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腹痛

 お腹がぶち壊れた。久々にゲリPである。こんな時、転職して良かったなとつくづく思う。基本的に在宅で籠っての仕事がメインなので自由にトイレにいける。
 以前の職場だとそんなわけにはいかなかった。こんなお腹の状態だと仕事に外に出るのではなく、いかにトイレができる場所をスムーズに探すかの旅になってしまう事だろう。

 個人的には用を足す時間は嫌いじゃない、むしろ好きな方である。本当にベタだが唯一何も考えなくて済む時間だからだ。
 ただゲリPの時は訳が違う。トイレに行く回数は増えるしなにより滞在時間が半端なく長くなる。いつもの用を足す時間と逆転現象が起きる。余計な事をひたすら考えてしまう。というか、お腹も痛いし他の事を考えないと痛みが引かないのだ、本当に腹痛はろくなもんじゃない。

 てなわけで、トイレに籠っている。そういえば最近友人等から恋愛絡みの話をよく聞く。皆んな恋に振り回されっぱなしのようだ。恋愛というものはなんなんだろうか。答えもないし。オーダーメイドみたいな面倒くささがある。学校で恋愛の授業とかすればいいんじゃないだろうか。少しは世の中から悩んでる人が解放されるんじゃないかと思う。

 年齢も年齢なわけで皆んな恋愛と結婚が絡み出し余計ややこしくなっている。僕はもっぱら恋愛とは無縁であり傍観者である事が多い。当事者になる方法を教えてください。傍観者たる宿命なのか恋愛絡みの悩みを聞く事も多く誰かの受け売りみたいな事を当事者に伝えたりして過ごしている。
 そんな時、友人たちは僕の事を羨ましがるのである。こんな恋愛の悩みで悩んでるのが辛く、僕みたいにギリギリ好きな事で生計を立て、再生回数も20回もいくかいかないような好きな事をペラペラ話しているラジオをYouTubeで一年以上も流し続けているこんな僕を羨ましく思うようである。

 これってどうなんだろう。と思った。壮大な話になるが三十路前で一般的な人というものは自分の中で色んな事に折り合いをつけながら成長していくものなんだと思う。その中で漠然とした夢などと自分の距離を推測って現実を見始めるのだと思う。僕はそれができてないというかできないだけなのだ。そんなの無理だろって事に気付く事ができないのである。漠然とした事で悩むのではなく、確実な形ある現実的な事に悩み苦しみ解決していくのが一般的なはずなのに。
 僕はおそらくまだ前者であり、周りから見れば羨ましいというよりは物珍しいの色の方が強いんではないかなと思った。絶対、後者の方がいいに決まっている。世の中の人は皆んな現実的になっていくのだから、それが当たり前なのだから。そうする事で確実に幸せになれるのだから。こんな事を久しぶりに聞いたゲリPの音を垂れ流しながら考えている。

 ただ、やっぱり僕は漠然としたものに妥協出来なかった、というか自分が妥協した時の人生が怖いのである。好きな事に向けて動き続ける事が生きる事なのだ。そうでなかれば無と同じだと思う。あくまで僕個人の話である。前職のトイレ事情と同時にこんな事を思い出した。このまま数十年同じような仕事をしていく事が想像できなかった。そして仕事を辞めた。これが僕にとっての折り合いだったのかもしれない。見誤ったかな笑 
 あと僕からしてみれば恋愛悩んでる友人達だって羨ましいのである。結局僕は漠然とした所でもがいているだけであって、事実は小説より奇なりである。恋愛という明確な悩みをくしゃくしゃになりながら解決する事は人間として物凄い成長なのだと思う。なんならそんな人たちが映像作ったり物語書いた方が面白いはずである。僕はそんな人たちの話を聞き擬似体験しながら偉そうにアドバイスをする意地汚いやつなのだ、だから汚い手で何かをつまみ食いしてこんな事になっているのだきっと、とんだゲリ野郎だ。

 こんな恋愛と同じような答えの出ない事を考えてしまうなんて、嫌になっちゃうわ。

 本当に腹痛なんてろくなもんじゃない。

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