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第4回 食べぬやバラすやさしすせそ

第4回にして、冒頭のブレストと説明が入ってきました
「結合改善」があまりにも読みにくかったので、後々anno labバージョンに勝手に改変しちゃうことになります

うさみ「ご飯を・・・あの、八十一っていう、ラーメン屋さん?」(1'40'')

美味しそう・・・😋
確かに、「ハナー」にも見えますね・・・笑

Xより感想をピックアップ(3'45''~)

いや、本当そう笑
まとめている間も、これってドラゴンボールのブレストだっけ・・・?となりました・・・笑
まあ、乗っかり推奨してるのでブレストは常にこういう風になる可能性は秘めてますね〜!極端なところを掘り続けて、凄いところまで到達しちゃう感じ・・・
もちろん軌道修正して地ならしするのも一つのテクニックではありますが、僕自身は、重箱の隅つつきまくって終わる回がある、というのも、またブレストの魅力のひとつ、と考えてます

なんと、まさかのLISTEN公式から・・・!
ありがとうございます
ブロッコリー彫った仏像、僕もみてみたいです笑

番組では全部はピックアップしきれてませんが、少しだけ他のものも拾っていくと、

よめさん、sakurakoさん、ありがとうございます〜!
二人ともあのラボメンバーですが、仲間が聞いてくれるのは嬉しいものですね

今気づいたけど、これ(note)、Xの投稿を画像付きリンクにしたらちゃんと該当のポストが表示されるんですね〜!
普通に内容コピペして引用にして貼っていた・・・
便利だな〜
電撃樋口塾」の、Taiseiさん、のりだーさん、ありがとうございます!
ちなみに、H27 20243月号の19'56''~ぐらいから取り上げて頂いています〜

ありがとうございます!笑
「あのラボの平常運転だ」というのは、うさみくんの奥さんにもご指摘頂きました・・・笑
普段の感じをそのまま届けたいと思ってるんで、これは嬉しい感想ですね〜

野菜送られてくるはかなり良いな〜
自炊もたまにする&野菜中心の料理が好きなので

あと、お題も頂きありがとうございます!
ということで、2つ目のお題は食育です

お題#0007「新しい食育って何かありますか?」(6'30''~)

なっち「食育って、分かる?」
さだむ「分かりま・・・せん!!」
三人「笑」(6'40''~)

食育(しょくいく)とは、様々な経験を通じて、食に関する知識と食を選択する力を習得し、健全な食生活を実践することができる人間を育てることである。2005に成立した食育基本法においては、「生きる上での基本であって、知育、徳育及び体育の基礎となるべきもの」と位置づけられている。単なる料理教育ではなく、食に対する心構えや栄養学、伝統的な食文化についての総合的な教育のことである。

この言葉を造語した石塚左玄は、食品の与える影響に関する独自の説によって、子どもに食べさせる食品の影響によって子どもの心身を養うという意味で用いた。

Wikipedia「食育」より

ふざけた訳ではなくて、分かるって言ったあとに「じゃ食育って何?」と聞かれても、答えられる気がしなかったんですよね・・・笑

「食育」とは
食育は、生きる上での基本であって、知育、徳育及び体育の基礎となるべきものと位置付けられるとともに、様々な経験を通じて「食」に関する知識と「食」を選択する力を習得し、健全な食生活を実践することができる人間を育てるもの。
農林水産省は、食育推進基本計画の作成及び推進に関する事務を担っており、食品安全委員会、消費者庁、こども家庭庁、文部科学省、厚生労働省等の関係各府省庁等との連携を図りながら、政府として一体的に食育を推進。
地域においては、様々な立場の関係者の緊密な連携・協働の下、国民運動として食育を推進。

「食育」とは:農林水産省より

食育って何?
近年、偏った栄養摂取、朝食欠食など食生活の乱れや肥満・痩身傾向など、子どもたちの健康を取り巻く問題が深刻化しています。
朝ごはんちゃんと食べてる?
みんなで一緒に食事してる?
食べる時、あいさつしてる?
食事のお手伝いしてる?
こうした問題を解決する重要な役割を果たすのが食育です。
平成17年に食育基本法が、平成18年に食育推進基本計画が制定され、子どもたちが食に関する正しい知識と望ましい食習慣を身に付けることができるよう、学校においても積極的に食育に取り組んでいくことが重要となっています。

