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「女性をエンパワメントすること」の難しさを感じて

最近、女性をエンパワメントすることの難しさをひしひしと感じている。

大学院の授業が始まって、3週間がたった。だんだんと授業も軌道に乗ってきて、教授やクラスメイトたちと深い話をすることも増えてきた。

私が研究しようと思っている内容はまだ具体的に練られておらず、それも皆の前で意見交換しながらブラッシュアップしていくという感じ。研究室のクラスメイトは、博士課程に在籍する父親くらいの世代の男性(ちゃんとはわからないけれど5,60代くらい)と中国人の女性が3人だ。

私は、8年の会社員生活の中で感じた生きづらさを、どうにかして解明したいと思っている。誰が悪いわけでもない、誰に文句を言いたいわけでもない、ただただ、組織の一員としてでなく「個」として生きること、あらゆるラベリングやカテゴライズから解放されて自分らしさを大切に生きること、それを、どう「組織の中で働きながら」実現させていくのか、というのを考えたいと思っている。それにはもちろん組織側・企業側の視点も重要であり、どちらもハッピーでなければ叶わないことだからこそ、偏りなく解明できるようにと、学術という道を選んだ。そしてその私の意思の中には、明確に「女性が社会の中で生きること」の難しさをどうにかしたい、という願いが込められている。

研究室で議論をしていて改めて気づいたことは、私が感じている違和感や悩みを、全くもって感じていない人がたくさんいるということだ。

こうしてnoteを書いたり、発信したり、身の回りの人と話をしている中で話をすると、大抵は「わかる」と共感してもらえる。それは、必然的に似たような経験や思いを持っている人が周りに多いということ、それを自分が発信する中で「引き寄せている」ということだと思う。それ自体はある程度は仕方ないことだと思っている。

けれど、それとは全く別のコミュニティでドキドキしながら話をしてみると、びっくりするほど伝わらないものだ。「一般職」と呼ばれる事務をする仕事に女性ばかりが採用されていることの違和感を訴えても「でもそれは最初から承知の上で入社したのではないですか?」と聞かれて、答えに詰まる。もちろん承知の上で入社せざるを得なかったのだ、わかっていてもやりがいを感じられなかったり評価されないことに気に食わずやめていく人もいるのだ、ということを説明しても、うまく響かない。日本の大手企業はクビにならないだけマシだ、小さい企業に勤めていたらそうも言っていられない、と言われても、比べるものが違う、と思ってしまう。「あの人と比べたらこうだから」という理由だけで意思決定をする人ばかりじゃない。自分の中での「理想」「願望」があるから人は苦しむんじゃないのか。

全国転勤のシステムの中で子供を持ちながら働き続けるのは難しい、どちらかが転勤になったら片方が辞めなければいけない状況になる、ということを説明しても、中国出身の同級生にはいまいち響かないようだった。聞いてみると、中国では全国転勤というのはあまり一般的ではないらしい。雇われた土地で働く、というのが普通だそうだ。(中国の論文を読んだわけではないしその場にいた3人の認識がそうだっただけだから絶対とは言えない。けれどイメージとしてはそういう感じなんだろうと思った)

「体感」としてあまり響かない人に対して打ち返すのは、こんなに大変なのか、と思った。なぜわかってくれないんだ、と怒っているわけでもない。誰も悪くない。ただただ、「理解してもらえるくらいまで説明する」「納得してもらう」ことの難しさを痛感し、途方に暮れてしまう。自分の持つ説得力のなさや不勉強さに、愕然とする。住むところを会社に決められることの違和感、女性だからという理由で特定の職制が用意されていることの理不尽さ、やりがいの感じられない「誰でもできるような仕事」をやることの悲しさを、私は「客観的に」「科学的に」説明しなければならない。こうして一個人の経験値で訴えても、あまり意味をなさない。大学院で研究するというのはそういうことだ。そういう高い壁に、私はいま、ぶつかっている。

私が高校2年生の時、担任の先生に呼び出されたことがある。私は女子校に通っていて、担任も女性の先生だった。

呼ばれた理由は、「成績が悪いから」。当時の私は学生生活の全てにおいてやる気がなく、1年のうち100日くらい遅刻していたし、午前中に授業がかたまっていた生物の単位を危うく落としかけたくらいだった。先生曰く、その時私は学年で下から3番目の成績だったらしい。

そうなんだ、やばぁ〜、くらいのノリで話を聞いていた私に、先生は「まあいいか、〇〇さんはかわいいから、お金持ちの人のお嫁さんになればいいもんね」と笑いながら言った。私は教室に戻った後も、家までの道も、腹わた煮えくりかえる思いで帰った。激怒していた。とんでもない冒涜だと思った。

先生の思う壺、私はそれから猛勉強して大学に行くことになった。ちゃんと勉強しようと思えたのは、先生のおかげだった。


その言葉が先生の「策略」であることはわかっていた。なぜならその先生は、その後私たちが卒業する時に「私の夢は、教え子が日本で初めての女性総理大臣になることです」と言うような人だったからだ。

「〇〇さんはかわいいから、お金持ちのお嫁さんになればいいもんね」

「私の夢は、教え子が日本で初めての女性総理大臣になることです」
は、全く違う価値観の元で言っているように感じるかもしれない。けれど私はこの両方の言葉が1人の人間の中に存在し、それを操ることはとてもリアルなことだと思った。この二つの極端な考え方は、私たちの世代が生きている世界の、ことごとく「リアル」だと思う。


学生時代、お正月に先生と年賀状のやりとりをしていた時、先生は「授業の準備で、最近寝不足です」と書いてきていた。授業の準備で寝不足になるなんて、と思っていたけれど、その言葉を今思い出すと、先生は一人の「人間」そして「女性」だったんだなと思う。先生という立場の前に「女性」であり、その思いからあの2つの極端な言葉をリアルに持ちながら、私たちに勉強を教えてくれていた。

あの時期の寝不足も、あの時かけてくれた酷い言葉も、全部無駄じゃなかったですよ、と今ならば思う。難しすぎて当時の私にはどれも解釈できたものじゃなかったけれど、30歳になり、少しずつわかってきた気がしている。


とはいえ、女性をエンパワメントすることは本当に難しい。私の中に解があるわけではない。誰があっている、間違っているなんて言えない、わからない。スキルも足りない。難しい問題だからこそ、悩む、考える。

日々そうした発信をされている人たちは、どういう風にモチベーションを保ち続けているのだろうか。腹立たしいことや理不尽を前にして、どんな風に自分を磨き、そして癒していけるのだろうか。怒りは力になるけれど、何かを変えるきっかけにはなるけれど、怒りだけでは自分が辛くなってしまう。どういう風に、自分を大切にしながら外の世界に発信していけるのか。(さらに大きい話になるけれど)アメリカで起きているデモの映像をみていると、この怒りの行動がどうか報われますようにと胸がギュッとなる。怒りは、外への影響力もあるけれど、自分をも傷つけるから。そういう感情とのバランスも、「学ぶ」ことの一つなのかもしれないな、と思ったりする。

そんな大学院生3週目の所感です。

Sae

「誰しもが生きやすい社会」をテーマに、論文を書きたいと思っています。いただいたサポートは、論文を書くための書籍購入費及び学費に使います:)必ず社会に還元します。