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【うつ病せんせい】2. 医者の不養生?

【医者の不養生】
①ひとには養生をすすめる医者も、自分は案外いい加減なことをしていること。
②人には健康を説く医者が、自分の健康には注意しないということ。

①広辞苑 第7版
②明鏡国語辞典 第3版

 自分の健康についていい加減であったのは、あながち間違いではない。
 麻酔科医として大学病院の手術室で働いていたわたしの日常は、控えめに言っても激務であった。朝は6時前に起き、たいてい7時までには職場に着く。7時半にカンファレンスが始まるので、それまでに準備をする。麻酔科医の「準備」とは、その日に担当する手術に必要な麻酔の準備のことである。たとえば全身麻酔なら、全身麻酔に必要な薬剤や機器類をセッティングする。8時には患者さんが次々と手術室に入ってくる。長い手術は10時間ほどになることも少なくない。麻酔科医は、基本的に1件の手術をたった一人で担当する。運がよければ11時半頃に昼食のため交代してもらえるが、常に人手不足であったので、実質休憩時間はないに等しかった。わたしは、昼にしっかり食べると眠くなってしまうので、サンドイッチのような軽食を5分くらいで済ませていた。
 1週間に1回か2回は、当直業務につく。これが凄まじい。前述のように朝から晩までフル稼働し、そのままなだれ込むように夜間の緊急手術に備えるわけだが、まあ3時間も寝られれば御の字である。一睡もできないことはよくある。そしてほとんど休めない状態で、次の日は昼過ぎまで再び手術に入るのが普通であった。
 このような日々を送っていたわたしであるが、もちろん辛いことはたくさんあれど、医師として任される仕事も増えてやりがいに溢れ、充実している実感を持っていた。今思えば空恐ろしくなるが、うつ病を発症する直前など、いわゆるボーナスというものが出て少し浮かれていたのである。しかし、泣きながら帰宅したり、自宅に帰ってからも次の日の仕事のことを考えて眠れなかったりと、お世辞にも情緒安定とはいっていなかったと思う。
 そして2020年といえば、年明け頃から、得体の知れない感染症の脅威がじわじわと迫ってきていたのである。病院内は、完全に混乱していた。手術室というのは非常に閉鎖的な空間である。裏を返せば、ひとたび感染症が舞い込むと、たちまち集団感染を引き起こしてしまうのだ。手術室は病院の「最後の砦」として、鉄壁の守りを貫かねばならなかった。休みの日に人出の多い場所に出かけたという職員は後ろ指をさされ、少しでも体調が悪い者は、それこそ害虫のように扱われた。異常な雰囲気だった。自分も含め、皆が少しずつ、平常心を失っていくのがわかった。

(つづく)

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