食育って何?:文部科学省より

「食育」とは、様々な経験を通じて、「食」に関する知識と、バランスの良い「食」を選択する力を身に付け、健全な食生活を実践できる力を育むことです。食べることは生涯にわたって続く基本的な営みですから、こどもはもちろん、大人になってからも「食育」は重要です。健康的な食のあり方を考えるとともに、だれかと一緒に食事や料理をしたり、食べ物の収穫を体験したり、季節や地域の料理を味わったりするなど、食育を通じた「実践の環(わ)」を広げましょう。

「食べる力」=「生きる力」を育む「食育」。実践の環(わ)を広げよう|政府広報オンラインより

厚生労働省では「栄養・食育対策」のページに、健康・医療の観点からの食育に関する様々な政策がまとめられています

うさみ「『デザインあ』の解散〜!のコーナーで・・・」(13'40''~)

2011年から10年近くテレビ放送のNHK Eテレで放送されていた番組「デザインあ」の中の1コーナーですね
構成を佐藤卓さん、音楽にコーネリアスこと小山田圭吾さん、映像監修に中村勇吾さん、という錚々たるメンバーで作られていました
2023年からは「デザインあneo」になって再開しているようですね

解散!
#1で初登場。身の回りにあるものを分解してパーツを並べる様子を描くストップモーション・アニメーション。合図のホイッスルとともに、パーツが勝手に解散するように描かれる。

Wikipedia「デザインあ」より

25年近くテレビを日常的に観ていない僕(さだむ)は、そんなに詳しくないのでテレビの話題になると比較的静かになります・・・笑

うさみ「僕的な楽しさで言うと、さしすせそは結構楽しかった」
さだむ「さしすせそ、ね!」
なっち「さすがですねー!のやつ?」(15'38''~)

料理のさしすせそ、知らなかったけど順番にもきちんとした根拠があるんですね〜

料理の「さしすせそ」とは
煮物などを作るときの調味料を入れる順番の略称。「さ」は砂糖、「し」は塩、「す」は酢、「せ」はしょうゆ(旧仮名遣いで「せうゆ」)、「そ」は味噌。
砂糖がいちばん材料にしみ込みにくく、塩やしょうゆを加えてからでは甘みがつきにくい。また酢・しょうゆ・味噌を後にするのはせっかくの香りを飛ばさないためなど、この順番にはさまざまな根拠があります。

クックパッドより

なっちが言ってるのは、いわゆる「男性を喜ばせるテクニック」として知られる「さしすせその法則」という奴ですね・・・笑

うさみ「ああいうアルゴリズムがあると・・・」(15'56''~)

アルゴリズム: algorithm[注 1])とは、が定まっている「計算可能」問題に対して、そのを正しく求める手続きをさす[注 2]算法[1][2]計算手順[3][4]処理手順とも和訳される[5]

Wikipedia「アルゴリズム」より

うさみくん自身も言ってますが、数学の公式もアルゴリズムですね
プログラミングもアルゴリズムの一種です
でも数学とかプログラミングのみに限った概念ではなく、例えばルービックキューブの解き方とか、とあるアパレルショップの店員さんによるTシャツのたたみ方とか、迷路の抜け方とか、正しい答えが決まっていて、その答えにたどり着くまでの手続きはなんでもアルゴリズムです
最近の用法でいうと、世の中の様々な事柄に対して、計算可能であるとした上でアルゴリズムで導き出そうとするような試みは数多くみられますね
例えば、ヒット曲を作り出すためのアルゴリズム、とか、サッカーチームがワールドカップで優勝するためのアルゴリズム、とか

アルゴリズムが近年、それまでと違って一見して計算可能だとは思えない概念にまで対象を広げつつあるのは、個人的にはめちゃくちゃ興味深い潮流です

さだむ「それで言うとね、前に見た野糞・・・」
なっち「前に見た野糞・・・??」
さだむ「野糞を哲学にしてる人の話が・・・」(19'22''~)

字面ヤバすぎですね・・・笑
言うまでもないですが、野糞をしているところを見たのではなく、野糞に関する記事を見た(読んだ)ということなのですが、それにしても字面が酷い・・・笑

どんな事柄でも、継続すれば哲学になる、という良い例ですね

哲学(てつがく、フィロソフィー[1]: philosophy[1][注 1])とは、存在理性知識価値意識言語などに関する総合的で基本的な問題についての体系的な研究であり、それ自体の方法前提を疑い反省する、理性的かつ批判的な探求である。

ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインによれば、哲学は思想を論理的に浄化する活動それ自体のことをいう[2]

