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「私が壊れた日」(番外編1)
それは小学校最後の遠足の日。
気が付くと、目の前に担任の女教師Nと一人の女の子が歩いていた。本当は担任がクラスの最後尾を歩くはずだったが、寿退職を控える彼女は、もうそんなことも気にしていなかった。
彼女は泣き虫の私を徹底的にイジメた。「Y君(私)の泣き虫は私の手に負えません。クラスを変えてください」と、職員会議で泣きながら土下座し、それが叶わないと、今度は「Y君のお母さんに男らしくして欲しいと頼まれた」と噓を良い、イジメっ子たちをたきつけた。
遠足の目的地の近くに住む生徒は、そのまま途中で帰れるはずだったが、私はイジメっ子達の命令で、無駄に学校に戻ることを余儀なくされていた。そのこともNはまるで気にしていなかった。
「先生はどんな男性が好きですか?」と女子。
「男らしい人が好きかな」とN。
「じゃあ、Y君みたいな子はダメですね」
「あんな子、早く死んじゃえば良いのに」
2人は楽しそうに笑っていた。
私は更に歩みを遅くして、彼女たちに気付かれないように注意した。
その後の記憶はほとんどない。たぶん、イジメっ子の命令通り、一度学校に戻った後、家に帰ったのだろう。
まだ誰も帰って来ていない家の部屋で、電気もつけず、私は机の前に座っていた。そして、その頃、辛い時にしていた、机にかじりつく癖を繰り返していた。もう何年もそうして机に歯形をつけていたが、家族は誰も気づかなかった。
その後、ふと庭で自転車の止まる音がして、私は姉が帰って来たことに気が付いた。そして、私は玄関に回り、姉に「おかえり」と声をかけた。
しかし、姉はまるで全く私が見えないように通り過ぎ、勉強部屋に消えて行った。彼女も普段から、更に上の姉と二人で家事を私に押し付けて、「うちには弟はいないってみんなに言ってあるから」と私を否定し続けた。
私はいてもたってもいられず、裸足のままで玄関を飛び出し、どこをどう走ったのか、覚えていないが、私は近くの河原にしゃがみこんでいた。
川の水面に映る自分の顔を見つめ、ふと言葉が出た。
「死のうか」
そうつぶやいた私の顔は笑って見えた。同時に、私の心はとても静かに、粉々に壊れた。
その日から、現実の私は笑えなくなってしまった。また、泣き虫だった私は泣くことも出来なくなった。どんなイジメに対しても、無表情のまま、イジメが止むのを待った。それから私のあだ名は「能面」になった。
もう泣き虫でなくなった私を、家族は喜んだ。ただ喜んでいた。
それから私は、どんなくだらないTVのお笑いを観ても、もう一度笑おうとした。長く、引きつり笑いを繰り返しながら、もう一度なんとか笑えるまで、丸二年ほどかかった。
そんな私の努力に、家族は全く気が付かなかった。そもそも町内の子供全員からのイジメにさえ、全く気が付いてなかったのだが。
私の心はあの時のまま、何も変わることなく、壊れている。
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