くなった。「ルポ 食が壊れる 私たちは何を食べさせられるのか? (文春新書)」:堤未果氏を読んでいる。

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