Wikipedia「哲学」より

意図してたわけじゃないですが、アルゴリズムの後に哲学が来たので、せっかくなのでその切り口から・・・
Wikipediaには哲学が主に扱う分野、というのが記載されていますが、僕自身の解釈では、哲学はあらゆる分野の上にあるものじゃないかなと思っています
アルゴリズムが答えを導き出すための論理的な手続きだとすると、哲学は答えが無いものに対する論理的な模索なんじゃないかと
答えの無い「道」をひたすらに究めることが哲学であり、答えが見つかったら、その瞬間にビニール紐をビーーッと切り裂くようにその分野は哲学と切り離されて、例えば科学とか工学とかに分類されていくんだと思います
大学で博士課程を修了すると、PhDという学位(日本語では博士号、に相当)が貰えるんですが、このPhDはDoctor of Philosophyの略で、「哲学博士」という意味になります
つまり、少なくとも西洋の文脈においては、どんな分野であれ、学問において博士課程を修了すれば「哲学博士」になるんです
これって(あくまで僕の解釈では、ですが)とっても面白くて、ある道を探究して、一定の水準まで至った、という学徒に対して「『答えの無い』世界にようこそ」とばかりに哲学者として認定される、という・・・笑
あらゆる引き裂かれたビニール紐を手繰って「道」を登って来た先には、全てのビニール紐が繋がっている根源の「哲学」に辿り着くわけです
全く異なる分野で研究されている方と対話をしているときに、よく「同じ景色を見ているなぁ」と感じることがあるのですが、僕は個人的にはこの、「山頂は哲学で繋がっている」説を推したいですね〜

西洋哲学の話をしましたが、東洋哲学に関しては、さらに「座学だけでは半人前」とばかりに実践が求められる例が多いです

彼は、後にブッダと呼ばれるようになったが、自らの修行法と、その認知したことを弟子たちに説明をしながら、修行を補助していった。
無分別
そこで説いたことは、修行法が中心であったと考えられるが、教学的には、概念化された理解では真実の体験は得られない、ということが中心に据えられている。これは認識が、思考過程で概念化されなくては、人間は理解できないという点についての反省の上に出来上がった説だと考えられる。

それが後に無分別智と呼ばれるものであり、これこそ修行体験によってのみ得られる智慧であるとされる。しかしながら、これは論理を否定することでもあり、概念化なしに認識を認識のまま受け入れるということによって、既成概念なしに観察することができて、正しい知を得ることができる、とする。

Wikipedia「仏教哲学」より

念のため、ブッダが説いたのはあくまで悟りに至るための姿勢で、哲学者になるための条件ではありません
ただ、例えば卓球について深く研究して学んだ「卓球博士」が居るとして、西洋哲学ではとくに卓球博士が卓球を実際にプレイして上手になる必要はありません
卓球博士であることと、例えば卓球プロのような卓球の実践者であることは全くの別物だからです
でも、東洋哲学的には、卓球の実践なしには卓球の探究者が悟りに達することはない、というスタンスな訳です
僕の個人的な印象としては、確かに、探究する内容をつぶさに観察して概念化して理解するだけではなく、自ら実践してみて、認識を認識のまま(あるいは感覚を感覚のまま)受け入れるという体験をしないと、哲学的思考は深まらないような気もしています

ともかく、このウンコ話は、坂井勇貴くんの話から知りました
勇貴くんは「タダの箱庭」というポスト資本主義的なプロジェクトをやっている人で、本屋には売られていない、人の手から手に渡っていくだけの繋がりで広がっていく本を1万冊刷って配ったりしていて、僕もその本の一部に、インタビューに応じて載せて頂いています

うさみ「荷物って、栄養(体内に吸収して)抜かれるから、そのまま出る訳じゃない・・・」(21'02''~)

