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こころにおきたいことばたち_8

今週も新聞記事の中かから、総合地球環境学研究所長の山極寿一さんのことばから、私なりにいろいろ考えてみたいと思います。

マーケットに並んでいる商品はどれも規格がそろえられていて、同じ規格のものは同じ値段がついている。それを私たちは疑うことなく購入するが、それは正しい行為なのだろうか。

令和6年2月10日 毎日新聞
コモンエイジ 公共のかたち
山極寿一 さんのことば


私が一年以上前にTwitterをしていた時、山極さんのフォローをしておりました。短いツイートの中に、大切なことが凝縮されていて、なんども「いいね」をしたり、リツイートしていたことを憶えております。



人間としてのあり方を見直す


山極さんの記事、急速な人口減少、担い手不足の日本の現状を、「人間としてのあり方を見直すチャンスだ」と考えられているようです。私も(私は学者ではないので根拠は何もありませんが…)チャンスだと思っております。


一都市集中の日本


山極さんの記事の内容は、都市に人口が集中し、人工的なインフラに都市に住む人々は頼るしかなく、それがいざとなった場合には、リスクがあるという事。それに比べて、地方は自然が豊かなので、森林や川の流れなど自然の力を利用できるので暮らしにお金がそれほどかからないという事。都市に住むことと、地方に住むことの違いについて述べられています。

コロナ禍をきっかけに、オンラインで遠隔で仕事ができる事が可能となり、地方に移住された方か゛多いと聞きます。このnoteに参加されている方の中にもいらっしゃるのではないでしょうか。


多地域居住

山極さんは下記のように、一都市集中型から、多地域居住の提案をされております。

都市に定住しなくてもいい。気に入った地方に拠点を移し、都市にも住める場所を作って多地域居住を実現する。…気に入った仲間ができれば、ゆっくりネットワークを広げる

若者が集まって地域の人たちと話ができれば、様々な知恵が湧いてきて仕事が立ち上がる。地縁、血縁、社縁の薄れた現代は人々が気ままに移住できる時代である。要は若者たちと移住を受け入れる地域の人々の意識変革である。

地域の人々の意識改革、大事だと思います。外からの新鮮な空気を、受け入れることで、地域活性化に繋がるのではないかと思います。様々な知恵が湧いて新しい仕事が生まれるなんて、若い世代の方に、私は期待したいし、そんな方々のお仲間に入りたいぐらいです。


私は地方に住んでおります。
私のご近所さんでも、「家族全員が歴史が好きで(特に奥さんが)、引っ越してきました」とか、「ネットで住みやすさランキング上位に上がっていたので、引っ越してきました」など、「えっ、なんと気軽!」と驚いたほどです。
幼稚園時代からのママ友も、ご夫婦共々実家が遠いところなのに、この地方で住まいを選ばれております。ママ友たちはすっかり地域に溶け込んでおり、山極さんもおっしゃっているように、若い世帯には、地縁、血縁って、薄い感覚なのかもしれません。

地方に人が移り住むには、

①そこに、仕事があるかどうか
②仕事場から通勤がスムーズか
⓷子育て世帯にとっては、子育てしやすい場所か
④仲間、友達ができるかどうか

それが重要なのかもしれません。



移住インフラ


ただ、地方へ移住することの課題としては、受け入れる側の意識改革以外にも、「移住インフラ」(私のこの記事の造語)が整っていないと、長続きしないのではないのかなと、私は思います。「移住インフラ」とは、「住まい」「交通手段」「行政の円滑な受け入れ態勢」。ざっと上げましたが、いろいろ整えることが必要だと思われます。そこに移住したいと思っても、住まいがなければなんともなりません。
全く知らない土地に、戸建てを建てるというのも、資金と勇気がかなり必要です。また、子育て世帯にとっては、教育の場、特に高等学校への進学の選択肢が、バス、電車などの「交通手段」が少ないことや、通学時間がかかってしまうとなると、都心と比べるとかなり減ってしまいます。
(すでに、「移住インフラ」を整えようとしている行政もあるかと思います。この三連休の記事で、地方遠隔地での教育を改革させるような記事を発見しました。貼り付けておきます↓) 


今地方で問題になっている「空き家」をうまく利用し、安価に借りれるシステムを整えれば、都心と地方の2拠点で住まいを持つなど工夫次第で、教育の機会の問題等も軽減するかもしれません。


悪循環を改善する

さて、話を、筆頭に載せた山極さんのことばに戻します。

大量生産・大量消費・大量廃棄といった無駄が生じている現代の悪循環を改善するために、山際さんは、アフリカの森林で暮らしていた頃の市場での話を例にして、お話しされています。

そこでは、品物に値段がついていない。すべては売り手と買い手との交渉で決まる。話をしているうちに、お互いの暮らしの事情が分かって何となく信頼感が湧いてくる。物の売買とは本来そう言うものではないか。

悪循環を改善するためには、マーケットが決めている規格と価値を個人に取り戻す必要がある

この記事に書きながら、私なりに山際さんのことばを考えました。
(山極さんが伝えたい事と、私のとり方が違っているかもしれませんが…)

私たち一人一人が、(物に限らず)何が必要で、何に価値を置くべきか。
これからの私たちは、人と関わりながら、本当に必要なもの、信頼できるものは何なのかと、自分なりの価値観をきちんと持つことが大切ではないかと思いました。
足るを知る者は富む」の精神を持つことも、必要ではないかと思います。

人と関わりながらと書きましたが、私、仕事場で黙々と働くだけ…。週末だけでも、ママ友とは別の、新しい仲間ができたらと思っています。


規格通り、規格外


新聞記事を読んで、今回の記事の筆頭に載せた山極さんのことばの中の、「マーケット」という部分を「現代に生きるわれわれ人間」に置き換えて考えることもできると思いながら読みました。意味深い文です。

では、私なりに置き換えてみます。

現代に生きるわれわれ人間は、時として規格通りに生きることを強いられ、規格外のものは、はね返される」(私が変換したことば)


もちろん人としてのルールはきちんと守りながら、あまり窮屈な世の中にならないように、様々な人々にとって生きやすい世の中になるといいです。

そのために、私でも何かできる事を、ほんの少しでも実行していきたいです。

でも、私は何ができるのか全く分からず、今現在真っ白な状態です。これから、少しずつ考えていこうと思っています。(ずっとこんな事言っているかもしれませんが…)