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自己紹介③

北海道在住のコンサポ登山社労士のkakbockです。

今回は改めて、詳細な自己紹介をしたいと思います。



(1)出身地

私は、北海道生まれ、北海道育ち、北海道在住の生粋の道産子です。

私の両親も同じ市内(だいぶ外れの方ですが)の生まれなので、どっぷりこの土地に根付いているという感じです。

両親と4つ年下の弟の4人家族でした。

両親が共働きだったため、幼稚園に通うことはなく、近所の公立の保育園に預けられ、別居していた祖母が迎えに来てくれて、両親が帰ってくるまで私と弟の面倒を見てくれていました。


(2)小学校~高校時代

小学校はすぐ近くの坂の上の小学校でした。

小学4年生のときに、この小学校のグランドで活動していた野球少年団に入りました。

友達が入ったことで何となく自分も入ったみたいな、あまり積極的に野球がしたい!というものではありませんでした。

中学校は坂の上の小学校のさらに坂を登った先にありました。

今こそ、冬の間はロードヒーティング(道路を温めて雪を解かすもの)が整備されているので大丈夫ですが、当時はそんなものはなく、道路が凍っているときは、滑らないよう気を付けて登ってました。だって、一回滑って転んだら止まらなくなるんですもの。本当に。今考えるとめちゃくちゃ危ないです。よく事故に会わなかったと思います。

部活は引き続き、野球部でしたが、それほど野球に情熱があったわけでもなく、弱かったので、公式戦で勝った記憶はありません(汗)。

高校は、市内の公立校で、バス通学でした。

一応進学校だったので、勉強するのが当たり前で、卒業後は進学が当たり前の学校でした。

文武両道を掲げる学校で、ほとんどの生徒が何らかの部活をやるのですが、私は野球部に入らないと決めた以外は何も考えておりませんでした。

入学後すぐのころ、放課後は上級生による勧誘タイムが廊下のあちらこちらで行われるのですが、私はそこで、ラグビー部の2年生の先輩につかまり、「いい体してるな」と言われ、ラグビーのことも良くわかってないまま、グランドに連れていかれ、即入部になりました。今考えると、ここでも自分がないですね・・。

結局、3年生の秋までフルでラグビー部で活動しました。

高校ラグビーの引退は、他の部活がインターハイ北海道大会の市内の予選で負けると6月とかに引退してしまうのと違い、秋まで大会があるので、遅いんですよね。

部活が終わった3年生は受験モードになり、放課後に学校主催で大学受験のための講義を受けたりするのですが、そもそも普段から勉強していなかった私は、秋に引退してから、「大学はどうしよう?」と考え始めたくらいでした。今考えるとダメダメですね、自分。。


(3)大学

大学は札幌にある私立大学に通いました。

高校で部活を引退した3年生の秋から受験勉強を始めたので、数学が全くできなかったです。

私は私立文系コースだったので、そのまま私立の文系学部を受けることにしました。センター試験は最初から諦めていました。

滑り止めも含めて3つほど受験し、3つとも合格し、一応第一志望の大学に通うことになりました。

大学生活はこれまた典型的なダメダメな大学生で、いかに大学に行かないで単位を取れるかしか考えておらず、極力大学には行きませんでした。

たとえば、大学に行こうと家を出て途中にある友達の家に寄り、スーパーファミコンをやりはじめて盛り上がりすぎて、結局大学に行かないみたいなことも結構ありました。

ただ良い友達に恵まれていたので、ノートを借りたり試験情報をもらったり、助けてもらっててそれがあったので卒業はできました。

大学の講義で役に立った数少ないもののうち民法があります。

学部は経営学部だったのですが、専門科目で民法の講義を受けていました。この民法の講義自体は、すごく面白くて唯一楽しく興味を持って受けた講義だったと思います。これが後の行政書士試験の受験につながることになります。


(4)就職活動

大学3年の秋ごろから、公務員を目指す学生は、大学が無料で実施している公務員講座を受講することができます。

ただ、私はこの時点では公務員を目指す事は考えていなく、漠然と民間企業を受けようといくつかの企業に資料請求をしていました。

その後、冬の時点でやっぱり公務員試験を受けようと思いましたが、大学の公務員講座は終わっていたので、独学で受験情報誌や問題集を使って勉強しました。

大学4年のときの公務員試験は、北海道職員採用試験、市役所職員採用試験を受けましたが、本命の市役所職員採用試験には落ちたため、北海道職員採用試験には合格していましたが、中級だったことと、道内全域が異動の範囲だったことから、次の年に改めてチャレンジすることにして就職浪人を決めました。

翌年も各種の公務員試験を受けましたが、一番早く結果が出たのが国家公務員Ⅱ種(当時)でした。

国家Ⅱ種は、筆記試験を合格したら二次試験で人事院による面接があります。

それに合格すると、今度は各省庁による面接を受けて、実際に採用が決まります。

その各省庁による面接を受けるためには、官庁訪問と言うものがあって、そこでの説明を聞きに行って面接を希望する旨を伝え、後日その省庁から面接に来てくださいと言われないと面接を受けることができません。

私の場合は文部科学省の関係機関ともう1カ所から面接の連絡が来ましたが、文部科学省の機関での面接で、その場で内々定をいただけたので、そこに就職することを決めました。

私は既に卒業していたので、大学を卒業した年の翌年の1月に採用になり、1月6日から出勤しました。

そこから、途中出向期間があったり、公務員としての身分が団体職員になったり25年の四半世紀を経て現在に至ります。

就職後のことはまた改めて書き留めたいと思います。


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