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【うつ病せんせい】4. “何もしない”ことの苦痛

 本格的な療養生活が始まった。実家ではほとんど一日中、ぐったりと横になって過ごしていた。主治医からは、「今は休むことが仕事。何かできたら自分を褒めてあげましょう」と言われた。“何か”、とは。“何でも”だ。それがたとえ昼寝であっても、当時のわたしにとってはすごいことだった。この病気は交感神経が過剰に働いている状態なので、治療薬はなるべく副交感神経のほうを活発にしようと働いている。しかし、とにかくバランスが崩れてしまっているので、昼寝などリラックスした状態になれることはかなり稀なのだ。
 両親は日中は仕事に出かけている。母親は仕事から帰ると毎日夕食の支度をした。父親も休みの日は玄関先の植木の剪定をしたり、車のメンテナンスをしていた。わたしだけが何もしていなかった。外に出ることはもちろん、会話をするだけでもしんどい。“何もしない”こともしんどいし、“何かする”のもしんどい。まさに八方塞がりである。また、前述したが薬の副作用である「寝汗」がこの頃特にひどかった。夜中に目が覚めては着替え、その後寝つけないことがほとんどであった。それでも一人暮らしの頃よりは食事がとれるようになってきて、少しずつ体重が戻ってきていた。
 わたしは、大学病院を休職していた。この先どうするか、そればかりを日々考えていた。おそらくあの職場には、というより、あの働き方にはもう戻れないと薄々感じていた。医師の仕事は、「負担の少ないことから少しずつ……」という働き方が難しい。仕事に携わる以上、一定の責任が生じる。そのような仕事をできる気がしなかった。わたしは少しずつ大学病院を離れることを考え始めていた。そして発症から約半年後、5年間勤めた大学病院を退職した。
  健康になりたい――ただそれだけでいいと思うようになっていた。まさか自分が大学を離れて無職になるとは予想もしていなかった。今後のキャリアについて色々と考えてはいたが、病気になってそんなことはどうでもよくなっていた。
「生きる。できることならなるべく健康な状態で……」
 これが、わたしの目下の目標となった。

(つづく)

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