三枝なな

平成2年生まれの麻酔科医。30歳で『うつ病』を発症。以後治療を受けながら、フリーランス…

三枝なな

平成2年生まれの麻酔科医。30歳で『うつ病』を発症。以後治療を受けながら、フリーランスの医師として復職→離職→転職を繰り返す。自他共に認める読書愛好家であり、仕事をしていない時期は1ヶ月に15冊ほど読む。活字好きが昂じて、noteで自身のエッセイを書くことを思いつき、現在に至る。

最近の記事

【うつ病せんせい】5. 復職チャレンジ

 休養と服薬によって、日常生活が徐々に戻ってきていた。ただし、相変わらず無職であった。わたしは働きたかった。何もしていない時間は、よくない思考パターンに陥りやすい。とはいえ、焦りが禁物なこともわかっていた。わたしは麻酔科医なので、麻酔の仕事がしたいというのが本音だったが、いきなり手術室の業務に復帰できるとは思えなかった。  そこで、まず健康診断などの比較的負荷の少ない仕事をしてみようと考えた。調べるとそのような求人はたくさんあり、探すのには困らなかった。半日の業務から始めてみ

    • 【うつ病せんせい】4. “何もしない”ことの苦痛

       本格的な療養生活が始まった。実家ではほとんど一日中、ぐったりと横になって過ごしていた。主治医からは、「今は休むことが仕事。何かできたら自分を褒めてあげましょう」と言われた。“何か”、とは。“何でも”だ。それがたとえ昼寝であっても、当時のわたしにとってはすごいことだった。この病気は交感神経が過剰に働いている状態なので、治療薬はなるべく副交感神経のほうを活発にしようと働いている。しかし、とにかくバランスが崩れてしまっているので、昼寝などリラックスした状態になれることはかなり稀な

      • 【余談】迷ったら受診しよう

         初めまして、三枝ななと申します。  まずは、『うつ病せんせい』をお読みいただき、ありがとうございます。(まだ読んでないよ、という方もご興味あれば是非…!) 思いの外たくさんの方がこのページを訪れてくださっていること、驚きつつも嬉しく思います。スキやフォロー、励みになります。感謝です。  医師であるわたしのうつ病体験を発信しようと思いついたのは、ここ数か月のことでした。病状は波はあるものの比較的落ち着いており、転職活動のはざまで時間もあったので、この経験を何か形に残してみた

        • 【うつ病せんせい】3. どうしてわたしがうつ病に

           診断を受けてすぐに、薬物治療が始まった。恥ずかしながらわたしは、学生時代にこの病気について勉強したにも拘わらず、少し仕事を休んでおとなしく薬を飲んでいればよくなると軽く考えていた。ところが、まずその薬の副作用に苦しむことになる。うつ病の主な病態として、神経伝達物質であるセロトニンやノルアドレナリンが、分泌はされても過剰に取り込まれてしまい、自律神経のバランスがくずれるということがある。わたしに処方された薬は、そのセロトニンやノルアドレナリンの取り込みを抑えるという性質を持っ

        【うつ病せんせい】5. 復職チャレンジ

          【うつ病せんせい】2. 医者の不養生?

           自分の健康についていい加減であったのは、あながち間違いではない。  麻酔科医として大学病院の手術室で働いていたわたしの日常は、控えめに言っても激務であった。朝は6時前に起き、たいてい7時までには職場に着く。7時半にカンファレンスが始まるので、それまでに準備をする。麻酔科医の「準備」とは、その日に担当する手術に必要な麻酔の準備のことである。たとえば全身麻酔なら、全身麻酔に必要な薬剤や機器類をセッティングする。8時には患者さんが次々と手術室に入ってくる。長い手術は10時間ほどに

          【うつ病せんせい】2. 医者の不養生?

          【うつ病せんせい】1. プロローグ

           “Fact is stranger than fiction.(事実は小説よりも奇なり。)”  イギリスの詩人バイロンの「ドン・ジュアン」にある言葉だ。それまで比較的平凡だと思っていたわたしの人生も、気まぐれな夏の雲のごとく、奇妙に動き出したのであった。  2020年6月半ばのある日、わたしの身体は突然動かなくなった。「動かなくなった」というより、「電池が切れた」という表現がふさわしいかもしれない。  朝、いつもの時間にスマートフォンのアラームが鳴り、画面を触ってその忌々し

          【うつ病せんせい】1. プロローグ