ここのうさみくんの疑問、聞いてたら誰しも抱く当然の疑問ですよね
なっちの、吸収した栄養も何らかの形でアウトプットするのだから、そこまで含めて「栄養の運び手」とする解釈もとても鋭いと思います
ただ、ここで瞬間パッとは出てこなかったのですが、僕が言及した糞土思想の伊沢正名さんはもう少し違った視点を持っています
人間にとっての栄養は人間が吸収してしまったとしても、伊沢さんが毎日のように林に埋めている野糞は、獣やアリや糞虫などに食べられて、その後にキノコ、バクテリアやカビなどの菌類が分解して(食べて)くれる訳です
伊沢さんは2007年から約2年半かけて、150箇所の自分の野糞跡を掘り返して分解過程を調査したそうです
その調査によると、夏場なら1ヵ月ほどで菌類による分解まで終わって野糞は完全に無臭の堆肥になり、多くの植物の根が伸びて来てその養分を吸い、芽生えも見えはじめ、秋になるとそこからたくさんのキノコが生えてきたそうです
つまり、人間の糞を直接的に、あるいは間接的に(菌類の分解を経て)養分にして自らの糧にすることができる生物は世の中にたくさん居る、ということなんですね
同様に、たとえば酸素も人間にとっては生きるうえで必要不可欠なものだけど、植物にとっては光合成の際に排泄される「ウンコ」みたいなもんなわけです
植物にとっては、荷物の中身の栄養(水$${H_2O}$$の中の$${H_2}$$)は抜いちゃってるわけですね
自然環境全体で全員が、自分の受け取った荷物の中から自分のためになる栄養はきっちりと抜いて有効利用しつつも、そのまま空になったものを渡したり、あるいは代わりに自分のいらなくなった荷物を詰めて渡したりしたものが、隣の生物によって有効活用されていく、というような、本当に素敵な循環が起こっているわけです

さだむ「たぶんコンポストとか、そういうのやってる人たちは・・・」(22'01''~)

コンポスター (composter、堆肥箱) は、広義的には家庭から排出される生ごみなどの有機物を分解し堆肥をつくる家電製品生ごみ処理機)または装置。狭義には庭などにプラスチック製の円柱を埋め込む「生ごみ堆肥化容器」。

Wikipedia「コンポスター」より

コンポストって呼んじゃってたけど、正確にはコンポスターなんですね〜
コンポストは箱じゃなくて微生物によって完全に分解された堆肥のことを指すみたいです

うさみ「すごい、この、壮大な循環の(中で)、(人間の)口に入るところを食育って言うのかな・・・」(22'27''~)

ほんと、食育って考えれば考えるほど広すぎて掴みきれないんですよね。僕もブレストが始まる前にやたらと食育の定義を気にしていたのは、同じようにゲシュっちゃったからです

さだむ「以前に京都大学の和田先生のがん予防のためのレシピ本・・・」(22'50''~)

京都大学名誉教授でがん専門医でいらっしゃる和田洋巳先生の理論を実践するレシピ本で、制作をanno labが手掛けました

さだむ「自分自身の今の状態って、自分は不変であるような意識でいるけど、結構食べるものによって身体って変わっていってるんだなって・・・」
なっち「動的平衡の話ね」(23'25''~)

・・・そうかもしれない!笑

動的平衡(どうてきへいこう、英語: dynamic equilibrium)とは、物理学化学などにおいて、互いに逆向きの過程が同じ速度で進行することにより、全体としては時間変化せず平衡に達している状態を言う。

系と外界とはやはり平衡状態にあるか、または完全に隔離されている(孤立系)かである。 なお、ミクロに見ると常に変化しているがマクロに見ると変化しない状態である、という言い方もできる。これにより他の分野でも動的平衡という言葉が拡大解釈されて使われるが、意味は正確には異なる。これについては他の意味の項を参照。

Wikipedia「動的平衡」より

なるほど〜!
たとえば、満員電車から10人降りたと思ったらその場で10人乗ってきて、結局、満員電車であることは変わらない、みたいな話ですね
なっちは相変わらずズバッと芯をついた言葉を差し込むなぁ
まさにそれ、というような言葉ですね

これ、僕が言及した個人の体内において起こっていることに関しても「そうそう」みたいな話ですが、その前段に話していた、野糞の話を掘り返してみても、「地球の環境全体においては生命の循環によって動的平衡が保たれる」みたいな形で適用できますね
伊沢さんが野糞の重要性を説いているのは、人間が現状、自らの排泄物や死体を他の生物の糧(食べ物)にさせないで、燃やして灰にして埋めたりコンクリートにしたりして生物界から切り離すのは、まさにこの動的平衡を乱すムーブなんじゃないか、というような懸念から来てるわけですね

ただ、このポッドキャスト内で僕が言及している「人は食べる物によってどんどん身体を構成されるものが変化していっている」という状態は、厳密に言うともしかしたらWikipediaの「他の意味」の項にあるように、定常状態と言ったほうが正しいかもしれませんね

なっちが言及している「福岡さん」は、福岡伸一さんのことですね

トップの動画、なんか中村勇吾さんっぽいなと思ったらやっぱりそうでした
佐藤卓さんとのタッグで、eテレ感ありますね〜
お、大河遼太くんも関わってる


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