見出し画像

母の誕生日が来た

私の生きる道を否定し妨害し
それがまるで私のためかのように振る舞ったを見て
それをお前が悪い、問題を自分に関係ないところに追いやろうとするを見て

私の両親が”毒親”という部類に入ることを認めざる負えなくなった日から
育ってきた環境が”機能不全”であったことを知ってから

私はずっと苦しんでいる

誰か友達に話そうものなら

わかってくれるよ親だもの
説得できるまで頑張ってみたら
あなたのことを思ってるんだよ

私に原因があり
子供側のワガママ
親の気持ち子知らず
若さゆえの思慮の至らなさと片付けられた

それでもわかって欲しくて必死に

でも、虐待して殺しちゃう親もいるじゃん
私小さい時歯がいじめになって母に叩かれてたこともあったんだ

なんて言うと
途端に夢みがちな言葉はおさまるが
それと引き換えに
本来大事にされるはずの親にも大事にされなかった私を公表したことに気づき
私はたちまち”虐待児”という親にさえ大事にされなかった
価値のない人に成り下がった気持ちになった

ああ、自分の親は毒親だったのか

そう認める時、私たちは多くのことを失う
愛されているはずという疑いたくなかった思い込み
私は親にとって大事な存在という願望
私の家族は普通だという幻想

そして家族の話題になった時さっと付ける仮面
心ない言葉にそっと隠し持った自分を守る脆弱な心の盾を手に入れる

諦めた
もう無理だね
関わりたくない
できたら、病気とかで早く死んで欲しい

そんなことを口にするようになっても
どこかでまだ
私はどこかでまだ

いつか母が私の生きる道をよかったねと言ってくれるような
いつか父が悪かったと一言言ってくれるような

そんな気がしてしまうのだ

まるで施設に預けられた子供が
いつか親が迎えに来ると信じてやまないように

どこかでその日は来ないことを知りながら

変わるはずがない
そうやって思いたかったからあの傷ついた言葉たちを見ないフリしてきたんだ
もう彼らがどんな気持ちで私に接していたか気づかないフリができない

とそれが淡い夢であることも私は確信している

母の言動に違和感を覚え

ネットを読み漁り
スーザンフォワードに出会い
私の世界は一変した
腑に落ちたような
誰かに毒親と認めて欲しような
誰かに否定して欲しいような
答え”を求めて彷徨うような不安定な気持ちだった

カウンセラーに諦めなさいと言われ

その時なぜか毒親と認めることを誘導されているような
そう思い込ませようとされているような
親を侮辱されたような
そんな気持ちになった
反発したい気持ちが沸き起こった
答え”はなんの役にも立たなかった

母はきっと

なんてひどい娘
親不孝な
自分が親になって苦労すればわかる
”家族”なのに
大事に育てたのに
あの子は突然こちらを遮断した

叔父のように母の味方になってくれる人に言っているのだろう

あの日に戻って母が私の未来を願ってくれたら
父が私と母の間で父親として最初で最後の関わりを持ってくれたら
今では脳みそが辛すぎて意識しないとぼんやりとしか思い出せない
あの日々を私はずっと思っている

お母さん知らないでしょう
私苦しんでいるよ
いつまで苦しめばいいんだってくらいずっと苦しんでいるよ

親との関係が絶対じゃない
親友がいる人もいればいない人もいるくらいに世界の認識が変わればいいのに

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?