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30歳の女性になって、思うことを書いていく

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マガジン

  • 私が育ったところ

    毒親って言っていいのかな そんなこと言ったらバチがあたる でも、忘れられないあなたの言葉 記していくだけ 忘れるために

  • 30代既婚子なし

最近の記事

チーズバーガーのピクルス

某有名ファストフード店のチーズバーガーにはピクルスが入っている 母はそれを抜いて食べていた 幼い私たち兄妹は、食べる前にそれ母に抜いてもらう儀式があった いつからだろう 兄がそれを入れたまま食べるようになった 母が聞いても別にいいと言ってそのまま食べるのだ しばらく私は 兄に取らないの?としつこく聞き どこかで兄に に帰ってきて欲しいと願望を抱いていた そして、なぜか兄に裏切られたような気がしていた 私が初めてそれを入れたまま食べたのはいつのことだっただろう 友達の

    • 毒親と言葉を知ったあの日から

      私の家族は機能不全家族にあたる そう結論に至ってから5年ほど過ぎただろうか 相変わらず苦しいし 相変わらず辛いし 相変わらず親子の話に触れると夜には彼らが夢に出て来る 年末は実家に帰るの? その言葉が刃のように刺さることは知らない 単なる世間話だ ”帰らない” なんて言うとチョコレートを食べたことがない人を見るような ありえない と驚きに満ちた顔をされる ”オミクロンが怖いしさ” なんてもう効力がないのかな 解毒なんて言葉を見つけて どうしたらここから抜け出せる

      • 胎児の私はお邪魔虫

        あんたがお腹にいたからお兄ちゃんは抱っこしてもらえなかったのよ かわいそうに 一番抱っこしてもらいたい時だったろうに こんなちっちゃい時から我慢してたのよ お兄ちゃんは2歳からお兄ちゃんやってるのよ それに比べてあんたはいつまでも甘ちゃんで 兄と喧嘩すると決まって母はそう私に言い聞かせた   ・お兄ちゃんは私よりたくさん我慢している   ・私がお腹にいたせいで甘えたい時に甘えられなかった だから今あんたが我慢しなさい という理論だ なんで死にたいんだろう? なん

        • 大変だったねと言われた時

          誰かに 大変だったね と言われたとき ホッとすると同時にどこかで 当たり前だろと思っている なぜなら 共感してほしくて 辛かったねと言ってほしくて 私は話している 思ってもらえたという達成感は一瞬で 相手を誘導して思わせたのかもしれないという罪悪感と もしかしたら思ってもいないのに言ってくれたのかもと相手に懐疑心が生まれる さらに事実は違うのかもしれないと自分自身を疑い始める それでもこの辛さを確かめたくて 一瞬の安心を感じたくて 私はまた”かわいそうな私

        チーズバーガーのピクルス

        マガジン

        • 私が育ったところ
          11本
        • 30代既婚子なし
          1本

        記事

          子供は親を選べない

          親だって産んでみるまでどんなのが出てくるかわかんない が母のセットだった そうだろうか 実は親には選択肢がある 施設に預ける 祖父母に預ける 置き去りにする 山の中に捨てる いっそ殺す そもそも産むまで育てずに堕胎する 産まれてきた子供に上記の選択肢はほぼない それらの知恵がつく頃には父母の毒にどっぷり染められている 親が子供に子供を持って欲しい理由子育てしてよかったと義母は言った 温かな眼差しで夫の小さな頃の写真を見て楽しかったと言った 一方、母と揉めた後 普通に

          子供は親を選べない

          母の誕生日が来た

          私の生きる道を否定し妨害し それがまるで私のためかのように振る舞った母を見て それをお前が悪い、問題を自分に関係ないところに追いやろうとする父を見て 私の両親が”毒親”という部類に入ることを認めざる負えなくなった日から 育ってきた環境が”機能不全”であったことを知ってから 私はずっと苦しんでいる 誰か友達に話そうものならわかってくれるよ親だもの 説得できるまで頑張ってみたら あなたのことを思ってるんだよ 私に原因があり 子供側のワガママで 親の気持ち子知らずで 若さゆ

          母の誕生日が来た

          私のお世話は”罰ゲーム”

          お父さんは私ちゃん係 幼い頃、母はよく父を”私ちゃん係”に任命した ご飯を食べさせたり、出かけた先でうろちょろ歩く私とペアになって歩くのが私ちゃん係だ 私からすれば、平日世話をしてくれる母が手を出してくれない 母は私が助けを求めると「私ちゃん係はお父さんでしょ」と言う 父は横で母に世話をされているようないい子の兄を横目に 私が思った通りに世話されないことに苛つき、怒鳴ったり無視をする わかっていた 私が泣けば待ってましたとばかりに文句を父へ言う母 そしてそれに対してさらに

          私のお世話は”罰ゲーム”

          唇を尖らす

          唇を尖らした 母が吐き捨てるように 「お父さんみたいだからやめなさい」といった 小学生が自宅で唇を尖らしているだけだ 外でやると無作法だと言うならわかるが、母は父に似ているからやめろという おぞましいことかのように言い放った母 胸全体に広がった鈍痛とともに、背骨の辺りがすっかりなくなってしまうような 崩れ落ちる感覚を私は味わった 母は私が幼い頃から幾度となく父に似ていると言った 兄と母の性格が似ていて、私は父似 血液型も兄と母、私と父が同じ 言われる度になんとか母の

          唇を尖らす

          私が産まれたわけ

          「色の白い優しそうな女の子ですよ」 こう声をかけた産婦人科医を私は恨んでいる 私を産んだときに母が産婦人科医にかけられた言葉だ 何かあると母は必ずこの言葉を出して こう言われたのにあんたは優しくない、色が黒くなったと責められたのだから 母が兄を産んだ日母はおばあちゃん、つまりは母にとっての姑に電話をかけた 産んだとき切れたとこが痛くてね、這って公衆電話まで行って電話したのよ! そしたらおばあちゃんなんて言ったと思う? あんたが丈夫ならすぐ次が産めるって言ったのよ! 待

          私が産まれたわけ

          ささくれ

          ささくれができるといつも母に言われていた言葉がある 「親不孝な悪い子はささくれができるんだよ」 それを聞くたびに あの時わがままを言ったことか あの時自分が意地を張ったことか と思いを巡らせ、自分を責めた ”悪い子なんだ” ”私がいい子じゃないからできるんだ” ささくれができると不安になった 少し大きくなると、母に見つからぬうちに爪切りで切ろうとした それでも見つかるとまたあの言葉を言われる 「あんたは親不孝だから」 ささくれが親不孝と結びついたのは痛くて炊事が手

          ささくれ

          お母さんが死んだらお父さんを恨んでね

          伯父が亡くなった 突然の出来事だった 近しい自分の親世代の人が亡くなることが初めてだった私は それなりのショックを受けていた そんな時がもう来てしまったのだと考えていた ホテルに泊まり 母と食事をして 母を部屋に送って行った 母が話し続ける シングル2つとったのに自分の部屋に帰れない ふと母が お母さんが死んだら、お父さんのこと恨んでね と言った 副流煙がどうのこうの夫からのストレスが原因での早死のはずだと続く 肯定的な相槌をし続けていた私が口を開く それはどう

          お母さんが死んだらお父さんを恨んでね

          子供を比べて育てること

          母に ”兄と比べないで”というと 決まって母は怒り狂う 「私がいつそんなことした」 「お兄ちゃんはそんなこと言ったことない」 といった具合に でも兄の話を聞いているといつも私が兄よりできないという設定にはなっていないようなのだ 兄が気を遣って嘘をついているのかもしれないが 兄には「妹はこうなのに」と言われるらしい 母は兄弟の仲が良くなかったらしい よく私たちを見て仲がいいと言っていた そして兄が私を甘やかすことをいつも「お兄ちゃんは妹に甘いもんねー」と言っていた 私

          子供を比べて育てること

          子供を産みたいと思わないこと

          30歳になった。 その時、ふと子供を産める期間が少ないことに気づいた。 いや、気づいたのではない。見ないフリをしていただけなのだ。 大人と呼ばれる年齢になって気づいただろう。 みんな大人とは年月がしてくれるものではないのだと。 悩み、傷つき、落ち込み、抜け出せず足掻き、たまに人も傷つける。 思い描いていた”大人”になった人はどれほどいるのだろう。 親になるということは女性が妊娠し、 十月十日腹の中で育て、出産し、その後、親となる人が育てていくことだ 産んだこともない人間

          子供を産みたいと思わないこと